第三章 あの日が繋がっていく

あの事故から早二ヶ月、春華を失った悲しみから立ち直る兆しが見えた時。


「事故を起こしたやつに会って欲しい」


電話の向こうで、親友が確かにそう言ってきた。


「え?」

「俺だけからっていうより、美琴からもでさ。なんて言うかお前にしかもう頼れないことで、とんでもねぇこと言ってるのは分かってるし、お前に嫌われる覚悟で喋ってる。でも、それでもどうしても来て欲しくて」

「……」


彼にしては珍しくまとまりの無い言葉で告げてくる。当然行きたいとは思わないけれど、杉原も恐らく三品さんも春華を亡くした悲しみがあっても尚僕に来て欲しいと訴えている。そう考えたら、ここで自分だけ動かないのは失礼にあたるんじゃないだろうかと思った。


「分かった。いつ行けばいい?」

「マジか、本当にいいの?会うのめっちゃしんどいだろうに」

「自分の感情と親友の必死な頼みを比べて、大切にしたい方を選んだまでだから」

「そっか……じゃあ今週土曜、朝の十時くらいに駅前で頼むわ。三人とも集まったら俺の車で刑務所向かう感じで。本当にありがとな、巻野。」




そう杉原から電話を貰い迎えた約束の日。春華の葬儀の日に空を見上げて思ったことは、事故を起こし恋人の命を奪った相手に会いに行くという予想だにしない形で実現することとなった。


「巻野くん、今日は本当にありがとう」

「いやぁホント巻野が了承してくれるとは思わなかったな」

「ううん。三品さんも杉原も、辛い中呼び出してくれたと思ったら行かない方が良くないと思って」


刑務所内のとある面会室。僕ら三人は事故を起こした乗用車の運転手を待っていた。僕自身春華のいない世界を受け入れられるようになってきたといえど犯人への怒りや恨みが全て消えるわけではないし、被害者側でも正直この空間は緊張する。

だからこうして、既に一度犯人と顔合わせをしているという友人の二人がそばにいてくれる環境下で面会を迎えられたのはありがたい。


「失礼致します」

「……っ」


その時が来てしまえば身構えてもしまうし。枯れた渋い声とともに白髪の男性が入ってきたときには、手に汗も浮かんでいた。


「一週間ぶりかな。言ってた巻野くん、来てくれたよ」

「ああ、ありがとう美琴」


がしかし、緊張さえも吹き飛ばしてしまうような事柄が起きればどうだろうか。

例えば恋人の命を奪った犯人が、友人の祖父だと分かったこととか。


「お、おじいちゃん……!?」

「巻野、もしかして事故起こしたの三品の爺さんって知らなかったのか?蘆谷の葬儀の時に美琴が来られないって伝えても返事が曖昧だったのって……」

「え……っと」


三品さんと男性が話をする隣で、杉原と小声で言葉を交わす。そして混乱が頭を駆け回る中で、杉原の話を筆頭に心に引っ掛かっていたことが次第にその事実と結びついていった。

葬儀の時の杉原の「やっぱり」と言う言葉や、何かを含んでいるような翳る瞳。三品さんが選んできた後ろめたそうな行動の数々。

杉原と三品さんは高校時代からも仲が良く祖父母含めた家族ぐるみでの交流も多かったと春華から聞いていた。だから今回のことも杉原は三品さんを支えて代弁する立場にいたのだろうか。被害者で加害者家族の彼女を、これ以上悲しませないために。


「知らなかったことを今知ったけど……巻野、とりあえず話進めていいか?」

「ごめんつい。うん、進めて大丈夫」


事実を知ってしばらく呆けていた僕の肩を突きながら杉原がつぶやく。そしてその声を合図に、ここに集まった目的が動き出した。

まずは男性、三品梅吉さんが僕にずっと謝罪したかったと言うことから始まり、その次に彼から春華がどのような人物だったのかを尋ねられた。

自身がどれだけの尊い人物を殺めたのか、春華がどれだけ愛された人物だったのか、それを知りたかったそうだ。春華のことを語る最中何度も涙がこぼれそうになって辛さも多かった。けれど梅吉さんの優しく、まっすぐな人柄があってか自然と彼への怒りや恨みの気持ちは湧いてこず、ただただ真剣に春華のことを伝えた。


そして「これが一番話したかったことなんだけど」という三品さんの言葉から話題が切り替わり、杉原が電話で言った僕にしか頼めないことがこれだとも伝えられた。


「実は逮捕前から自宅で一匹の犬を飼っていまして。出所を待たせるわけにも行きませんし私の逮捕後は友人の家に保護してもらっていたのですが、動物を飼った経験が無かったせいかトラブルになったらしく……そして私自身こんな老いぼれですし、決心をつけて新しい引き取り手を探すことにしたんです」


少しずつ言葉を紡ぐように梅吉さんが話す。けれど梅吉さんが入室してきた時のような緊張は僕にも梅吉さんにもなく、お互いが落ち着いた状態でその話を聞くことができた。

そして僕が梅吉さんへなぜ自分が必要なのかと投げかけると、待ってましたと言わんばかりに横から三品さんと杉原が口を開いた。


「私も杉原もペットを飼える住宅に住んでいなくて、そこから引き取り手を探し始めたんだけどどの人も私達みたいにペット不可で」

「それで困った時に、同棲を始めた頃の蘆谷がペット可のアパートに決めたって話してきたのを思い出してさ。もしかしたら巻野なら頼れるかもって、失礼を重々承知で呼び出したんだよ」

「巻野くん犬飼ってた経験あるし、不安なら様子見に行くから」


同棲をするにあたって借りるアパートを検討していた時、将来犬を飼いたいと言う春華の願望からそうしたのだった。お互いに忙しくなり始めてからペット可の住宅に住んでいることさえ忘れてしまっていたけど、まさかこんなところで記憶が引っ張り出されるとは。


「事情はなんとなくわかったけど、急に命を預かる決心はつかないよ。それこそペット可の物件に三品さんや杉原が引っ越して暮らした方が安全安心なんじゃないの」


別に動物と暮らすことから逃げたわけじゃないし、三品さんの言う通り前に動物を買っていた経験もある。ただそれを踏まえたとしてそのペット自身が一切関わりがない自分と暮らし始めるより顔を知っている三品さんと暮らす方が絶対良いだろう。そう思って告げたのだが。


「「物件が空いてないから頼んでる」」


杉原もかぶさって圧とともにこう返されてしまった。

そしてその圧からか、本当は意思が揺らいでいたからなのか。僕はこう言ったのだ。わざわざ意識したなんてなく、ごく自然に。


「そのワンちゃんの写真てさ、見せて貰えたりする?」

「え、もしかして前向きに検討中だったり」

「いやただ気になっただけ。ペット動画見るのと同じ感覚」

「そっか……はい、二歳の男の子で名前は梅助。可愛い黒柴でしょ?」


そして、三品さんが見せてくれたスマートフォンの画面には。

あの日公園で出会った柴犬が映っていたのだ。

記憶の中にある姿よりはふっくらとしているけれど、赤い首輪と礼儀正しさを感じる黒い瞳は全く同じで。


――この子、知ってる。


       ◆


「新しい飼い主さんに、会って欲しいんだ」


おじいちゃんともう一緒に暮らせないって伝えられて凄く悲しくなっていた時、ミコトちゃんは更にこんなことを言ってきた。


『新しい、飼い主さん……?』

「杉原ももうこの家に住み込んで大学に通うのが大変になってきたみたいでね、ごめんね。でも梅助もきっと知ってる人なんだ。どうしても会って欲しいの。会うだけでもいいから、ね?」


ぼくが別の人のところで暮らすことになるっていうのに、ミコトちゃんはちょこっとだけ楽しそうな声で言ってくる。


『そんなに楽しそうに言うなら、きっともう怖くはないところに行けるんだよね?それだったら……会いにいくだけだし』

「了承、してくれたかな。ありがとう。ごめんね梅助」


そんな様子を見てぼくは少しだけ、ほんのちょっとだけ興味が湧いた。少しでもぼくが危ない目に遭う可能性がある時ミコトちゃんは大袈裟なくらい心配するから。

でも、今はそれがなくて楽しさの方が勝ってる。ミコトちゃんがそこまでの様子でぼくに「別の人のところで暮らして」って言ってるんだから、少しは信用してもいいのかなって。

そう思ってぼくは、「新しい飼い主さん」に会いにいくことにしたのだ。




「よし梅助、ついたよ!」

『うん……』


そしてそれから何日かしてミコトちゃんと一緒に飼い主さんのお家にやってきた。話しかけてくる声はこの前よりもずっと弾んでいて、ぼくは不安でいっぱいなのにミコトちゃんは元気だなぁなんて思っていると、ミコトちゃんがケージを持ち上げてそのお家のドアを開けた。


「お邪魔します。巻野くん、梅助連れてきたよ」

「いらっしゃい三品さん……でも、本当にただのお試しだからね。無理だと思ったらすぐ連絡するから」

「いいのか〜?立ち直るためのキッカケになったお犬様を目の前にそんなこと言って」

「そうだけど、それとこれとは別」


ぼくが入っているケージの外で、ミコトちゃんと先にこのお家に来ていたマサトくんが新しい飼い主さんらしき男の人と話してる。お顔を見たいけど、ケージのドアとマサトくんに被っちゃって見えないや。しばらくケージにこもって体も疲れてきちゃったし、外に出て挨拶したいなぁ。


『ミコトちゃん、お外出てもいい?』

「あ、ごめんね梅助。今出してあげる。巻野くん、梅助出していいかな?」


男の人の「大丈夫」って声に合わせてミコトちゃんがケージを開けてくれた。

ケージから見た景色が広がって、おじいちゃんのお家とは全然違うお部屋が目に飛び込んでくる。こじんまりしてるけどすごく綺麗、そう思った時。


「久しぶりだね、梅助。僕のこと覚えてるかな」


さっきまで二人と話していた男の人がぼくの前に歩いてきた。そしてようやくお顔を見れると思って顔を上げると、


『え』


――こんなに痩せて……食べ物欲しいんだよね。


――飲めるかな、ゆっくりでいいからね。


ぼくが倒れそうになった時にパンとお水をくれて優しく接してくれて、雰囲気がどことなくおじいちゃんと似ている、あのお兄さんがいた。


「忘れちゃってるかなぁ、一回しか会ってないもんね」


そんなことない。忘れるわけがない。あの日、お兄さんがいなければもしかしたらぼくは死んでいたかもしれないんだから。

命の恩人ともあろう人を忘れられるほど、ぼくは忘れっぽくないから。


『忘れてなんかないです!ぼくを助けてくれて、きっとお腹すいてただろうにご飯を分けてくれて!』


まさかもう一度会えるなんて思ってもみなかった。あの一回じゃ足りないくらいの感謝の気持ちがあって、元気な時にもう一度「ありがとう」って言えたらどんなにいいかも考えた。そしてそれが今、目の前にあるんだ。


『あの、お兄さん、あの日は本当にありがとうございました!お兄さんが助けてくれたおかげで、ぼく今こうして元気になれたんです!お兄さんがいなかったらぼくどうなっていたか……本当に本当に、ありがとうございました!!!』

「ふふ。うん、元気になってくれて良かったなぁ。けど、本当に助けられたのはぼくの方なんだ」


精一杯の感謝をぶつけて反応を待っていると、お兄さんは意外なことを言ってきた。


「……公園にいたあの日、僕は大切な人を亡くして絶望の底にいたんだ。けど、そんな時懸命に生きている君が僕のとこに寄ってきて、空腹でヘロヘロだったあの姿でさえ僕は勇気づけられたんだ。だから、感謝すべきは僕なんだ。本当にありがとう」

『え、いや、そんな……』


お兄さんも、あの時は辛かったんだ。けどぼくの姿に励まされて……そっか。

ぼくたち、知らない間に励まし合ってたんだな。

公園でパンをもらったあの日、ぼくもそうだったけどお兄さんもすごく疲れてた。ただお腹が空いて休んでいるだけなのかと思ったけれど、お兄さんも大切な人と離れ離れになってそれで落ち込んでたんだ。

それにぼくとは違って、その人ともう会えなくなっちゃって。けど今お兄さんは元気にぼくと話してくれてる。

そんな強くて頼もしいお兄さんが、新しい飼い主さん?


『お兄さんとなら、一緒に暮らしてもいいかも』


       ◆


あの日出会った大事な存在と、結局僕は再会を果たすことになった。

僕から会いたいと申し立てることはしなかったのだが「この子知ってる」と僕がこぼした発言を三品さんと杉原が放っておくはずもなく、その子と出会った経緯を聞かれ、その日どうしてその場に居合わせたのかまでもを事細かに引き摺り出されてしまった。そしてそこからは二人のペースに乗せられて、一週間のお試しと題してその子を向かい入れる運びとなったのだ。


そして今、目の前にはその子がいるわけだが。


「――だから、感謝すべきは僕なんだ。本当にありがとう」

「ク、クゥ〜」


面識はあるといえほぼ初対面で、かつ犬相手にこんな話をするのは変だよな。


「ブフッ、いやぁいくら成犬つったってこんな真面目な話犬相手にするかよ。一回相談で聞いた時から面白かったけどさぁ」

「杉原うるさい、でもまぁシュールだよねこれ。正座した成人男性が犬一匹相手に重い話してる絵面がさ」


友人二人からもこの言われようだし。


「仕方ないでしょ、僕らが今こうして会っているのも幸か不幸かあの出来事が由来しているんだし。伝わってなくたって話したくもなるでしょ」

「まぁな。けどほんとに言うのか?犬相手かつお試しとはいえ、一緒に暮らしていくのに気まずくねぇの?」

「平気。それに僕が決めたんだから、気まずくなっても責任を負うよ」


そう、杉原の声で遮られてしまったけれど僕は梅助にあの日、三月三十一日の出来事を伝えようと思っていたのだ。

今まで三品さんも杉原も真実を伝えることが出来ずにいて、その度梅助はそれを追いたいかのように吠えたという。

梅助と今までほとんど関わりがない僕が言うのもと思ったけれど、このまま隠し生きていくのは心が痛かった。そして新しい飼い主候補でもあるのだから、それを伝えてその責任に向き合いたいとも思ったのだ。


「梅助」


その子の名前を呼んで、また僕に向き合わせる。

そして僕はこの二ヶ月間にあった出来事を彼に伝えたのだ。

話をする間、あの日よりも凛とした黒い瞳が僕を見つめていた。

彼が何を思っていたかは分からない。けれど梅助は僕の言葉を理解しているようで。人間みたいに相槌を打つこともなければ言葉を発することもない。でも僕に向く瞳が、確かにその物語を見つめていたから。


「クゥ〜、ワンワン!」

「うん、ありがとう。聞いてくれて」

「ワン!ワンワン!」

「ふふ、あはは!くすぐっていって、ちょっと梅助!!」


何を思ってか、いつの間にか沈んだ表情を浮かべていたらしい僕に梅助が突進してくる。励ましてくれているのか、僕が新しい飼い主になることを了承してくれたのか。元気いっぱいにじゃれてくる様子は、本当に、ただただ可愛らしかった。

「可愛い」とそう思った瞬間だけは大切な恋人の命を奪った人間の元飼い犬だとか、ドン底の心を救ってくれた相手だとかそんなの一切関係なしに、ただ純粋に梅助を見ていた。




「ねぇ咲桜〜。借りるアパートなんだけどさ、ペット可条件にしてもいい?」

「全然いいけど……春華そんなに動物好きだったっけ」

「へへ、言ってなかったんだけどね。昔から柴犬買いたいな〜って思っててさ。咲桜もワンコ飼ったことあるって言うから、ちょっと気になっちゃって」




いつか彼女が思い描いていた景色は、まさにこれだったのだろうか。元気いっぱいの相手にもみくちゃにされて、でもお互いが笑っていて。

日常を思い出してしまったせいか梅助に向き合っていながらも、僕はどこかで春華の影を追っていた。

そして改めて独りの寂しさを実感したからか、僕はついに言葉をこぼしてしまったのだ。


「一週間だけって、やっぱり嫌かもな」


その言葉に気づいた時にはもう遅く杉原も三品さんも、なぜか梅助までもが目を輝かせて。


「ほら言ってみろ!気になってたくせに強がった独り身なんてな、梅助パワーで一撃だっての」

「この様子だと、私たちの介入も必要なさそうだしね」

『お兄さん、新しい飼い主さんになってくれるの!?』

「……あ〜もう!!!」


結局僕は。


『よろしくね!お兄さん!』

「……うん。よろしく」


梅助の、新しい飼い主になったのだ。

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