インタールード


ーー城での戦いから十六年後。



「エリン……可愛い私のエリン……、こっちへ」


 魔王はよく夢を見るようになっていた。

 ベッドから体を起こし今日も同じ夢か、と頭をぷるぷると振る。


「誰なんだ、エリンって奴は……」

 彼が見る夢は、長い黒髪と黒い透けたレースを羽織り、その母体のような丸みを帯びた身体が半分ほど見えてしまっている女性がこちらへと両腕を伸ばして呼びかけてくる、というものだった。


 顔はよく認識できない上に「エリン」という名前に思い当たる節がなく、彼はあまり気に留めていなかったが最初は半年に一回見る夢を今では月に二度は見るようになっていたため少しだけ気がかりになっていた。


 魔王城の二階の自分の寝室で彼はため息を着くと、服が入った大きめの衣装棚をゴソゴソと漁り出す。



 顔はあまり変わってはいないが彼の体は大きく成長していた。

 裸にスーツのような黒い上着を羽織り、下もいそいそと足を入れていく。



 今日は城での戦いから十六年が経つ。

 魔王城にはその間運良く人族が数名ほど訪れたが彼に敵うものはおらず、城にいることはとても退屈だった。

 彼にとって楽しみだったことはたまにユリアの回復を見守ることボーガンから彼女の話を聞くこと。

 あとは若い精力のある体のせいなのか、シェリルをからかうことくらいだった。


「さてと、」

「シェリルはいるか!?」


 部屋を出て行き彼が向かったのは同じ階にある城の執務室だ。

 といっても統治は各領地に任せてあるため月に一度義務付けされた人間の冒険者の詳細や孤立して動く魔族の情報などの定期連絡をそこで整理する、といった程度にしか使用されていなかった。


「なんですか? 魔王様」

 魔王が執務室の大きな扉を開けると机の奥に竜神「シェリル」が立っていた。

 彼女の容姿は変わってはいない。

 しかし裸では魔王の目に毒なため一応城では体の一部を隠すようになっていた。


 胸部を二枚の真紅の鱗から作った下着で隠し、その上に背部の空いた黒いランジェリーのようなドレスを首から紐で下げて腰の少し下までを隠していた。


 シェリルの胸の谷間と背面で交差する二本の細い暇、そしてあらわになっている太ももが中途半端に体を隠していたため逆に魔王には少々刺激が強いものであったが、飛竜の姿にしてしまえば関係なかった。


 魔族達からの連絡を王が眠っている間彼女が処理していた。

 彼女が納める第二領は現在、その統治を後継育成もかねて竜人族の部下に任せ、拠点は空を飛ぶ魔物であるガーゴイル達に管理させている。


 シェリルは第二領を部下へと託し、ゆくゆくはこの城で魔王とのんびりと暮らすつもりであった。


「第六領へ行くぞ。今日はあれから十六年が経つ」

 魔王は少し目を下へと背けて指示を出す。


「最近はご一緒してませんでしたからね……かしこまりました。準備が出来たらバルコニーにいらっしゃってください」

 シェリルは表情を少し穏やかなしてそう言うと、執務室から出て行った。


 魔王は思い出す。


 十六年前の城の戦い。


 彼が戦ったイシダという男のことやユリアという少女のこと。そしてヴィタという女性のこと。

 魔防壁の強度を高く保てていれば、あるいは広範囲攻撃に頼らず、近距離戦を仕掛けていれば変わっていたかもしれない、という思いは彼から消えたことはなかった。

 書類が報告書の乗った大きい机の上に腰掛け、一枚の書類を心無しに眺める。

「幸甚の国か、愚かな……」

 そう呟いて彼は城のバルコニーへと向かった。



 既に飛龍へと変化していたシェリルが待つ。

 魔王がその背中に乗ると、彼女は第六領のユリアの家へと向かった。



ーーーーーーーー



「ユリアおばさん! いつものやつやってよ!」

 そうユリアに話しかけるのはエルフの子供達だ。

 彼女は年こそ三十を超えていたが透明感のある肌とその小さい顔のパーツから現れる天真爛漫な笑顔は変わってはいない。

 今は深緑のワンピースをよく着ていて、その上に茶色のケープマントを肩に羽織っていた。


「おばさんじゃありません。まだお姉さんなんですから」

 そう言った彼女は数人の子供達に向け大きな水球を手に持った杖から発射した。


 その水球は空中に浮かび上がり、頭上から子供達に落下した。バシャーン!と音を立てて割れた水球は滝のように子供達に降り注くと地面の上に貯まり、小さなプールとなった。


「ありがとう! おばさん!」

「後は水着のギャルがいればな……」


 エルフ達の間で魔法を使いこなす魔女として慕われていたユリアは時々こうして子供達と遊んだり、魔法で作った道具「魔道具」を彼らに分けたりして穏やかな時間を過ごしていた。


 エルフの住む樹木「エルポルム」での暮らしの中で少しずつ、過去の戦いで失われた命と向き合い彼女なりに折り合いをつけていったのだ。


 子供達の笑顔を見て満足したユリアに雲の体を持つランプ「ボーガン」が話しかける。


「ユリア、魔王様達がきたぞ」


「はーい。一緒に帰ろうか」




 最初の一年か二年程は二度と杖に触れることもできなかったことを彼女は思い出す。


 魔法を使って失敗することが怖かった。

 また何かを失ってしまうのではいか、と。


 ボーガンは彼女の側にいてそっと見守っていた。

 彼女を一人にするのは危ない、という彼の判断だ。


 新しい服を買ったり、彼女のために人間の料理の作り方を覚えたり、またある時は雲になって彼女を乗せてエルポルムの頂上まで登ったりと大変な時もあったがユリアが再び元気な笑顔を取り戻すために彼は諦めなかった。

 時々魔王やジーニィ、オルガ達が訪れて冒険の話をしたり彼女の体調を心配して宴を開いたりしていく中でユリアが再び笑った時、一番喜んだのはボーガンだった。

 


「おーい! 魔王様ーー!!」

 ボーガンが呼びかけ、シェリルと魔王はユリアの家の前に降り立つ。


「すまないボーガン、最近少し立て込んでてな」

 シェリルはそう言うと飛竜から人間の姿へと戻っていく。


「また魔王様背が伸びた?」

 ユリアはその顔を見上げながら尋ねた。


 上目遣いが彼には少しだけ毒だ。

 目を逸らし、「まあな」と拳を口に当てながら誤魔化すと彼はこう続けた。


「ユリア、元気そうでよかった。

 早速だが我々は行こう」


 彼らが向かう先は墓である。


「私たちも行くよ。みんなで行こう。」

 ユリアが表情を落ち着かせて言い、四人はエルポルムの根本にある墓地へと歩き出した。


  ◇


「さてと、帰ろうか」

 墓参りを終えた彼らはユリアの家へと行き、食事を共にすることにしていた。


「魔王様聞いてくれよ、最近ユリアの寝言が酷いんだ。俺の雲の体をお菓子だと思って『ボーガン美味しいね、』って食べてるんだよ。おかしくなっちまうよ俺……」



 ボーガンの愚痴に顔を赤くしたユリアが言い訳を述べていると魔王を突然の頭痛が襲う。



「!」


 見ている世界に一瞬ノイズのような乱れが生じ、彼は頭を抱えたがそれはすぐに治ってしまった。


「魔王様、お体がどうかいたしましたか?」

 側を歩くシェリルは眉をしかませた心配の表情を浮かべながら彼の背にそっと手を置いて尋ねる。


「大丈夫だ。最近よくあるのだがすぐに治る……」


 魔王はそれがすぐに治ると思っていた。




 だが、


 その日は違った。



「エリン、私の可愛いエリン……こっちへ」


 頭に幻聴のような女性の声が聞こえてきて激しい頭痛に襲われ、彼はその場に倒れてしまった。

 

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