ユリアの不安


「これをやろう」

 シェリルは、八つの穴のあるオカリナのような赤い鱗でできたゴツゴツとした笛をユリアに渡した。


「吹いてみよ」とさらに彼女が言うので、ユリアは試しに音を出してみた。

 音色もオカリナで、特に何も起こる様子はない。

「しばし、待て」

 ユリアは不思議そうに眉をしかめるも、言われるがままに待った。

「これ、魔力を感じるぜ」

 とボーガンが言う。



 やがて、金色の鱗のある身体を持った飛龍が、天井をすり抜けてバサバサとユリアの横に降り立った。

 翼の起こす風がユリアのスカートと髪を揺らし、彼女は思わず身を縮める。


 飛龍はガッチリと太い後ろ足で立ち上がり、その大きな二枚の翼を、風を起こしながら丁寧に畳んでいく。前足は後ろ足に比べると小さい鋭い爪をもっていた。


「これが、ドラゴン……」

 ユリアがその体を見上げる。

 竜族は個体数が少なく、人間が見かけることはほとんどない。

 飛龍が馴染みのない彼女の顔を見て「何用ですかな?」と口を開き尋ねた。口の中の何本もの牙はとがり、その舌は長い。



 シェリルがおもむろに立ち上がり、口を開いた。

「私が呼んだのだ。この者らに人族の調査をしてもらう。手前まででいい、連れていってくれないか?」

 それを聞いて、「承知いたしました」と飛龍は自身の体を屈ませて「乗るといい」と二人に言う。



「その笛があれば、我ら竜族の者が助けになろう。契約の証だ。しばしの間だが持っていけ」


 それを聞いてユリアは、優しいじゃん、と心の中で思い、よいしょ、と飛龍の背に足をかけて乗ってみた。


 多少鱗がゴテゴテしているが、乗り心地は悪くない。


「ヴィタ!」

 ユリアが腕を伸ばすと、ボーガンがそれを伝って肩へと登りら事態をまだ把握できていなかったヴィタは手を掴んで彼女の後ろに乗った。

 彼女の腕がユリアのお腹へと回される。


「目を瞑っていろ」

 乗ったことを確認した飛龍はそう言うと、金の翼を広げ、天井目掛け飛び立つ。

 そして光の投影をすり抜けて山頂から飛び立った。


 ◇


「すごいぜ、あんた!

 おいユリア! 目を開けろよ!」

 肩でボーガンが言うので、ユリアは恐る恐る目を開ける。

 空と大地と、広大な山々の景色が彼女の目に飛び込んだ。


「おぉー! た、高い!」

 遠くに日が沈みかけている。

「なんだろ、あれ」という彼女の眼下には、いくつもの篝火が立つ拠点のようなものが見え、魔物たちが動き回っているところが確認できた。



 風が彼女のスカートをパラパラとめくる。

「大丈夫? 落ちない・・・・・・?」

 飛龍に乗る、という初めての経験が慣れなかったのかヴィタは周りを見渡して少し不安そうだ。ユリアのお腹を握る指に力が入る。


 そして飛龍が、「よく掴まっていろ」と言いい、彼は加速したーー。


  ◇


 彼らが大地に降り立った時、既に日は暮れて夜になっていた。

 ユリア達を下ろし、

「その笛を吹けば、我らが飛んでいく。無闇に吹けば、わかるな?」と言う飛竜の口から、炎の吐息が漏れる。


「ありがとう」

 ユリアがそう言うと、彼は空に飛び去っていった。


「仕方ない、今日はこの辺で野営ね」

 ヴィタの提案に、「俺が見張っててやるから、安心して寝ていいぜ」とボーガンが言う。

 辺りは暗くて視界が悪い。

 ユリア達は道から外れた林の中に寝袋を広げて夜営をすることにした。

 


 寝袋の中で、ユリアがおもむろに口を開く。

「私、勇者だったらあのシェリルって人と戦うことになってたのかな」


「なあに、不安なの?

 今のあなたはもう違うわ」


 ヴィタはユリアの方に振り向き、目を見て言う。

「仮に戦ったとしても、死ぬとは限らないじゃない」


 その励ましは嬉しい。でも、


「うぅん違うの……私は何と戦えばいいのかなってボーガンやシェリルを見てたら……」



「ユリアはユリアの為に戦っていいのよ。私たちはそれについていくって決めたんだから」


 嬉しい、遊び人を見つけに行くって決めたのに、どこかで不安だったんだ、とユリアは心の中で気がつき、

「ありがとうヴィタ」

 と言ってその頬にキスをすると、途端に顔が赤くなり、ユリアの顔に自然と照れ笑いが浮かび上がる。




 その無邪気な表情が、ヴィタの心臓の鼓動を早めた。


 彼女は自分の、半開きになってしまった口の唇を人差し指と中指で摘むと、ゆっくりとその指をユリアの頬へと差し出し、


 そして、

「おいおい、俺もいるぜ」

 とボーガンが言い、見つめ合う二人を驚かせたのだった。


  ◇


 この世界にも雨は降る。

 ポツポツと降り始めた雨粒が木々の間から滴り、ユリアの頬へと落ちて、眠っていた彼女を起こした。


 続けて彼女はヴィタを起こし、見張りをしていた寝ているのか寝ていないのか分からないランプを掴んで歩き始めた。



「うわっ、やだっ」

 ヴィタが手で雨を防ぎながら言う。

「ゆ、揺らさないでくれ、酔っ払う!」

 目を覚ましたボーガンが言い、ユリアはごめん、と言って肩の上へ乗せた。



「ってなんだ、雨か。俺に任せな」

 落ち着いて二人の様子を見た彼はランプからモクモクと雲を吐き出していく。

 すると、その雲は二人の頭上に留まり、雨粒を吸うことで防ぐ簡易的な傘になった。


「おぉー、これはすごい」

「あんた、やればできるじゃない」

 二人がその下で褒めるも、「ずっとは無理だから、ずっとは」と彼は先を急がせるのだった。



 雨を避けて走り出していたユリアの目に、突然赤い何かが映る。


 スライムの核だ。ユリア達を敵と見なし、その核は水分を吸収していく。そしてみるみると大きくなっていき、二人の前に立ち塞がった。


「うわぁ」

 ユリアはスライムが苦手だった。ブヨブヨしてヌメヌメして気持ちが悪く、なるべく遭遇したくはなかった。

「いや、私あれは無理」

 ヴィタもスライムが苦手だった。同じ生き物だと思えなかった。



「やるしかないかぁ」とユリアは泣く泣く杖を取り出す。「なるべく早く頼む」とボーガンが処理を急がせる。



 まず、〈魔刃〉を用いてスライムに抵抗を試みるも、切断したスライムはすぐさま融合し、元に戻ってしまう。

「氷、氷は!?」

 ヴィタがわめくので、作戦を変えた。


 地面に溜まった雨水を氷へと変えて這わせる作戦だ。

「これなら……“凍れ”」とユリアが唱えると、地面からピキピキと氷が這い、スライムへと向かう。


 そして、スライムを凍らせた。

「最後に核砕かないと」と遠くからヴィタがトドメを催促する。

「わかったよ」と〈魔刃〉で氷ごと核を砕き、スライムを倒すことに成功したのだった。


  ◇


  しばらく歩くと人族の領地である第C地区に入る。境界のようなものはないが、ある地点からバリケードや、石で作られた簡易的な拠点など人工物が増え始める。


 ユリアはヴィタへとフードを返し、雲は目立つのでランプへと収まっていった。



「ここまできたら、とりあえず大丈夫かな」

 ユリアが囁き、二人に敵地だと告げる。が、建物はあるが周囲に人はいない。静まり返っている。それに、辺りを見渡すとそこら中の物資が壊されている。



 明らかな異常に、「なにこれ……」とユリアは周りを見渡しながらつぶやいた。


「何かあったのかしら」

「用心しろ」と二人も警戒を強め、背中を自然と合わせる。

 


 そこに近づく一人の人間がいた。

「ユリア、ユリアでしょ!? 

 私だよ! ジーニィだよ! 覚えてる?」


 賢者だ。

 しかし、様子がおかしい。何者かに追われているようだ。

「再会できたとこ悪いんだけど、手伝ってもらいたいの」と言ってユリアの手を取るも、その後ろに隠れてしまった。



 そして、彼女を追っていた一人の町人が、一行の前に姿を表した。

 主婦の格好をしており、前掛けが雨で汚れてしまっている。その手にモップを持ち、槍のように構え出した。


「妙ね、」

 ヴィタが言うのも束の間、モップがユリア目掛けて突き出された。


「どういうこと?」とそれをかわし、ジーニィに聞いてみるが、彼女も「分からない! 様子がおかしいの!」と言うだけだった。


「ひとまず、動きを止めるんだ!」

 ボーガンの提案を聞いたヴィタが、『勇者見習い』の足元に、ぬかるむ地面から小さな沼を作り出し、転ばせることで動きを止めることにひとまず成功する。


「これで大丈夫ね」

 思うように足が動かせない町人を彼女が観察する。目は焦点が合っておらず、まるでゾンビのようであった。


「この人たち、何?」

 その正体に検討がつかず、彼女はジーニィに尋ねてみたが、事態を把握できていないようだ。知らないです、と首を横に振る。


「ひとまず、城に向かってみよう。何かわかるかも」

 ユリアの提案で、彼らは城に向かうことを決めた。 ヴィタは羽を生やそうとするが、「お願い、一緒にいて」とユリアが言い一緒に走ることになった。



「ジーニィ、ここの人たちを頼める?」

 ユリアたちはそう言って城へと向かいだす。

「待って!」とジーニィは声をかけるが二人はもう足早に走り出してしまった。


「解けたんだね! よかった!」

 振り返るユリアの大声をきいて、


「魔法使いのローブにあのランプ……、どういうこと!?」彼女は混乱し、更に頭を抱えるのであった。


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