　夜通（よどお）し、お姉（ねえ）さんの看病（かんびょう）をしていたので、私は寝（ね）ていない。現代（げんだい）世界（せかい）へ戻（もど）れば寝不足（ねぶそく）は瞬時（しゅんじ）に回復（かいふく）できるので、特（とく）に気（き）にしなかった。連休中（れんきゅうちゅう）は夜更（よふ）かしばかりしていたので、むしろ生（せい）活（かつ）リズムは変（か）わっていない。異世界（いせかい）だろうが、ここは小高（こだか）い山（やま）に過（す）ぎないから平気（へいき）だろう。

　お姉（ねえ）さんに肩（かた）を貸（か）して、一緒（いっしょ）に山（やま）を下（お）りる。歩（ある）きながら、「この辺（あた）りに住（す）んでいるのは私だけなのよ。自分（じぶん）の庭（にわ）みたいなものだから、安心（あんしん）して暗（くら）くなるまで山菜（さんさい）や薬草（やくそう）を採（と）っていたの。ほら、この鞄（かばん）に入（はい）ってるわ」と、お姉さんが話（はな）してくれる。私はお姉（ねえ）さんの、成熟（せいじゅく）した艶（なま）めかしい身体（からだ）に触（ふ）れ続（つづ）けていて、その柔（やわ）らかさに圧倒（あっとう）されていた。寝（ね）てないからだろうか、神経（しんけい）が昂（たかぶ）っているのを自覚（じかく）する。

「それで足（あし）を挫（くじ）いて、山（やま）を下（お）りられなくなるんだから無様（ぶざま）よね。雨（あめ）が降（ふ）ってなくて助（たす）かったわ。ところで貴女（あなた）、何処（どこ）から来たの？　休（やす）める場所（ばしょ）を探（さが）していたら、不思議（ふしぎ）な装備（そうび）で野宿（のじゅく）しているのを見（み）つけてビックリしたわ。おかげで私は、貴女（あなた）に助（たす）けられたけど」

「えーっと、説明（せつめい）が難（むずか）しくて……その辺（あた）りは触（ふ）れないでもらえると嬉（うれ）しいです。私もお姉（ねえ）さんに、立（た）ち入（い）ったことは尋（たず）ねませんので」

「……そうね。人里（ひとざと）を離（はな）れて女（おんな）が一人（ひとり）で生活（せいかつ）をするのには、それなりの事情（じじょう）があるものね。私も同（おな）じよ。いいわ、お互（たが）いに詮索（せんさく）はしないでおきましょう」

　ちょっと誤解（ごかい）があるようだけど、好都合（こうつごう）なので私はお姉（ねえ）さんの言葉（ことば）に頷（うなず）く。話（はな）している間（あいだ）に木（き）を組（く）み上（あ）げて建（た）てられた小屋（こや）が見（み）えてきて、そんなに苦労（くろう）することもなく私たちはお姉（ねえ）さんの家（いえ）へと到着（とうちゃく）した。小屋（こや）は他（ほか）にもあって、そこには浴槽（よくそう）や調理場（ちょうりば）があるらしい。

「造（つく）りが荒（あら）いでしょう？　屋根（やね）は雨漏（あまも）りがするの。恥（は）ずかしいから、あまり細部（さいぶ）は見（み）ないでね。待（ま）ってて、今（いま）、お茶（ちゃ）を沸（わ）かすから」

　離（はな）れの小屋（こや）へお姉（ねえ）さんが移動（いどう）して、私は屋内（おくない）で、椅子（いす）に腰（こし）かけてお茶（ちゃ）を待（ま）つ。お姉（ねえ）さんは謙（けん）遜（そん）していたけど（実際（じっさい）、雨漏（あまも）りはするんだろうけど）、私が座（すわ）っている椅子（いす）も、目（め）の前（まえ）のテーブルもお姉（ねえ）さんが作（つく）ったのだろう。もちろん小屋（こや）も、全（すべ）てを一人（ひとり）でだ。私には絶対（ぜったい）に無理（むり）で、どれほどの苦労（くろう）があったのだろうと思（おも）った。

「お待（ま）ちどうさま、薬草（やくそう）のお茶（ちゃ）よ。私を看護（かんご）してくれて、眠（ねむ）ってないんでしょう？　飲（の）んだら気持（きも）ちよく就寝（しゅうしん）できるわよ。そこのベッドをどうか使（つか）って」

「あ、はい。いただきます」

　木（き）のトレーに載（の）せて、ウサギ耳（みみ）お姉（ねえ）さんが温（あたた）かいお茶（ちゃ）を持（も）ってきてくれた。ティーカップは現代（げんだい）世界（せかい）にあるような陶器（とうき）で、街（まち）というか、お姉（ねえ）さんが言（い）う『人里（ひとざと）』で買（か）ったのだろう。薬草（やくそう）のお茶（ちゃ）は美味（おい）しくて、これを街（まち）で売（う）って生活費（せいかつひ）にしているのかな。

「ねぇ……『ずっと、ここに居（い）て』なんて言（い）わない。でも良（よ）かったら、どうか私の家（いえ）に、好（す）きなだけ滞（たい）在（ざい）して。独（ひと）りで生（い）き続（つづ）けるのは、もう嫌（いや）なの。貴女（あなた）の方（ほう）は、どう？」

「……ええ。私も、ずっと独（ひと）りなのは嫌（いや）です……」

　友達（ともだち）がいなくても平気（へいき）だと、私は自分（じぶん）に言（い）い聞（き）かせてきた。だから異世界キャンプで、寂（さび）しくならないように一人（ひとり）で遊（あそ）べるゲーム機（き）も持（も）って、過剰（かじょう）なほどに遊（あそ）び続（つづ）けた。そして今（いま）、寂（さび）しさを認（みと）めた私は、もう元（もと）の状態（じょうたい）へ戻（もど）れない。それが良（よ）く分（わ）かった。

「眠（ねむ）くなってきちゃいました……ベッド、お借（か）りしますね……」

　現代（げんだい）世界（せかい）へは瞬間（しゅんかん）移動（いどう）ができるし、そうすれば一瞬（いっしゅん）で眠気（ねむけ）は無（な）くなるのだ。なのに私は、お姉（ねえ）さんの好意（こうい）に甘（あま）えている。たぶん、お姉（ねえ）さんが、一人（ひとり）でも帰（かえ）れたのに私の肩（かた）を借（か）りたのと同（おな）じように。私たちは互（たが）いに寄（よ）りかかる相手（あいて）を求（もと）めていた。

「安心（あんしん）して眠（ねむ）ってね、手（て）は出（だ）さないから。良（よ）かったわね、私が悪（わる）い大人（おとな）じゃなくて」

　このベッドも、お姉（ねえ）さんが作（つく）ったんだろうなと思（おも）うと、彼女（かのじょ）の優（やさ）しさに身体（からだ）が包（つつ）まれる気（き）がする。瞬（またた）く間（ま）に眠気（ねむけ）が訪（おとず）れて、私の顔（かお）や頭（あたま）をお姉（ねえ）さんが撫（な）でているのが分（わ）かる。いつか、もっと深（ふか）い部分（ぶぶん）を撫（な）でられる日（ひ）が来（く）るのだろう。その日（ひ）が今（いま）から楽（たの）しみだった。

　現代（げんだい）世界（せかい）ではゴールデンウィークが終（お）わって、私の両親（りょうしん）も海外（かいがい）旅行（りょこう）から帰（かえ）ってきた。大型（おおがた）テントは実家（じっか）の物置（ものおき）にあって、もう私はキャンプへの興味（きょうみ）がない。ただ異世界（いせかい）へは、ほぼ毎日（まいにち）のように通（かよ）っている。もちろん通（かよ）う先（さき）は、ウサギ耳（みみ）お姉（ねえ）さんの家（いえ）だ。そしてテントも異世界では活用（かつよう）されていた。

「こんにちはー、また来（き）ちゃいましたー。テントの使（つか）い心地（ごこち）はどうですか？」

「ええ、雨（あめ）の日（ひ）は快適（かいてき）ね。雨漏（あまも）りがする小屋（こや）よりも居心地（いごこち）がいいわ」

　現代世界と異世界は、昼夜（ちゅうや）の時間（じかん）が一致（いっち）しなくて、今回（こんかい）は朝（あさ）の時間帯（じかんたい）にお姉（ねえ）さんの家（いえ）へと辿（たど）り着（つ）けた。山（やま）の上（うえ）で使（つか）っていたテントは一旦（いったん）、瞬間（しゅんかん）移動（いどう）で現代（げんだい）世界（せかい）へと持（も）ち帰（かえ）って、今（いま）はお姉（ねえ）さんの小屋（こや）の傍（そば）に設置（せっち）している。小屋（こや）へは瞬間（しゅんかん）移動（いどう）できるので、持（も）ち運（はこ）びの苦労（くろう）はなかった。

　異世界は一年中（いちねんじゅう）、夏（なつ）に近（ちか）い気候（きこう）で、寒（さむ）くてテントが使（つか）えないという時期（じき）は無（な）さそうだ。麓（ふもと）にある、お姉（ねえ）さんの家（いえ）周辺（しゅうへん）は気候（きこう）が涼（すず）やかで、可能（かのう）ならずっと住（す）み続（つづ）けたかった。私も現代（げんだい）世（せ）界（かい）での生活（せいかつ）があるけど、今（いま）は異世界（いせかい）で過（す）ごす時間（じかん）の方（ほう）が長（なが）い。人生（じんせい）が倍（ばい）以上（いじょう）になったような、素敵（すてき）な感覚（かんかく）だ。

「今日（きょう）はいい天気（てんき）ですね、まあ私はインドア派（は）なんですけど。家（いえ）のテーブルでパソコン、使（つか）わせてもらいますね。食（た）べられるものも持（も）ってきましたので、どうぞー」

「ええ、パソコンが何（なん）なのか私には分（わ）からないけど、ご自由（じゆう）に。食（た）べものは本当（ほんとう）に助（たす）かるわ、今（いま）までは離（はな）れた人里（ひとざと）へ買（か）いに行（い）くしか無（な）かったから。山（やま）でウサギを狩（か）る必要（ひつよう）も、もう無（な）いわね。貴女（あなた）がくれた醤油（しょうゆ）も美味（おい）しくてビックリよ。私、魚（さかな）の刺身（さしみ）って初（はじ）めて食（た）べたわ」

「私が持（も）ってきた包丁（ほうちょう）も、切（き）れ味（あじ）がいいでしょう？　カツオの切（き）り身（み）、また持（も）ってきたんで食（た）べてください。異世界（こっち）には冷蔵庫（れいぞうこ）が無（な）いんで、時間（じかん）が経（た）ったら加熱（かねつ）してくださいね」

　お気（き）づきだろうか。現代（あ　ち）世界（ら）の物置（ものおき）には、今（いま）も大型（おおがた）テントがある。そのテントは今（いま）、お姉（ねえ）さんの小屋（こや）の傍（そば）にもある。『自動（オート）セーブ能力（のうりょく）』だから当然（とうぜん）で、おさらいしておくと、異世界へ行（い）く直前（ちょくぜん）の状態（じょうたい）が自動的（じどうてき）に、セーブデータのように現代世界で記録（きろく）される。それが私の能力（のうりょく）だ。

　異（い）世（せ）界（かい）へ行（い）く直前（ちょくぜん）の、現代（げんだい）世界（せかい）の状況（じょうきょう）だけが自動的（じどうてき）にセーブされる。異世界（いせかい）で自動（オート）セーブ能力（のうりょく）は使（つか）えないし、異世界（いせかい）から現（げん）代（だい）世（せ）界（かい）へは何（なに）も余計（よけい）な物質（ぶっしつ）を持（も）ち帰（かえ）れない。持（も）ち帰（かえ）れるのは私の記憶（きおく）と、電子（でんし）機器（きき）の更新（こうしん）データくらいである。

　しかし逆（ぎゃく）に、現代世界から異世界へは、物質（ぶっしつ）を持（も）ち込（こ）むことができる。そして食（た）べものを持（も）ち込（こ）んで消（しょう）費（ひ）しても、現代世界で食（た）べものは無（・）く（・）な（・）ら（・）な（・）い（・）の（・）だ（・）。私が異世界から現代世界へ戻（もど）ると、全（まった）く同（おな）じ日（ひ）の同時刻（どうじこく）へと戻（もど）されるのだから当然（とうぜん）ではある。

「何日（なんにち）か泊（と）まっていくんでしょう？　泊（と）まらないなんて言（い）わないでよ？」

「もちろん泊（と）まりますよ。もう、ここは私の家（いえ）みたいな気（き）がしてますし」

　私が異世界（こっち）で数日（すうじつ）を過（す）ごしても、現代（あ　ち）世界（ら）に戻（もど）れば一秒（いちびょう）も経過（けいか）しない。すでに述（の）べたとおりだ。とにかく言（い）いたいのは、私が無限（むげん）に物質（アイテム）を異世界（こっち）へ持（も）ち込（こ）めて、その気（き）になれば無限（むげん）にアイテムを増殖（ぞうしょく）できるということである。リンゴを一個（いっこ）、異世界へ持（も）ち込（こ）むことを十回（じゅっかい）やれば、異世界では十個（じゅっこ）のリンゴが存在（そんざい）する。そして現代世界での消費（しょうひ）はゼロだ。

「こんなことを聞いたら笑（わら）われるだろうけど……貴女（あなた）、神（かみ）さまの御（み）使（つか）い？　どうして、こんなに私を助（たす）けてくれるの？　私は貴女（あなた）に、何（なに）を返（かえ）すことができるかしら」

「そのままでいいんですよ、そのままで。神（かみ）さまがいるとしたら、たぶん私は、お姉（ねえ）さんへ全（すべ）てを捧（ささ）げるために能力（のうりょく）を授（さず）かったんです。確（たし）か、お姉（ねえ）さんの種族（しゅぞく）って、寿命（じゅみょう）が長（なが）いんですよね」

「ええ。大体（だいたい）、三百才（さんびゃくさい）までは生（い）きるわ。獣人族（じゅうじんぞく）は長期間（ちょうきかん）、狩（か）りができるように生（う）まれついているのね。容姿（ようし）も大（たい）して変（か）わらないわ」

「そうですか。私も能力（のうりょく）のおかげで、異世界（こっち）では長（なが）生（い）きできると思（おも）うんですよ。三百才（さんびゃくさい）まで独（ひと）りぼっちというのは寂（さび）しいでしょう。私で良（よ）ければ、お姉（ねえ）さんの人生（じんせい）に添（そ）い遂（と）げさせてください」

　仮（かり）に私が異世界で三十年（さんじゅうねん）を過（す）ごしても、現代世界へ戻（もど）れば年齢（ねんれい）は本来（ほんらい）の十九才（じゅうきゅうさい）に戻（もど）る。実（じっ）際（さい）には数日（すうじつ）ごとに現代世界へ戻（もど）るけど。異世界（こっち）での私の、年（とし）の取（と）り方（かた）は、たぶん三分（さんぶん）の一（いち）くらいになるだろう。ゆっくりと老化（ろうか）していくので、ウサギ耳（みみ）お姉（ねえ）さんとは末（すえ）永（なが）い付（つ）き合（あ）いになりそうだ。今（いま）から楽（たの）しみで、そのためなら食（た）べものなど、いくらでも彼女（かのじょ）へ捧（ささ）げていこうと思（おも）った。

「……本当（ほんとう）にいいの？　私、人里（ひとざと）から離（はな）れた、こんな辺鄙（へんぴ）な場所（ばしょ）で過（す）ごしていくだけの女（おんな）よ？　後悔（こうかい）しない？」

「言（い）ったでしょ。私、インドア派（は）なんです。お姉（ねえ）さんと家（いえ）で過（す）ごせれば、それで充分（じゅうぶん）ですよ」

　幸（さいわ）いなことに、私には現代世界での生活（せいかつ）もある。旅行（りょこう）などは、そちらで楽（たの）しめばいいのだ。

　ウサギ耳（みみ）お姉（ねえ）さんが、独（ひと）りで暮（く）らしている理由（りゆう）を私は知（し）らない。ただ、その生（い）き方（かた）が寂（さび）しいことは私にも分（わ）かる。分（わ）かり過（す）ぎるくらいに分（わ）かるのだった。きっと神（かみ）さまは、私とウサギ耳（みみ）お姉（ねえ）さんを幸（しあわ）せにするため、私に能力（のうりょく）を授（さず）けてくれたのだろう。

　私はテーブルにパソコンを置（お）いて、大学（だいがく）の課題（かだい）に手（て）を付（つ）けていく。傍（そば）の椅子（いす）にお姉（ねえ）さんが腰（こし）かけて、微笑（ほほえ）みながら私の髪（かみ）を手（て）で梳（す）いていく。私が身体（からだ）も含（ふく）めて、全（すべ）てをお姉（ねえ）さんへ捧（ささ）げるのは、もう少（すこ）し先（さき）の話（はなし）だ。