温泉旅行は満喫したい その5

「センパイ……セーンパイ…」


「んっ…………んー……」


 耳元の囁き声で目を覚ます。仰向けで寝ていた俺の上に重なる形で燈がいて、俺が起きたのを確認するといつもの元気いっぱいな笑顔を向けてくれた。


「おはようございますっ」


「……おはよ」


 部屋の時計を見て時間を確認するがまだ6時。いくらなんでも無理だ。


「悪い燈………流石に……」


「…………なんですか。ボクが四六時中えっちなこと考えてるって言いたいんですか」


「……違うのか?」


「今回は別件です。ほら起きてください」


 燈に急かされるままに体を起こす。よく見たら燈は既に浴衣から着替えており、外に出られるような暖かい服装をしていた。


「どっか行くのか?」


「そうです。観光スポットってやつですね」


「……分かった。すぐ準備する」


 軽く準備運動をしている燈を待たせないために俺もすぐに着替え、ふたりでこっそりと部屋を抜け出した。


「うぅ…………さむぅ……」


「11月だしなぁ………」


 朝の温泉街を手を繋いで歩く。周りを見ると俺達の他にも数名が同じ方向へと歩いていることに気づいた。有名な観光スポットってことなのだろうか。


「………楽しかったですね。旅行」


「まだ終わってないだろ」


「それもそっか。帰ったら温泉入っちゃいましょっか。もちろんふたりきりで」


「皆が寝てたらな」


 何気ない会話をしながらのんびりと目的地に向かって歩く。朝というのもあるのだろうが燈は普段よりも静かで、違った印象を受ける。


 そんな落ち着いている燈と歩くこと数分。目的地らしき場所へと辿り着いた。

 そこは地元では有名な湖らしく、湖面に湯気が立っているなんとも幻想的な景色が広がっていた。湖の周りにはモミジやカエデが生えており、見事な紅葉で湖を彩っていた。


「ここの湖には温泉水が混じっててですね、水温が一年を通して高いんです。だから秋とか冬になると温度差でこういう風景になるんです」


「……詳しいな」


「ちゃんと調べました。こういうの好きなんです」


 湖の周辺の遊歩道を歩きながら燈の解説を聞く。燈の落ち着いた雰囲気がこの幻想的な風景に合っていてとてもリラックス出来る。早起きした甲斐があったってものだ。


「…………ね、零央センパイ」


 しばらく歩き、半周ほどしたところで燈が急に立ち止まって湖を囲っている塀に手を置き、湖を眺めて語り始めた。その立ち姿は本当に綺麗で、燈がいつもよりも魅力的に見えた。


「ボクたちって、付き合ってるわけじゃないですか」


「……そうだな」


「だったらそのうち一緒に暮らしますよね?」


「燈が俺に愛想を尽かさなきゃな」


「今さら零央センパイ以外なんて無理ですよ」


 綺麗な湖を眺めながら軽い冗談を言い合う。すると燈は俺の方へと体を向け、凛々しいような可愛らしいようななんとも燈らしい表情で笑っていた。


「というわけで今からボクのワガママをします。待ったは無しですからね」


「……いいよ。ドンと来い」


 こんな場所でキスでもされるのだろうかと心配になりつつ、俺は燈を受け止める準備を整えた。だが燈はそんな俺の考えとは裏腹に優しいハグをしてきて、俺の胸に顔を埋めながらある言葉を告げた。



「愛してるよ。零央」



「………………っ……ぉう」


「…………めっちゃドキドキしてるじゃん。心臓の音すごいよ?」


「ぃやっ…………だって……」


 不意打ちだからというだけではない。普段の燈からは考えられないほどに柔らかいハグ。そして言葉遣い。可愛い後輩の彼女というより1人の女性の恋人だと無理矢理認識させられてしまった。その凄まじい破壊力に脳は追い付かず、心臓は凄まじい勢いで鳴り響いていた。


「…………どう?惚れ直した?」


「………惚れ直しました」


「やったね」


 俺の率直な感想を聞いた燈はすぐにハグをやめ、俺に背を向けて遊歩道を進み始めた。


「さっ……帰りましょうか!」


 何かを誤魔化すようにいつも通りの明るさになり、敬語に戻る燈。そんな燈に俺からの真っ直ぐな想いを返した。


「俺も燈を愛してるよ」


「…………っ……知ってまーす」


 耳が真っ赤になった燈は歩くスピードを上げ、俺から逃げようとし始めた。俺はそんな燈に走って追い付き、手を握って一緒に歩き始めた。



「…っ………あっつぅ…」


「………11月だしなぁ」


「…いや関係ないじゃん」


「……確かに」


 そのまま旅館へと帰る頃には皆が起きており、どこに行っていたのかと問いただされ、朝御飯を食べた後に皆でもう一度向かうことになるのだった。



 そして、この日から燈は俺への敬語をやめ、互いの関係はより深まることになったのだった。

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