マクロ
「経済学には、ミクロ経済学とマクロ経済学がある」
ここは例の喫茶店。
相川猛は急に経済学の話をし始めたので、桃山里香知は驚いた。
「あの、『リーグオブヒーローズ』の話で経済学が必要なんですか?」
そんな戸惑いの声を尻目に、相川猛は続ける。
「ミクロ経済学は、実際に人間が購買する現象に着目する学問だ。
一方で、マクロ経済学は国の経済政策を決定するために、経済を大局的に見る学問だ。
経済は、ミクロとマクロの二つの視点から物事を見る必要がある。
そして、その二つを組み合わせることによって初めてより深い理解に至れる」
桃山里香知は、小難しい言葉にポカンとした。
「あ、あの……」
里香知は戸惑いを隠せなかった。
相川はそれを意にせず、さらに言葉を続ける。
「これは、ゲームにも言える。ミクロとは実際に戦闘が起きている現象のことを指す。
例えば、どうやってスキルを使うか、どうやって相手のプレイを避けるか、そして最後にどうやってキルするか……。
しかし、このゲームはレーンでのキルが全てではない。
実際はマクロと呼ばれる戦術的な試合運びも重要になってくる。
どれだけキルをとっても、最後にクリスタルを破壊できなければ意味がない。
逆に言えば、どれだけ負けていても、クリスタルを破壊できれば、それで良い。
俯瞰した鷹のような目線が視点が不可欠なんだ。
リーグオブヒーローズも経済学と一緒だ。
ミクロとマクロ。二つの視点から物事を見る必要がある」
そういって、相川猛は再びコーヒーに口をつける。
「なんだか、難しそうですねえ」
里香知は率直な感想を言った。
「ミクロが上手いプレイヤーでも、マクロが下手だと全然勝てない。
逆に、ミクロが下手でも、適切な場所で適切な行動をしていれば、勝てるようになる。
まあ、とはいえ、最終的にはどちらも必要なんだが……」
里香知は、相川の言葉を聞きながら「れいな」のことを思い出していた。
(もしかしてれいなさんは、マクロが下手なのかな。
私は、ゲームをあんまりやったことがないから、ミクロ?はたぶん、れいなさんには勝てないけど、もしかしたらマクロだったら勝てるかも)
そう思った里香知は、ふと思い立ち、相川に聞いてみた。
「あの……ちょっといいですか?」
相川は喋って疲れたのか、コーヒーを飲んでいる。
「マクロって、どうやったら鍛えられるんですか?」
相川は腕を組み、ちょっと頭を掻いた。
難しい質問を聞かれたという険しい表情をしている。
「それは、難しいな。それは。ジャバスクリプトの実装仕様を理解するよりも難しいことだ。だが確実に言えることはある。ミクロが肉体ならば、マクロは頭脳だ。ミクロが技術ならば、マクロは知恵だ。つまり……」
そして、相川は届いたケーキを一口頬張り、そしてフォークを振って一言言う。
「単に賢くなればいい」
◇◆◇
「賢く、かぁ……」
そう言いながら、里香知はリーグオブヒーローズのカジュアルプレイに参加した。
「でも現実的には、賢くなるってのが一番難しいよね……」
里香知は愚痴る。
里香知は、今回新しいヒーローとしてルナを選んだ。
ルナは、魔法ダメージを得意とするファイター・アサシンと呼ばれるタイプのキャラクターだ。
特徴としては、ブリンクと呼ばれる急接近スキルで、相手の懐に飛び込み、切り込むのを得意とするヒーローだ。
普段何もないとき、ルナは銀髪で短髪の髪型をしており、ゴシックのドレスに身にまとい、気高い姿勢で、剣を構えている姿勢になる。
それが、里香知にとって、大人びていてカッコよく映った。
ルナは、里香知にとって自分が持っていない女性の魅力があって興味をそそった。
その日は相川はいなかった。
どうやら別件で対応しなきゃいけない案件があるようで、後で合流するようだ。
「……重要なのは、強いモノが生き残れるのではない。環境に適応できるモノが生き残ってきたということを理解することだ……」
相川のその晦渋な言葉を思い出しながらプレイする。
「相川さんって、本当大袈裟だなぁ。たかだかゲームなのに、そんな哲学者みたいに考えてるんだから」
そう思うと、相川のことを尊敬しつつも、滑稽に見えてきて、面白くなってきた。
面白くなってきた分、少しリラックスして試合を見ることができた。
「私は、今持てる実力で一生懸命やればいいんだ……!」
そう自分に言い聞かせ、里香知は、左下に表示されているミニマップを見ていた。
『リーグオブヒーローズ』というゲームででゃ、ゲーム全体のフィールドの状況が小さく表示されている。
そして、各ヒーローがアイコンで表示され、そのアイコンがヒーローの位置と動きを簡略化した形で表している。
このミニマップのアイコンを見ていれば、そこで起きていることの概要がわかるのだ。
「相川さんの『見ることが大切』ってこういうことかぁ。ミニマップを見ていれば、大体何が起きているかがわかるもんね」
里香知は、そのミニマップを見ながら自分の立ち回りを考えていた。
「やっぱり、まずはキルを取りたいな。そしてタワーを破壊して……でも、それだと他のヒーローに狙われちゃうから……」
そんなことをブツブツと呟きながら、フィールドを駆け巡り、中立モンスターを狩っていく。
――そこで、里香知は異変に気が付いた。
一番下のレーンは、味方がどうやらダメージトレードで有利を取り、上手い具合に相手のヒーローたちを劣勢に追い込んでいるようだった。
敵のヒーローは、タワーの砲台の下に避難して、味方の攻撃を耐えている。
「うーん、あれ、もし相手のジャングルだったら奇襲するかも……」
『リーグオブヒーローズ』では、ジャングラーは不利になっているレーンに対して、介入し手助けを行う。
たとえ、レーンが不利だったとしても、人数が増えて、1対2だったり、あるいは2対3になれば勝つ可能性は十分に高まる。
さらに里香知は考える。
「で、でも、じゃあ相手が奇襲したとして、どう対策すればいいんだろう」
中立モンスターを黙々と狩りながら考える。
たまに、里香知はモンスターを狩るのを失敗したりもしていた。
「もし私が奇襲するとして、どうしたら困るか考えるのはどうだろう。うーん……そうだなあ……例えば、草むらに身を隠していたら、姿が一時期的に見えなくなるから……」
そう言うと、里香知はルナを一番下のレーンの横にある茂みに移動させる。
このゲームは全てのフィールドが見えているわけではなく、味方のヒーローが「見ている」視界とトーチが照らしている範囲でしか、状況が理解できない。
茂みは、敵がタワーの砲台下にいるときは、ちょうど誰が入ったか見えない距離にある。
言い換えれば、ルナが茂みに移動したかどうかがわからないのだ。
里香知は、茂みで味方の様子をじっと見守る。
「でも、来なかったらどうしよう……。モンスターを狩る時間が減って、お金と経験値も減っちゃうから、無駄なことになっちゃう……」
里香知は、不安になった。
でも、里香知は自分の勘を信じた。
何事も挑戦だと言い聞かせた。
「緊張するなあ……ミスしたら、こっちが返り討ちに合う可能性もあるもんね……」
そう呟きながら深呼吸する。
すると、待たないうちに敵の「ベータ・グル」が光速の歩行スキルを使って急接近してくるのが見えた。
まるで目の前においしい獲物がいるかのようだ。
味方たちは攻撃を入れつつも、タワー側へと逃げようとする。
ベータ・グルは味方のヒーロー達に攻撃を入れる。
味方も果敢に、攻撃を入れているが、体力が残り少なく、キルされそうな状態だ。
――そしてベータ・グルが最後のスキルを使い、追撃を決めようとしたその時だ。
「今だ……!」
ルナは、茂みからから勢いよく飛び出す。
「ルナ・ライト!」
ベーター・グルと敵たちは月光に照らされる。
そして月の重力によって、移動速度が著しく減少し、地面に倒れこむ。
敵のヒーローたちは、まさかルナが茂みにいるとは思わなかったから、パニックになった。
何とか地面を這いつくばり撤退しようにも、ルナ・ライトの重力がのしかかり、それも叶わない!
――ルナの刃が敵のヒーローたちに襲い掛かる――!
「トリプルキル!」
そのアナウンスを聞いて里香知は喜んだ。
味方のヒーロー達も親指を立てて、里香知の行動を褒めてくれた。
里香知は嬉しくなりながらも、すぐに冷静さを取り戻す。
「ダメ、まだ試合は終わってないんだから」
相川猛の言葉を思い出して、冷静にタワーを壊していく。
「タワーの砲台は、ミニマップに表示されるから、それを目安に壊せばいいんだ」
そして、全ての敵を倒した後、里香知は相手の中立モンスターを奪い、どんどん差をつけていった。
◇◆◇
「やった!勝った!」
里香知は喜んだ。味方からもたくさんの「いいね」が付いた。
「嬉しい……。私もちょっとヒーローに近づけたかな」
里香知は、自分がヒーローになったかのような気分を味わっていた。
そして、勝利の余韻に浸ってると、相川からメッセージが届いた。
『おめでとう。仕事の対応が思ったより早く終わったから、観戦していたけど上手くいったね』
里香知は、誉られて嬉しくなった。
『えへへ、そんな。たまたまです』
『相手の動きを予測しそして捉える。それもまた一つの立派なマクロだ。予測できれば、操作が上手くなくても、簡単にキルが出来て、試合運びをスムーズにできる』
『はい!ありがとうございます!』
これがマクロかあ。マクロだったら、もしかしたら私でも上手くやれるかも!
里香知は、自分のプレイにちょっとだけ自信が付いた瞬間だった。
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