花が舞う季節に
結原シオン
第一章 死んだ春に咲く
幸せな日常は、ある日突然、音もなく壊れてしまうものだ。
自分のいる場所がなくなっちゃったり、大切な人とお別れしちゃったり。
それが原因で進む道や生きる希望を見失うことだってある。
でも、待っている未来はとーっても明るいって信じているから!
頑張って、前を向いて。僕たちは今日という日を踏みしめる。
これは「僕」と『ぼく』が未来を歩むための、とあるひとつの物語。
『高齢者運転の自動車と衝突、女子大学生死亡』
三月三十一日の午後五時。
画面に表示される一文。それが僕、
「今日午後四時頃T県○○市にて、乗用車が歩行者一名をはねる事故が発生しました。はねられた十九歳の大学生蘆谷春華さんは駆けつけた警察によってその場で死亡が確認され、警察は蘆谷さんをはねた七十二歳の男を……」
「……え」
ただ呆然と画面を見つめる自分に、キャスターの声をまともに聴ける冷静な思考なんて残っていない。
高校時代に出会った彼女はよくしゃべって、笑って、泣いて、時に怒って。僕とは正反対の表情豊かな人で、陽だまりのような笑顔でいつも僕を照らしてくれる。気弱で感情を表に出すのが苦手な僕にとって恋人であり、憧れの存在だ。
そんな彼女が、大好きで大切な人が、死んだと言われている。
明後日満開になった桜を見に行こうと約束して、そこで彼女の誕生日を祝うはずだった。新調したピクニック用品や彼女の可愛らしいカンカン帽が置かれた玄関がそれを語っている。
「二十歳になる節目だからさ、イメチェンしてお花見行く!」
そして、そう言ってちょうど今日彼女は美容院に出掛けて行った。スマートフォンと睨めっこしてヘアスタイルを考えていた様子が眼裏に浮かぶ。
帰ってきたらいつものように僕に感想を尋ねるんだろうか。気に食わない返答をしたらムッとした顔をして小突いてくるんだろうか。そんなことを思いながら、彼女の帰宅を待っていた。
けれど帰りのチャイムが町中に響いても、夕方のニュースが終わっても、深夜バラエティーが始まっても、空が橙に明るみ出しても。やはり彼女は帰ってはこなかった。
予定していた花見会場ではなく、葬儀場で迎えた二日後の昼。
春華の葬儀は彼女の人柄を表すかのような晴天と散りゆく桜の中で執り行われた。春の陽気と静寂に包まれる中多くの人が彼女との最後の別れを惜しんでいて、彼女の友人の多さを実感させられる。
結局一度もアパートに戻ってくることはなかった彼女は、見た限りでは到底交通事故に遭ったとは思えない綺麗さをしていて、声をかけたらすぐにでも目を覚ましそうなほどだ。
「……春華」
その姿につられて呟くと、後ろから茶髪とピアスが特徴的な男が声をかけてきた。
「蘆谷すげぇ綺麗だよな。いつもの昼寝なんじゃねえの」
「杉原……」
「悪いな、かける言葉見つかんなくてよ」
若干葬儀に似つかわしくない格好をしている彼、
「ありがと。気にかけてくれて」
「いや友人として当然だし、しんどいだろ。絶対無理すんじゃねぇぞ」
僕の頭に手を置いて、子どもでもあやすかのように杉原が撫でてくる。いつもは背が低い自分への当てつけだろうと嫌がっているけれど、今日だけはただ暖かいと思った。
杉原は今も高校時代も人付き合いがよく太陽を擬人化したような人物で、しかも春華と中学校が同じだったことから僕よりも先に彼女と打ち解けていた。だからだろう、何事もないかのように振る舞っているその目にはずっと涙を溜めている。
けれどそれにあえて問いかけず、訪れた静寂に意識を寄せた。
「……そういやさ、美琴、やっぱり来られないって」
頃合いを見計らってか、ずっと僕の頭を撫で続けていた杉原がふいに呟いた。
杉原の言う
「そっか……」
「すげぇ寂しそうに電話してきたよ。蘆谷の
「お互い、寂しいだろうにね」
「……本当に、な」
ずっと堪えていただろうその雫が彼の瞳から静かに流れ落ちた。いつもはおちゃらけて笑ってばかりな彼の、涙が。
けれど
「それじゃあな、巻野」
「うん。ありがとう杉原」
春華が居なくなった今、残された三人でまた会う日はくるのだろうか。
そう思いながら見上げた空は桜で彩られていて、毎年春華と見てきたその花は今日という日も美しく、ただただ煌めいていた。
彼女の葬儀に出た後、僕はいつも通りの大学生活に戻ろうとした。
でも、出来なかった。彼女と同じ大学に行きたくて勉強して、二人で受かったその日には大喜びして。その努力が報われた幸せの最中での事故。彼女の最期に傍にいてあげる事すら出来なかった悔しさと、後悔と。色々なものが心を渦巻いて、楽しかった大学にも行けなくなった。いや、行こうと思えば行けるのに引きこもっているというのが正しい。
行かなければいけないとわかっているのに、体が鉛になったようで重い。大切な人がたった一人居ないだけで、人間はこんなにも変われるようだ。
何もしたくないなんて思いながら
そしてふと「ぐぅ」と腹がなって、しばらくの間ろくに食事をしていないことに気が付いた。必死に歩いて冷蔵庫を開けるも案の定空っぽ。
「コンビニだけは、行かなきゃか」
ある程度の食料を調達したコンビニからの帰り際、あまりの空腹と梅雨入り前のくせに脱水症状を起こした身体のせいで家までもちそうになく、近くの公園で食事をすることにした。
コンビニのご飯なんていつぶりだろうか。同棲を始めてから春華と一緒に料理を作ってきたために『コンビニ飯』の言葉すら新鮮味を感じる。本当に始めのころは僕だけの担当だった料理だけど、春華が興味を持ち出したおかげでいつの間にか料理の時間は二人の時間になっていった。そこそこだったクオリティーもどんどん上がっていき、外食なんてほとんどしなくなった。
「うわ、しょっぱ……」
だからだろうか、適当に選んでしまったジャンキーな弁当が口に合わず、朝食用にとして買ったごく普通のロールパンをほおばることにした、その時。
「クゥン……クゥー……」
「え」
一匹の痩せた黒い柴犬が僕の足元で鳴いていた。何かを求めるように……食べ物か。
「はい、どうぞ」
「ワウ……!」
悲しそうな表情に耐えかねて、僕は自分のパンをちぎってその犬にあげてしまった。正直犬に人の食べ物を与えるのはまずいだろうけど、少しでも腹の足しになるならと水も一緒に満足するまで与えやった。食べ終えると一度目を合わせてくれた後、緩んだ赤い首輪を揺らしながらスタスタとどこかへ歩いて行ってしまった。
その仕草から礼儀正しさと生き抜く意思なるものを感じて、あれほどの状態でも必死にあの犬は生きているというのに、自分は何をしているんだろうかと思わされてしまった。
立ち直らないと彼女に笑われる。何より不安にさせてしまう。このままじゃダメだ。そんなふうに、ずっと閉じこもっていた思いも込み上げてきていた。
「駄目だよな。こんな
そうしてしばらく物思いに
「ずっと、こんな部屋で生活してたんだ……」
帰宅したアパートの部屋には所々にゴミが散乱した光景と、暗く埃っぽい空気が広がっていた。
このままの自炊さえ出来なさそうな状態では心よりも前に肉体が廃れてしまう。そんな危機を感じて元から春華に頼ってしまって苦手だった掃除を、彼女にも自分の未来にも不安を残さないようにどんどん進めていった。
「よし、とりあえずこんなところでいいのかな」
そして苦節の末、たくさんの思い出と共にどうにか部屋が蘇った。ゴミと埃と暗い空気に埋もれていたものの中には彼女が大切にしていたネックレスやCD、アルバム、そして以前渡したペアリングのケースがあった。いつかもっとちゃんとした指輪をあげると言って、結局そのいつかは叶わずに彼女はこの世を去ってしまった。まだ十九歳。将来をいくらでも思い描けるはずだったのに。
幸せは一瞬にして消え去ることを今になって、失ってから気づいた自分が本当に馬鹿だと実感した。誰が、何をしても、何を言っても。この現状は変わらないというのだから。
「え、これ……」
心が沈みそうな想いを抱えながらも更に片付けを進めていた途中、棚に置いてあった小箱から小さいカードのようなものが出てきた。その正体は以前使っていたスマートフォンのメモリーカードで、まだ高校生だった頃に二人で撮った写真や動画を保管していたものだった。
「懐かしいな。休憩がてらに見るか」
一度棚の整理から離れ、デスクでパソコンを起動する。そしてメモリーカードを読み込んでファイルを開くと思い出がどんどんと流れてきて、いつの間にか自分の目には熱いものが浮かんでいた。付き合いたての二人の姿が懐かしく、切なく、戻らない景色に心が痛くなって。それでも僕は縋るように、その幸せの色に浸っていた。
そんな様子で一枚一枚写真を見ていくと、流れてきた思い出の中で春華がとびっきり笑っている写真を見つけた。
「ふふ、今見ても綺麗だな」
それは高校二年生の秋、僕に告白をしてくれた日の写真だった。
その日僕らは文化祭用の買い出しをしていたのだけれど、一緒に来るはずだった杉原と三品さんがサボりを決行したためにデートのような状態になってしまって。
だからだろう。一通りの買い物が終わった時に春華が僕を遊びに連れ出したのだ。
それに後から聞いた話だけど、杉原と三品さんはあえてそうするためにサボりを決行したらしい。
『悩んでねぇで告白してこい!あのチョロもやしだったら絶対いけるって!』
『応援してるよ。サボっちゃってごめん。でもチャンスだと思って頑張って来てね』
告白からしばらく経った時に、照れ笑いしながら春華が見せてくれた彼女当てのトークルームにはこんなメッセージも書かれていた。
「計画していた時間が余ったからさ、遊びに行かない?ダメ?」
「え!?う、うん。いいよ」
「よーし、じゃあレッツゴー!」
そんな二人の応援も相まって、春華は僕の手を引いてショッピングモールへ向かっていったのだ。
そして今でも鮮明に思い出せる、立ち寄ったテラスで風に吹かれながら告白してくれたあの光景。夕日に照らされた彼女は、それに溶けていってしまいそうなそれまでで一番美しく儚い姿だった。
本当に、ただただ好きな人だったんだ。
――ピコン、ピコン……
「あれ、なんだろ」
写真を見終えた時、頃合いを見計らっていたかのようにスマートフォンの着信音が鳴って、着信相手を確認すると杉原だった。しかし春華が亡くなってから周りとの連絡も断っていたために、出るのに少しだけ
「……あ、出ると思わなかったわ。もしもし巻野?調子どうよ」
「良くはないよ。どうしても引きずるし、復帰は……まだ無理かも」
「そっか。まぁ生きてて良かったわ。連絡つかねぇし、無理すんなって言ったこと忘れて孤独死でもしてんじゃねえかって心配だったんだからな」
真剣なのか茶化しているのか分からない声で杉原が告げてくる。こちらにも非がある訳だから「そんなに言うならアパートに来れば良かったのに」という言葉はどうにか抑えて、自分と違いかなり持ち直した様子の彼に返答をした。
「ごめん、心配かけて。それで、突然電話って何かあったの?こんな深夜帯に」
「いやぁ、ちょっと頼みたいことがあってさ。忘れないうちに言っておきたくてぇ」
「言っとくけど、金はもう貸さないからな」
「あのことまだ根に持ってましたか……あれはもうすみませんでしたって。流石に分かってるしもう借りねぇよ」
彼が間延びした声で何かを頼んでくる時は大抵内容がいいものでは無い。以前同じような調子で七千円をせがまれ、それだけでも十分だが彼は更に一年ほどそれを返してこなかったのだ。
「反省してるから許してくれよ……まぁ、実際頼みたいのは金じゃなくてだな」
過去を掘り起こされたからか、何なのか。話の流れを変えて杉原が続けた。
今までなら引っ掛かりを覚えて一言呟いただろうけれど、久々に聞いたその声がやはりただ暖かくて、何も言わずに耳を傾ける。
そして言葉を待っていると、心を決めたように一呼吸置いて彼が告げた。
「事故を起こしたやつに会って欲しい」
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