第49話     は悩み続ける

 9月4日水曜日。今日はバイト出勤2日目。今日も乃愛が仕事を教えてくれているわけだが…


「えっとここはね……こうして………」


 昨日の楓との一件を気にしているのか、それとも体調が悪いのか定かではないがあまり調子が良さそうには見えなかった。だがそれでも乃愛はしっかりと仕事をやりきった。一緒にスタッフルームに向かっている際には凄まじい形相をしていたが。


 何かしら声をかけようかとも思ったが本人が言わないなら触れない方が良いだろう。そう考えて帰ろうとすると、何故か乃愛の方から呼び止められてしまった。


「途中まで方向一緒だよね。昨日のことで謝りたいんだけど……ダメ?」


「別に気にしてねぇよ」


「私が気にしてるの。だからせめて飲み物くらい奢らせてよ」


「…………はいはい」


 こういうのは一度スッキリしておいた方が後腐れがなくて良いかと思い、俺は乃愛の提案にのることにした。


「どれがいい?なんでもいいよ?」


「水でいいよ」


「欲がないなぁ………はい」



 店の前の自販機で乃愛から水を買って貰う。その後すぐに俺は自販機に小銭を入れ、乃愛に尋ねた。


「お茶でいいか?」


「え………いやいや私はいいよ」


「仕事教えてくれてるお礼だよ。今日だけだから貰ってくれ」


「…………分かった。お茶で大丈夫」


 乃愛に確認をとり、ここ数日のお礼として小さめのお茶を買って渡した。


「…っ…あっつ…」


「あ、わりぃ……大丈夫か?」


「大丈夫…ちょっとビックリしただけ……」


「…………冷たい方が良かった?」


「……ううん。暖かいのが飲みたい気分だったから大丈夫」


 一瞬余計な気づかいかと思ってヒヤッとしたが、乃愛は笑顔で受け取ってくれて、一口飲んでから俺に頭を下げた。


「昨日は楓が迷惑かけてごめん。嫌な思いしたよね……」


「まぁ……迷惑だったのはそうだけど水上が謝ることじゃねぇって。七海だって気にしてないし、それに宮野が言わなくても誰かがいつかは言ってきたよ」


「…………そっか。ありがと」


 俺の返答に乃愛は納得してくれたのか、頭を上げた時には先ほどよりも朗らかな顔になっていた。


「じゃあ俺はこの辺で……」


「あ……うん。また今度ね……」


 俺は乃愛になるべく必要最低限の話で済ませると、自転車に乗って逃げるようにその場を離れることにするのだった。


 ――――――――



「……おいし」


 井伏くんに貰ったお茶を飲みながら帰路に着く。さっきまでのストレスが全部溶けてくみたいでとっても美味しい。きっと偶然なんだろう。だけど偶然じゃなかったとしたら……私達と何が違うんだろう。やっぱり楓と色んな事を話すべきなのかもしれない。


 そうだ。きっとそれが私の間違いだったんだ。あれだけ昨日の楓に怒ったくせに私だって内心どこかで諦めてた。もっと私の気持ちを知って貰おう。そうすれば楓だってきっと……




『悪い……まだ気持ちの整理ついてなくて…今日はキツい』


「………分かった。ごめん」


 急いで話がしたくて通話したものの楓の声色はとても暗く、話が出来る状態ではなかった。昨日の今日だ。仕方ない。あんな喧嘩なんてしたことなかったし、落ち込んじゃうのも分かる。


 だけど……だけど…………


「…っでもやっぱりどうしてもさ、今日……話したいんだけど……ダメかな?」


『………まだ課題終わってないから』


「あ、じゃあ私が教えてあげるよ。今から家行くからさ。一緒にやろ?ね?」


『別にいいって。意味ないし』


「い…み………?」


『話くらい明日の朝で良いだろ?登校しながらさ』


「え、あ、……えっと…うん」


『……じゃあまた明日』


 楓はそう呟くとすぐに通話を切った。


 そう。別に今日じゃないだけだ。明日登校しながら話してくれるって言ってくれたし、これで一歩前進だ。この調子で………この……調子…………で……


「意味って…………なんの……」


 違う。絶対に違う。


 私と一緒に課題しても進まないからとか、話しながらじゃ終わんないとか、そもそも遅い時間だからすぐ帰んなきゃいけないとか、そういう事だ。



 だから違う。違うに決まってる。いくらなんでもそんなこと言わない。分かってる。メンタルが不安定だからそう聞こえちゃっただけ。早く帰ろう。早く寝よう。明日になれば全部忘れてる。そして楓とこれからについて話そ――



『別にいいって。意味ないし』



「っ…………ちがぅ……ちがうのに……なんで………」


 何を考えても楓の言葉が頭をよぎる。楓を疑ってしまっている悔しさが壊れかけの心を握り潰そうとしてくる。



「……………ぅ……うぅ……」



 私は…………楓のことが……



「なっ!?」


 あまりの苦しさに私が立ち止まって涙を流していると、正面から急に自転車特有の甲高いブレーキ音が聞こえてきた。

 その自転車は減速しながら私の隣で止まった。こんなところで泣いているから心配させてしまったかもと思って私が謝るために顔をあげると……


「えっと……なんで泣いてんの?」


「っ……井伏…くん…………」



 ―――――――




「まぁ……流石に考えすぎだな」


「…………だよね」


 家の鍵を忘れたことに気づき全速力で店に戻っていると、道の端っこで立ち止まっている人影があった。

 遠目に見ても泣いていたのは分かった。そして近づくにつれてそれが乃愛であることに気づき、思わずブレーキを踏んで声をかけてしまった。


 ひとまず店に戻ってから鍵を回収し、近くのコンビニの前で乃愛から一連の流れの説明を受けたのだが流石に考えすぎだろうという結論に至った。


「明日しっかり話せばいい。そういうのが一番大事だからさ」


「うん…………うん……」


 このアドバイスは何も適当にしてるわけではない。ゲーム中でもふたりはこれが問題になるからだ。


 乃愛は楓の女性関係に対して昔から不満を抱いていた。だがそれを本人に伝えるわけでもなく、許すことを選んでしまっていた。なので乃愛の攻略で大事なのはとにかく話すことだ。


 1周目とルート以外での乃愛とはある日大喧嘩をしてしまう。そんな傷心している乃愛に近づくのはもちろん井伏零央。言葉巧みに乃愛に近づき、乃愛も零央が危険な人物であることは理解しつつも、流されやすい性格の乃愛はその熱いアプローチに体を許してしまう。


 そうなったら後はもう零央の独壇場だ。性に疎かった乃愛の体は次第に開発されていき、あっという間に彼のセフレであることに幸せを感じることとなる。


 その後、零央はいつものように楓に対して乃愛とのハメ撮りを送りつけ反応を楽しもうとした。だが1周目の楓はこれに対して怒るどころか動画内の乱れている乃愛を見ながら自身を慰める始末。この反応に退屈さを感じた零央は乃愛を捨てて学校を辞める。


 乃愛に残されたのは愛していたはずの男に2度も捨てられたという事実と零央以外では満足出来なくなった己の体。

 そして零央との最後の行為で身籠ってしまった新しい命だけだった………




 というオチだ。他に比べればシンプルなNTRで色々と使いやすい。ちなみにイベントの発生タイミングは好感度が一定値を下回った時。なので乃愛の好感度管理がとても大事。だというのに選択肢をほぼノーミスでやらないと終盤は好感度が足らなくなる。引っ掛けのように置いてある性的な話題も選ばなきゃいけない時もあってこれがホントに難しかった。最後には零央との喧嘩が始まって激ムズQTEもやらさるし。正直二度としたくない。



 こうして改めて振り返るとそもそも楓のような男が色んな女と交流を持とうとしてることが全ての間違いだったように思える。七海以外のヒロイン達がバッドエンドに入る切っ掛けは楓への失恋がトリガーになっている。楓が責任を取るつもりもないくせに好意を振り撒いたせいだ。つまりゲームの2周目以降でプレイヤーがやらされてたのはヒロインの攻略というより楓が作った爆弾の処理だったわけになる。なんで俺達がバカ男の代わりにそんなことしなきゃいけな………



「あ………そういうことか…」


「…………どうしたの?」


 1つの仮説に至り、思わず口に出してしまった。乃愛はようやく落ち着いたのか泣き止んでおり、不思議そうに俺の方を見つめていた。


「いや……なんでもない。落ち着いたか?」


「……うん。ありがとう」


 とりあえず今は乃愛の体調が大事だ。そう考えた俺は乃愛に両親へと連絡して迎えに来て貰うようにと説得した。乃愛もそれをすんなりと受け入れてくれて数分後には乃愛の母親が迎えに来てくれた。


 その様子を最後まで見届けた俺は、家へと帰りながら導きだした1つの仮説について考えていた。



 この仮説がもしその通りだとして。俺はどうすれば良いのだろうか。何をするのが最善なのか。



 どれだけ考えても結論には辿り着けず、眠れない夜を過ごすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る