第二章 梅の花言葉
『おじいちゃん、いつかえってくるのかなぁ』
三月三十一日、ゆうがた。ぼく、ウメスケは大好きなおじいちゃんの帰りを待っていた。いつもはお買い物をしても三時には帰ってきてくれて一緒に遊んだりお散歩するのに、今日はぜんぜん帰ってきてくれない。
『今日は涼しいから、お散歩だけじゃなくて遊びにもいけるねっていってたのに……さみしいなぁ』
ぼくはおじいちゃんと二人でこのお家に住んでて、たまにミコトちゃんていう女の子やご近所さんのヤマオカさんが遊びにくる。みんなが集まるとおうちがにぎやかになって楽しい。
けどぼくはいっつもおじいちゃんと一緒に過ごしてるから、おじいちゃんと二人っきりでいる時間も大好きで、だからおじいちゃんがいないのはすごくいやだ!
――ピンポーン
おじいちゃん?でも、おじいちゃんがピンポンを鳴らして帰ってきたことはないや。おじいちゃんが外にいる人がわからない時に外に出るのはダメって言ってたけど、閉まってるドアの中からなら大丈夫だよね。
『おじいちゃん?それともべつの人ですか?』
「ああ
ヤマオカさん、この声は間違いないや。でもヤマオカさんがおじいちゃんがいない時にくるなんてないのに……何かあったのかな。
『ヤマオカさん、どうしたの?』
「美琴ちゃんから連絡をもらったんだけどねぇ
『……?』
「しばらく、梅助くんはうちの子になることになったんだい」
おじいちゃんが帰ってこられない。って話したヤマオカさんの声はどこかすごく寂しそうで不安が隠れてた。怖いけど、悲しいけど、それはぼくだけじゃないんだ。みんなが不安で、おじいちゃんの帰りを待ってる。ぼくも、頑張らなきゃ。
そうして、ぼくはヤマオカさんの『うちの子』になることになった。
ぼくがヤマオカさんのお家に行くことになった日、荷物を運ぶためにミコトちゃんもお手伝いに来てくれたんだけど、ミコトちゃんはすっごく疲れてて顔色も悪くて。そしてぼくに何回も「ごめんね」「心配だよね」って話しかけてきて。
もちろんおじいちゃんがいないのは悲しいし心配だけど、ミコトちゃんが疲れてる中でもぼくのことを大切に考えてくれてるんだからぼくだって頑張らなきゃ。おじいちゃんが戻ってきた時、安心して欲しいから。
そう思って始まったヤマオカさんのお家での生活だけど。
「よし梅助くん、ご飯だよ」
『ヤマオカさんこれおやつだよ?ご飯はあっちの赤い袋のやつ!』
「よしよし、たんとお食べ」
『あ、ちょっと……』
なんでだろう、今日もだ。
『お散歩行かないの?ヤマオカさん』
「ん〜?おやつはさっきあげたぁよ、梅助くん」
『違うよ、お散歩!それにおやつとご飯ずっと逆だよ!?』
ヤマオカさんにぼくの言っていることが全然伝わらない。おじいちゃんだったらぼくが喋っていることをちゃんと聞いて、分からなかったら聞き直してでも答えてくれるのに。ヤマオカさんは、おじいちゃんと全然違う。だからここでの生活は怖くて慣れなくてずっと不安。
そんなふうにずっと怖さを我慢して抱えながら過ごしてきたけど、とうとうこの生活が始まってからの日にちを数える余裕がなくなって、何日経ったのか分からなくなった。でもおじいちゃんだって今どこかで頑張ってるんだ。ぼくだけ諦めるなんて絶対ダメ。
そう、決意したのに。
『あれ、なんだか、気持ち悪い……?』
「うめ――くん、だいじょ――」
『ヤマオカさん、何か、喋って……る?』
「うめす――くん、う――!」
何か喋っているみたいなヤマオカさんの声が上手く聞けなくて、お腹もグルグル鳴って、食べたものがのぼってくる感じがする。
それになんだか視界もぐらぐらしてきて、もう立っているのもしんどいや。
『あれ。今日、お水もらったっけ……』
倒れて、いつの間にか目の前が真っ暗になって。目を開けたら僕はおじいちゃんの家に居た。
「辛かったなぁ、あんな山奥で子犬一人っきり」
『お、おじいちゃん……あれ』
おじいちゃんの家に居るのに、何か変。なんだろう、ぼくがぼくを見てる感覚……
「飼い主の飼育放棄、かな」
「きっとそうじゃろうな。あー美琴、悪いが
「分かった」
そっか。これ、ぼくがおじいちゃんに拾われた時の記憶だ。ミコトちゃんが制服を着ていてちょっとだけ幼いし、おじいちゃんもピシッとしてて、何よりぼくがぐったりしながら二人を眺めてる。
そうだ、ぼくがもう顔も覚えていない誰かに山の中で置き去りにされていた時、たまたま山にいたおじいちゃんと美琴ちゃんがぼくを拾ってお家に迎えてくれたんだ。真夏の体が焼けそうな日で、あの時拾われていなかったらきっとぼくは死んじゃっていたと思う。おじいちゃんがあの森にいたから、ぼくが倒れているのがあそこだったから。本当に色んな奇跡の積み重ねでぼくは生き延びたんだ。
「氷嚢とお水持ってきたよ〜。あ、そうだおじいちゃん、うちで飼ってあげるんだから名前決めないと」
「そうじゃなぁどんな名前がいいか……」
「私は春になったら一人暮らし始めちゃうし、一緒の時間が長いおじいちゃんが決めた方がいいんじゃない?」
おじいちゃんはミコトちゃんにそう言われて、必死にぼくの名前を考えてくれた。
そして、自分の名前にもある「梅」と、いざとなったらお互いに助け合えるようにって願いを込めた「助」を合わせて。
「梅助……どうかの」
「おお、おじいちゃんとお揃いでいいと思う。この子が元気に復活したら教えてあげなきゃね」
『んふふ……本当にいい名前もらったなぁ』
「あれ今この子笑わなかった?もしかして聞いてたかな。名前気に入った、梅助?」
ずっとずっとこの幸せが続いていくんだなぁって思った。
『ふふん、ご飯の袋こんなとこに隠れてた!』
「おじいちゃん、梅助ご飯の袋出してる!!!」
「なんとまぁ……今まで飼ってきたどの子も見つけなかった場所だってのに」
二人っきりも、みんなとの時間も。
「梅助は本当におとなしいなぁ。大体は怖がるんに」
『おじいちゃんは痛いことしないもん。爪切るのだって音は怖いけど痛くないし』
「はは、そうかいそうかい。じゃあ残りの足もやらせておくれな」
『はーい!』
でも、現実はそう優しくはなかったなぁ。
今見ているこれも、夢なんだから。
「……起きたか?おーい梅助、俺のこと覚えてるか」
『ん……あ、マサトくん?』
おじいちゃんと一緒だった幸せな記憶が終わって、目に映ったのは知り合いの男の子の顔。このマサトくんていう男の子はヤマオカさんの娘さんのさらに息子で、ミコトちゃんとも仲良しだから、ミコトちゃんがお家に来る時にたまにマサトくんもやってくる。
「悪かったな、俺のじいさんが酷い目に遭わせて。美琴から心配の伝言もらって見にきたらお前倒れてたよ。頼れるとこが他に無かったつってもやっぱりペット経験のないじいさんに任せんのは良く無かったよな」
『そうだったんだ。えっと、ここは……?』
「ああ急に場所変わっててびっくりしたよな。家自体変わってないんだけど、二階にお引越し」
マサトくんが言うには、ヤマオカさんがぼくの面倒を見ると今日みたいにぼくが倒れかねないから、マサトくんがこのお家に住み込んでしばらくはぼくと一緒に暮らしてくれるのだそう。
「本当は美琴も面倒見たかったらしいけど、アイツの住んでるとこペットダメでさ。俺も借りてるアパート自体はペットダメなんだけど、ここにほんの一週間とか住むくらいだったらまぁどうにかなるから。俺が美琴の代わりで悪いな」
『ううん。そっか……ありがとうマサトくん』
ヤマオカさんも一生懸命面倒を見てくれたけど、やっぱり気持ちが伝わる人がそばにいた方が安心する。おじいちゃんほどではないけれど、マサトくんもぼくの言ったことをわかってくれるから。
「にしてもな、まさか梅吉さんが事故やっちゃうとは思わなかったよなぁ。美琴もそうだけど、あの家族はみんなしっかりしてんのに……」
『……え』
「ああいや、なんでもねぇよ。ただの独り言」
『事故って……おじいちゃん何かあったの!?だから帰ってこないの、みんな何もおじいちゃんのこと言わなかったの!?』
見る気力もなかったカレンダーを今になって見てみる。おじいちゃんが帰ってこなくなったのは三月三十一日で、今日は六月の初週。そっか、もう二ヶ月も経ってたんだ。
おじいちゃん二ヶ月の間ずっとずっと何してたんだろうって。今まで、なんでそこを疑わなかったんだろう……そうだ、決めた。
「……は、梅助!?お前どこいくんだ、危ねぇから戻ってこい!」
『ごめん、マサトくん』
――ぼく、会いにいくから。おじいちゃんに。
おじいちゃんに会いたくて、無事なのか知りたくて。たくさん走って、走って。でもおじいちゃんは見つからなかった。
それにだいぶ暑い日の中にご飯もお水も摂らずに出てきちゃったから、体がすごくだるい。マサトくんが助けてくれるまでの日々ほどではないけれど、体は音をあげ始めていた。
『もう疲れたなぁ……あれ、いい匂いする?』
そんな体に染みるような、すごく美味しそうな匂いが近くから漂ってきた。
『あ、あの人だ』
辺りを見回すと公園のベンチでマサトくんと同い年くらいの男の人が一人、お弁当を食べていた。分けてもらえたりなんてしないかなぁ。なんて思ったちょうどその時、美味しくなかったのかその人は暗い顔をしてお弁当をしまっちゃった。
けど他にも買っていたらしくて、袋から小ぶりなパンが出てきた。もうそれでもいい。もしかしたらの可能性にかけて、お腹ぺこぺこのぼくはその人にパンをねだりに行った。
『あの、そのパン少しだけ、くれませんか……』
「え」
怒らせちゃったかな、やっぱりダメだったかな。
「こんなに痩せて……食べ物欲しいんだよね。はい、どうぞ」
『え、あ、ありがとうございます……!』
「水もあげた方がいいか。飲めるかな、ゆっくりでいいからね」
この人はぼくの体を見てびっくりしただけだったみたい。優しい笑顔でパンもお水もくれたから。けど、そんなにびっくりされるほど痩せちゃってたんだなぁ。ずっと不安ばっかりで食べても食べても太らなかったのはわかるけれど。
それにお兄さんはぼくがパンを食べ終わるまでずっと見守ってくれて、「こんな暑い中大変だね」「ひとりぼっちでしんどくない?」なんて話しかけてもくれた。
「ちっちゃい時に犬飼ってたんだよなぁ。懐かしいや」
『……?』
「ふふ、なんでもないよ。ゆっくり食べていいからね」
独り言を呟くお兄いさんの顔はさっきと変わらない優しい顔。でもその奥に疲れているような表情が見えていて……。
お腹空いてたり、ちょっぴり暑くてしんどいのにぼくにパンを分けてくれたんだ。自分が辛いのに、ぼくを助けてくれた。
本当に、素敵な人に出会えたな。
『お兄さん、ありがとう』
「ふふ、じゃあね」
ご飯を食べ終わったぼくを心配するような顔で見守るお兄さんに笑顔でお別れを伝えて、そこを後にする。
なんだかお兄さん、ぼくの言葉を分かってるみたいだった。ミコトちゃんもマサトくんでさえもちょっぴり間違っちゃうのに。おじいちゃんが若かったら、あんな感じだったのかな。
そして、そう思いながらぼくはおじいちゃんのお家に行った。おじいちゃんがどこにいるのかは分からないし、戻ってきていないのも知ってる。でも、このお家はぼくに元気をくれるから。ずっとずっと大切なお家だから。
そうやってお家を眺めていると、後ろから聞いたことのある声が聞こえてきた。
「梅助!!!!!」
『……マサトくん?』
「お前どこ行ってたんだよ。梅吉さんが事故やったって言ってパニックにさせた俺も悪かったけどさ」
『ご、ごめん。おじいちゃん探さなきゃって思って』
「あー、まぁ無事に見つけられてよかったわ。よし、帰んぞ」
マサトくんにちょっぴり怒られたけど、その後は二人で笑い合いながらお家に帰った。でも、おじいちゃんがいない不安はずっとぼくに付きまとってる。
そしてそこから一週間くらい経った時、このお家にミコトちゃんがやってきた。
荷物運びの時に見た顔からは打って変わって顔色の良くなった顔を見せてくれて安心した。それにミコトちゃんが来たってことはもしかしたらおじいちゃんも帰ってこれるのかな、そう思ったけれど。
「梅助、ごめんね。おじいちゃんとはもう一緒に暮らすことができないの」
簡単な挨拶の後、ミコトちゃんはぼくに向かってこう言った。
『え?』
「もう」ってどういうこと?
おじいちゃんが「今」帰ってこられないのは分かるけど、これっきり一生おじいちゃんとは会えないの?
『もう会えないなんて嫌だよ……?』
「ごめん、ごめんね。いつかはきっと、会えるから」
ミコトちゃんが真っ直ぐな目を向けてぼくに話す。けど、ぼくが欲しい返事は返ってこない。なんでなの?どうして?
『嫌だよ、おじいちゃんと一緒にいたいよ!!!いつかっていつ?おじいちゃんに何があったの!?一緒にいられないならなんでなのか教えてよ!!!』
「……っ、ごめんね梅助、でもお願いがあるの」
見つめたミコトちゃんの顔は今までで一番、必死で辛そうだった。
「新しい飼い主さんに、会って欲しいんだ」
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