第二章アイリーン

アイリーン




 第E領地の町「仙ヨーク」。

 海へと流れる川沿いに作られたこの町は決して大きくはないが修道院があり、海の魔物もここまで来ることはなく比較的穏やかで平和である。

 

 その町に住む十六才の少女、「アイリーン」。

 オレンジ色の髪を肩まで伸ばし、肩の出た黒いカットソーを羽織り、下は白のロングスカートを履いている彼女は度々修道院に訪れて薬を貰っていた。


「すみません、今月はお金がこれしか……」

 母の体調が芳しくなかったのだ。

 今月分の店の売上から薬代を出すことは厳しいものであったが、母の回復のために毎月ここに通う。


「いいのよ、アイリーン。あなたのお母さんに神のお導きを」

 頭巾を被り、紺色の修道服に身を包むシスターは今月分の薬を瓶に入れて渡した。

 

 アイリーンの父は彼女が幼い頃に亡くなっていた。

 女手一つで自分を育ててくれた母に感謝していたし、早く具合を治して二人で幸せな生活を送りたい、という思いがあった。


「ありがとうございます! シスター様!」

 薬をもらえて安心した彼女は頭を下げてお礼を言うと修道院の扉を開けて家路へと着く。


 外はもう日が暮れ始めていた。

 川沿いの道を歩いていると辺りにポツポツと家の灯りが付き始め、その足を早める。


 酒場のある通りへとやってきた。

 アイリーンの家はそこから通りを少し進んだ先にある。酒場は釣り人や旅人、町に住む狩人などが訪れて賑わっている。この町の憩いの場になっていた。


「お!お使いかい?アイリーンちゃん!

 こいつの話聞いてけよ!」

 通りを歩く彼女に気がついた外のテーブルに座って飲んでいた漁師が声をかけた。


「すみません……急いでいるので、また今度聞かせてください」


 漁師の誘いを断り、アルテイシイアは立ち去る。


「行っちまった……。偉いなぁ。

 で、なんだっけ? 香辛の国だっけか?」


 漁師は目の前に座る海沿いの街からきた旅人との話を再開する。

 フードを被るその旅人の顔はよく見えなかったが、どこか魅力的な危ない血の雰囲気は彼にとって酒のさかなには充分なものだった。


「いや、幸甚こうじんの国だ。

 そこには、なんの不安もなく明るい未来が待っている。もう何も心配することはなくなり、魔物の心配をすることもない。

 李・ポルシェから定期船が出ている。どうだ? お前も」


 旅人は懐のマントの中をあさり、紙の束を取り出して漁師へと何枚か渡す。


「これがそのチケットだ。この町の人にでも配るといい」

 そう言って彼は席を立ち酒場から立ち去った。


 残された漁師はその手に強引に渡された幸甚の国へのチケットをぼんやりと眺めていた。

 

  ◇


「お母さん。薬もらってきたよ、具合はどう?」

 アイリーンは家へと帰った。

 木造の家の一階は店となっており、二階の母の部屋へと入り、話しかける。

「ありがとう、アイリーン。

 いつもごめんね、」


 ベッドから起き上がった母は薬を受け取り、ゆっくりと今日の分を飲み始める。

 その様子を見守るアイリーンの顔に安心の色が浮かび、穏やかな表情になっていった。


「私は明日の仕込みするから、お母さん早くよくなってね!」

「あまり無理しちゃだめよ」

 母は心配そうに言ったが彼女には明日の店の準備を行う必要があった。

 一階の売り場へと戻り、店閉め作業を行い昼間の売上の確認と仕入れる商品の確認を行う。

 

 彼女の店は木のコップや皿、糸を編んで作られたマフラーや手袋、帽子などを売るいわゆる雑貨屋であった。

 その事情を知る町の住人がよく訪れていたが売上はそう高くはない。

 

「手袋だけなら今からでも間に合う……かな」

 アイリーンは在庫を確認するとそう呟き、再び階段を登って二階の機織り機のある寝室兼作業場へと行き、椅子に座り手袋を作り始める。

 そして朝方まで作業をすると眠りにつき、日が高くなる前には店を開ける。


 彼女の生活は決して楽なものではなかった。



 次の日アイリーンがいつも通りカウンターの椅子に座り店番をしていると、昨日の漁師が訪れる。


「これ余ってるから配ってるんだけど、よかったらどうだい?」

 そう言って彼は昨晩旅人から受け取った船のチケットを渡した。

「何ですか……? 幸甚の国?」


「あぁ、なんでも李・ポルシェから出てるらしいんだ

。よくはわからないけど不安や心配がなくなるって言うんだ。もしかしたらお母さんの体もよくなるかもしれねぇ。二枚やるから行ってみたらどうだい?」


 彼女は手渡されたチケットを眺める。

 そこには「悩める全ての民に幸せを!」と書かれており、にわかには信じがたいが李・ポルシェなら二日とかからないし一度行ってみるのも悪くないかもしれない、と十六才の純粋な心を持つ少女は一瞬だが思ってしまった。


「ありがとうございます!」

 笑顔で感謝の言葉を漁師に告げる。

 

「いいってことよ!」

 アイリーンの嬉しそうな顔を見て少しでも役に立てたことを喜んだ漁師はそう言うとそそくさと店を立ち去った。


「お母さん! こんなのあるって!」

 二階への階段を駆け上がり、母のいる部屋へと駆け込んだアイリーンは笑顔でチケットを見せる。


「なんだい、これ? 幸甚の国……? 私も行ったみたいもんだねぇ……」

 母はそのチケットを手に取り眺め、微かに微笑みながら言うのだった。



ーーーーーーーー



「やっと着いた……」

「ここからは魔物の縄張りです。気を抜かないで、」


 李・ポルシェが魔物の手に落ちてしまったことを知り、二人の冒険者が教会から派遣されていた。


 一本の巨大な斧を持ち、紫がかった短い髪を生やし、緑と黒の迷彩色のダボっとしたズボンを黒のブーツに入れ、鎖かたびらの上に白を基調とした軽い外套を来ている背の低い少年。


 もう一人は水色の肩が出たローブスカートに紺のマントを羽織っており、白い長靴を履いている少し背の高い大人の女性であった。

 その二人組は海から吹いてくる冷たい風を感じながら、街の入り口を示すアーチを慎重にくぐってその足を踏み入れた。

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