第47話 まだまだ道のりは半ば
9月2日月曜日の放課後。俺はバイト先へと初出勤することになった。前世で数年働いた飲食店と同じような種類の店舗を選んだとはいえ流石に緊張する。初日からミスったら目も当てられない。
それに加えてもう1つの懸念点。それは今日のシフトだ。しばらく研修ということになっていて、新人の俺についてくれる指導係がいるわけだが……
「「あっ…………」」
スタッフ用の裏口にてその指導係の女子とバッタリ遭遇してしまった。
ふわっとしたボブにまだ幼さの残る顔。ゲームの立ち絵よりもこうして対面してみると細く見える。溢れるゆるふわ感は他のヒロインにはない可愛さがある。
そう。俺の目の前にいるこの女子こそが俺の指導係であり、主人公の宮野楓の幼なじみである水上乃愛だ。
「……初出勤だね!井伏くん!」
「あ………うっす。お願いします」
乃愛は瞬時に笑顔を作ると、クラスで友達と話している時のノリで声をかけてくれた。零央にすら優しく出来るなんて流石はメインヒロインだ。
「いやーまさか同じクラスの男子とバイト先が被るなんてねー。偶然だねー」
「……そうだな。水上がこんなところでバイトしてるとは思わなかった」
適当な世間話をしながらスタッフルームへ向かう。といっても俺の方は本音だ。ゲーム中で乃愛がバイトしてるなんて話は聞いたことがない。だからシフト表に見覚えのある名前があった時は心臓が止まるかと思った。逃げるために他のバイトを受けることも考えたが、ここは周辺ではかなり時給がいい。色々と悩んだ結果ビジネスライクを貫けば大丈夫だろうという結論に至った。
というわけで制服に着替えていざ初仕事。この店でのルールやら手順やらを乃愛に丁寧に教えられ、初日ということで洗い場とお客さんが食べ終わった食器の片付け方を教わった。
「初めてにしては手際良いね」
「あー……水上の教え方が上手だからだよ」
前世で俺がどんだけ働かされたことか…常にスタッフ不足で休日出勤の後なんて何回も今度こそ辞めてやろうと考えてた。まぁそれより前に俺が死んでしまったんだが。
それに比べたらここはなんと働きやすい環境だろう。スタッフも沢山いてお客さんも少なすぎず多すぎない。人間関係も悪くなさそうだし働きやすすぎて涙が出そうだ。
「じゃあ注文の取り方までやっとく?」
「出来れば。早く働けるようになりたいし」
「うん。分かった」
乃愛だって井伏零央の噂くらい知っているはずだ。楓からも絶対注意喚起はされてるだろう。それなのに俺との会話が自然に出来ている。なんというコミュ力………だがその優しさが井伏零央につけ入る隙を与えてしまったと考えると人生何が起こるか分からないものだ。
そうして俺は乃愛から他の仕事を教えてもらうことになり、ミスもなく初日を終えることが出来た。
まさしく順風満帆。学校では友達が出来たし、バイトも順調。第二の人生の初日としては完璧としか言いようがなかった翌日、早くも問題が起きてしまうのだった。
9月3日火曜日の放課後。今日はバイトに入っていないため七海と家で夏休みに買ったカードゲームで遊ぼうという話になっていた。
「れ……井伏くん。私ちょっと図書室行ってくるから先帰っててもいいよ?」
「時間かかるのか?」
「うーん……かからないとは思うけど……」
「じゃあ待ってるよ。一緒に帰ろうぜ」
「…………うん」
俺からの提案に七海はかわいくコクリと頷いて教室を出ていった。七海は俺との関係を隠したいとは言っているものの、しっかりと登下校はしたいらしい。本人曰く「同級生の特権」ということだ。ちゃっかりしてる。
というわけで待つこと10分……すぐ終わるというからわざわざついていかなかったが少し心配だ。何かしらトラブルが起きたのかもしれない。
そう考えた俺は急いで図書室の方へと向かった。しょうもないトラブルなら良いのだが、どうにも嫌な予感がする。
すると案の定、図書館前の廊下で話している七海と楓を見つけた。七海の横顔からして明らかに困っている。なにしてんだあの男は。
「木下さん彼氏いるんでしょ?だったらあんな男と絡んでたらダメだって」
「いや………えっと……」
「表面上は優しいけど騙されてるだけだよ。最近も被害にあったっていう女子がいて――」
「おい」
俺は楓から引き離すように七海の手を取って自分の後ろへと隠した。七海を心配するのはいいがさも当たり前かのように嘘をつきやがったのは流石に見過ごせない。
「なっ…お前!木下さんから手を離せよ!」
「………七海。いいか?」
「…………う、うん」
怒れる楓を説得するには関係をハッキリ伝えるしかないと感じた俺は七海に確認を取ってから楓に伝えることにした。
「…………あのな宮野。わりぃけど俺が七海の彼氏だから」
「………………は??」
そのカミングアウトに楓は理解が追い付かなかったようでしばらくフリーズすると、いきなり激昂し始めて俺の胸ぐらを掴んだ。
「んなわけねぇだろ!なんでテメェが……テメェなんかが!」
「色々あったんだよ。お前の知らないところでな」
「木下さん!どうせコイツは君の体目当てだ!君は騙されてるだけだ!」
「えっと……私達はそんなんじゃ………」
「っ…………!!」
多少の罵倒なら覚悟はしている。過去の行いからしてみれば疑われるのも当然だ。それに楓の説得には時間を要するのは分かってはいた。
……燈や栞ならまだしも七海の事で楓を説得する必要があるのは正直意味不明だが。
「そこまでにしときなよ楓」
俺と楓がにらみ合っていると、どこからともなく乃愛が現れ、楓を俺から引き離した。
「良いところに…乃愛からも木下さんを説得してくれ!井伏なんかと付き合っちゃいけない!絶対危ないことに巻き込まれるって!」
「………別によくない?本人は気にしてなさそうだし。それで何かあっても自己責任でしょ。ほら帰ろ」
乃愛はそのまま楓を引っ張って図書室前から去っていった。そういえばふたりの関係はどうなっているのだろうか。ゲーム的にはそろそろ付き合っててもおかしくないんだが……
「ね、ねぇ零央くん……」
「ん?」
「………水上さんって宮野くんの前だとあんな感じなんだね」
「確かに……印象が全然違うな」
七海に言われて気づく。ゲームでも乃愛は基本明るかったが、楓に対してだけはあたかも家族かのようなテンションで接していた。幼なじみだからと言われればそれまでかもしれないが…それだけではなさそうな事情が今の乃愛からは伝わってきた。きっと色々苦労してるんだろう。
「俺達も帰るか」
「…………そだね」
まさか2日目からこんな事に巻き込まれるとは思いもしなかった。俺が気苦労なく過ごすにはまだまだ先は長い事を身に染みて痛感したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます