勇気の出し方
「ほ、ほほホントに……ここで合ってるのかな……」
「緊張しすぎだ。その質問何回目だ?」
「だってぇ……」
8月9日金曜日。私は栞ちゃんと一緒に美容室の前まで来ていた。
「もうすぐ予約の時間になるんじゃないか?遅れたら余計に入りにくくなるぞ」
「分かってる…分かってるけど……」
栞ちゃんについてきてもらったのは私が逃げないようにするためだ。今でさえお店の前まで来ているのに足がすくんで動けなくなっている。折角栞ちゃんからオススメしてもらったお店なのに……
「………大丈夫だ。七海はかわいい。自信を持て」
「…………ぐぅ……頑張る……」
時間にも急かされ、栞ちゃんからも背中を押された私は新しい自分に生まれ変わるための第一歩を踏み出したのだった。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
「っ……あっの!…………木下七海とっ……いいます!!」
「はい。お待ちしておりました。ではこちらにどうぞ」
身長が高く、ショートカットの綺麗な女性の店員さんに案内され、大きな鏡の前に座る。こんなとこ初めてだからすごく緊張する。ちゃんと受け答えできるかな……
「……こういった店は初めてですか?」
「は、はい!!」
「…………ふふっ。でしたらこちらをどうぞ。お好きなモノをお食べください」
「で、ででは…………」
突然店員さんから菓子盆を渡され、とりあえず私はその中にあったオレンジ味の飴を貰った。
「……お、おいしぃです」
「それは良かったです。ではまずは簡単なアンケートにお答えください。どれも考えすぎないで良いので、思ったままにご記入ください」
次にタブレットを手渡され、アンケートを記入させられた。美容室なんて髪を切られるだけだと思ってたのに色んなサービス?みたいなのがあってドキドキする。
「…ぁ…………」
ドキドキしながらもアンケートに答えていると、とある項目で手が止まってしまった。それは「変わろうと思ったきっかけは?」というもの。回答はしなくても良かったんだけど、その項目を見た瞬間に彼の事を思い出してしまって固まってしまった。
「どうされました?」
「あっひゃい!!」
手が止まってしまっていたのを気づかれ、店員さんに声をかけられてしまった。店員さんはタブレットをチラリと覗き込み、微笑みながら私の肩に手を置いた。
「きっかけなんて人それぞれですから、気にせず無回答で構いませんよ。どう書けば良いか分からない。という場合は私が今からいくつか例をあげますのでそちらを参考にしてみてください」
店員さんは私の肩を優しく揉んでくれながら、いくつかの例をあげてくれた。
「例えば新しい生活。こういうお客様が多いですね。新生活を機に挑戦してみようとこの店を選んでくださります。次に多いのは…なんとなく。ですかね。意外と多いんですよ?なんとなく変わってみたい。なんとなくチャレンジしたい。でもそういった何気ない気持ちも大事だと思います。そしてお客様のような年頃でしたら………」
店員さんの上手なマッサージに心がホヤホヤしていると、店員さんが鏡越しに私の目を見つめ、少し意地悪な口調で訪ねてきた。
「恋……ですかね」
「こっ…………!!?」
『恋』
そう言葉にされた瞬間、一気に私の心臓の鼓動が早くなった。確かに思い返してみればそうなのかもしれない。そうなのかもしれないけだ…………!!
「……………………」
後ろの待ち合い席で座ってる栞ちゃんからものすごい圧を感じるんですけど……!!!違います……取る気はないんです…………!!
「……失礼しました。ではそちらは無回答でかまいませんので、そろそろ始めて参りましょうか」
私が黙りこくってしまうと、店員さんは申し訳なさそうに色んな準備を再開し始めた。でも私はここに覚悟してきている。ならこんなところで悩んでいても仕方がない。
「あ、あの……!!」
「はい」
「……お、お、お願い…します…………」
「…………はい。ありがとうございます」
私は全て記入し終わったタブレットを店員さんに渡し、店員さんはすごく嬉しそうに微笑みながら受け取ってくれた。
その後も様々な話をしながら進んでいった。カットとか、シャンプーとか、ヘットスパとか、気がついた頃には一通り終わっていて、私は改めて大きな鏡の前に座らされることとなった。
「………………すごい」
仕上げまで終わり、鏡に写った姿を見て驚く。ここまで変わるものなのかと。自分で言いたくはないが…とってもかわいい。これがプロの力ということなのだろうか。
「どうですお客様。気に入っていただけましたか?」
「………はい…ありがとうございます…」
「どういたしまして。……それにしてもお客様、本当にかわいいですね」
「……へ!?」
急に店員さんが耳元に近づいて囁いてきた。なんかちょくちょく距離が近い気はしてたけど今回ばかりは勘違いじゃすまない距離だ。
「どうです?この後のご予定は?よければお食事でも……」
「あわわわわ…………」
「姉さん。訴えるよ」
私が返答に困っていると、栞ちゃんがやってきて店員さんを引き剥がしてくれた。……ん?姉さん!?
「いやん。栞ちゃんこわーい」
「はいはい……」
ふたりは仲睦まじく会話し始めた。確かに並んでみれば似てるような気もするけど……というかだとしたら美形家族すぎない?
「えっと……栞ちゃんその人は…………」
「ん?あぁ実はな。姉さんは私の父方の親戚なんだ。変な人だけど腕は確かだ。店も伽藍堂だし丁度良いかと思ってな」
「おっと伽藍堂とは聞き捨てならないな。今日は七海ちゃんがいるじゃないか!」
ついさっきまでカッコいい人だったのに急に陽気な変な人という印象に早変わりした。私がその圧に押されていると、店員さんは栞ちゃんを「まぁまぁ。少し待ってて」となだめ、再びカッコいい表情になった。
「さっきのは冗談ですけど…お客様のかわいさは本当です。どんな相手だってイチコロです。約束します。これでオチない相手が悪いってくらいです」
「そ、そう…………ですか?」
「はい。だから自信を持ってアタックしてみましょう。良い報告待ってますよ」
「…………っはい」
私と店員さんとの会話に栞ちゃんは「やれやれ」と頭を抱えていた。多分この様子だとバレてる。栞ちゃんは察しが良いから。
こうして美容室を後にした私達は、次の目的地へと向かって進み出したのだった。
「いらっしゃ…あ!七海ちゃん!久しぶり!」
「……どうも」
「どうぞどうぞこちらに座って。今日はカットでいいんだよね?」
「はい。お願いします」
「うん分かった任せといて。ところでどうだった?きっかけをくれたあの人とは」
「……………おかげさまで」
「ほんっとに!?見る目あるねぇその人も!ちょっとお姉さんに聞かせてよ!」
「話ながら出来ますか?」
「………言うようになったね。さては栞の入れ知恵だな?でも私はプロだよ?そこは抜かりなくやるから安心して」
「…………じゃあ、お願いします」
「はい。ではまずは――――」
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