第47話


「放課後に登校なんて、ずいぶんと偉くなったもんだね。重役出勤ってやつ?」


 声を掛けると、こちらを向いた。きっちりと制服を着ている。立ち上がり、去っていこうとしたので慌てて腕を掴む。


「ちょ、待ってよ。なんで逃げようとするの?」

「逃げてないけど」

「逃げてるじゃん。どうしちゃったの?」


 廻は嫌そうな顔をこちらに向け、「離してよ」と言った。解放すると、素直に腰を落とした。ひなたもベンチに腰掛ける。

 生徒五人組が目の前を横切っていくのを見届けてから、廻は口を開いた。


「別に登校するつもりはなかったんだ。親がうるさいから制服を着て外には出たけどね」

「じゃあ、どうして学校に来たの?」


 しらっとした視線を向けてくる。


「何となくだよ。特に理由はない」

「誰かに会いたかったんじゃないの?」

「別に会いたい人なんていないけど」

「嘘だね。わたしに会いたかったんでしょ?」


 胸を張って言うと、廻は溜息をついた。


「帰る」

「ちょ、待ちなって。まだ来たばかりじゃん」

「ひなたって自意識過剰のナルシストだね。私、ナルシストって嫌いなんだ」

「照れなくていいから」

「……うるさいなぁ……」


 さっきからテンションが低すぎる。いつもの廻ではなかった。

 ひなたは意地悪をやめて、廻の肩に触れて言った。


「ごめんね」

「は? 急に何?」

「いや、テンションあがっちゃってさ。久々に会えたのが嬉しすぎて変な感じになってる気がして」

「ひなたはいつも変でしょ」

「なんだと」


 あの鉄山で自分達はかなり恥ずかしい台詞を連発した。どうしてもその時のことがフラッシュバックされ、ぎこちなさが生まれてしまっているのだ。

 ひなたは照れくささを押し隠しながら言った。


「……わたしは廻に会いたかったよ」


 廻は顔を背けた。何も言わず明後日の方向に目をやる。

 たぶん廻も自分と同じ気持ちなのだ。だから、なかなか学校に来れなかったんじゃないかと思う。

 更に言うと、廻の場合は人生を終えようとしていたのに、それを止められてしまったから、この後の人生とどう向き合うべきか、考える時間が必要だったのだろう。


「廻、家で何してたの?」

「家にはいなかったよ」

「え?」

「毎日こっそり抜け出して、二つ隣の県に行ってた」


 廻は青い空を見上げながら続けた。


「みやのところに行ってたんだよ」


 ひなたは前を向いて、そっか、と呟いた。意識して頬を緩ませる。


「会ってはいないけどね。遠目で見て、どういう悪戯を仕掛けようか計画を立ててたんだ」


 廻はニヤニヤとした笑みを浮かべた。いつもの調子が出てきたかな、と思う。

 しかし、すぐに表情を消した。


「でも不思議と、あの子を見ると、そういう気が起きなくなるんだよね。意地悪してやろうと思うんだけど、直前で気力がなくなるの。声を掛けるのも億劫になる。それで何もせず、家に帰るんだ」

「やる気をなくしちゃうわけか」


 田宮との件に区切りをつけようと考えているらしい。

 ひなたは少し考え込んでから、小さく口を開いて言った。


「わたしも手伝おうか」


 廻が目を見開く。


「ひなた、今なんて言った?」

「わたしも手伝うって言ったんだよ。廻はたぶん、スランプってやつになったんだよ。一人で何でもしようとする人が陥るやつだね。後、廻の悪戯って笑えないものが多いでしょ。陰険というかさ」

「陰険……」

「そんなんだから面白くなくなっちゃうんだよ。わたしが面白いアイディアを考えるから二人でやろうよ。いいよね?」

「ひなた、変なものでも食べた?」


 大丈夫? と顔を覗き込まれる。ひなたは近づいてきた廻の顎を持ち上げ、脇にどけた。


「それくらい付き合うって」

「更生うんぬん言っていた人とは思えないけど。あれはなくなったの?」

「更生プログラムは受けてもらうよ。当然でしょ」

「矛盾してる気がする」

「してないよ。いい人にも黒い部分はある。今回はそれを、田宮って人にぶつければいい」


 ひなたが微笑むと、廻は眉を顰めた。


「私怨入ってない……?」

「入ってないよ。ただ、廻の元友達ってのが気に食わないだけ。廻を独占しやがって。おまけに約束を破るって最悪じゃん。許せないよ」

「めちゃくちゃ私怨入ってるね……」


 廻は呆れの色を浮かべた。


「二人でアイディア出していこうよ。まずはわたしから言うね。ユーチューバーのふりをして絡むってのはどう? 初体験はいつですか、とか訊いて恥ずかしい思いをさせてやるの」

「セクハラ中年おやじレベルの発想だね」

「ついでに、その県の名産物食べに行こうよ。どうせなら一泊くらいしていかない?」

「別にそれはいいけど」

「じゃあ決まりね!」


 手を叩いて微笑む。


「あとは、それぞれ行きたいところをピックアップしておこうか。夏休み入るまでには計画を完成させたいところだね」

「ひなた、遠足前の子供みたい」

「廻は楽しいと思わない?」


 問いかけると、廻は視線を逸らした。

 楽しいけど……、と呟く。


「え? 何? 聞こえないよ」

「楽しいんじゃないの。知らないけど」

「廻、声が小さいって。もっと大きな声で言いなよ」

「……絶対聞こえてるでしょ……」


 眉根を吊り上げて言う。


 ああ、楽しいな――。


 心地よさに身をゆだねていると、突然、廻が顔を近づけてきた。また頬と頬をくっつけるつもりなんだろうか。身構えていると、廻の口が、耳元で停止した。


「ひなたのこと、好き。愛してる」


 え、とひなたが反応する前に、頬に何かを押し当てられた。それが何かを確認する前に、廻は離れ、すぐさま立ち上がった。


「今日のところは帰るよ。一応、学校には来たから親も満足するでしょ」

「……えっと……。廻、今わたしのほっぺにチューしなかった?」


 何を言っているんだ、という顔をされる。

 ある放課後のことが思い出された。


 ――数週間後に、私は人を殺そうと思ってるんだ。


 彼女はそんな言葉を耳元で囁いたが、追求しても「え?」と惚けるのみだった。

 今回もそうするつもりらしい。

 廻は耳を赤くして、わずかに目を泳がせていた。普段の彼女を知っているからこそ、気づける変化だ。


 ひなたは自分の体が熱くなっていくのを感じた。心臓の鼓動が早くなっていく。


 ばいばい、と廻は微笑んで言った。踵を返して去ろうとする。

 おそらく廻は、さきほどの言葉をなかったことにするつもりだろう。


――この灰色の世界で生きていくのは難しい。物事を見通せる人間には尚更ね。


 ふいに凛子の言葉が蘇る。

 廻は色々なものを見通せてしまうので、煙に巻く言動を繰り返すのだろう。この世界は、白とも黒とも言えないようなもので溢れている。だからこそ、良くも悪くも、灰色にしておけばいい。そう考えているのだ。


「待ってよ」


 背中に声を掛ける。しかし、小さすぎて聞こえなかったらしい。足を進めていく。

 確かに世界は灰色で溢れている。

 常にどっちつかずで、歪で、その都度判断に困らされることばかりだ。

 しかし、何でも灰色のままにしておいていいわけじゃない。ここぞというところでは、白黒つけなくてはならないのだ。

 たぶん、今がその時だ。


「廻!」


 大声を出すと、廻は振り返った。何? と首を傾げている。

 ひなたは校舎からの視線を感じた。見られているらしい。しかし、そんなことはどうでもよかった。ひなたは覚悟を決め、ありったけの声量で叫んだ。


「わたしも廻のこと好きだよ! 友達とか連れとか、そんな言葉に収まらないくらい、廻のことが大好きだ!」


 灰色のままでいいのに……。

 そんな呟きが、耳をかすめた気がした。幻聴かもしれない。緊張のせいで、冷静な判断はつかなかった。


 廻はしばらく固まり、はあ、と息を吐き出した。茶色い髪をかき上げ、視線を逸らす。こちらに向き直り、不機嫌そうに眉を顰めた。


「ひなたって馬鹿だよね」

「なんだと」

「二人きりの時に言えばいいじゃん。なんで人がたくさん残っている放課後の中庭で言うかな」

「今しかないと思ったからだよ」

「あっそう。突然、大好きだなんて、ひなたって子供みたいだよね。今時そういうの流行らないって。迷惑でしかないから」

「流行りとか関係ある?」

「寒いでしょ」


 ダメだったか、とひなたは顔を伏せた。

 さっきの耳元での告白すら幻聴に思えてくる。

 ま、こういう軽口を叩きあう関係も悪くないか。

 そう自分を慰めるが、辛さは全く軽減されなかった。


「ひなたはいつもそうだよね。こっちの気持ちを無視するから嫌なんだよ」


 目線を上げる。

 廻は無表情を張り付けていた。しかし次に、「ただ」と口にした瞬間、剥がれそうもなかった鉄仮面が、ゆっくりと剥がれていくのを、ひなたは目の当たりにした。

 照れくさそうに微笑んで言う。


「これで私とひなたは、両想いってことでいいかな?」


 何を言われたのか、一瞬気付けなかった。脳が上手く機能してくれない。近くから歓声が上がり、ハッと我に返る。廻は鬱陶しそうに歓声の方を睨みつけ、だからここでは嫌だったんだよ、と呟いた。


 ひなたは足を動かした。歩幅を大きくして廻の前に行く。廻の整った顔を見つめ、躊躇なく抱き着いた。甘い匂いと温かさに包まれる。

 抱き返された。以前のような、力強いハグではない。ガラス細工を扱うような、優しいハグだった。

 幸福感に満たされていく。


「これからはずっと一緒にいようね、廻」


 ――この、どこまでも灰色な世界でふたり、わたし達は生きていくのだ。

 









  了











――あとがき――


 読んでいただきありがとうございました! 

 次作はかなりストレートな百合恋愛ものになる予定です。できればそちらもお楽しみに!

 

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どこまでも灰色な世界でふたり 円藤飛鳥 @endou0

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