第42話


 タクシーから降りて曇天の空を見上げる。突風が吹き、スカートが煽られたので手で押さえつけた。駐車場に目を向けると、見覚えのあるワゴン車があり、自分の考えに間違いはなかったと確信する。


 ひなたは大急ぎで階段を上っていった。誰ともすれ違うことなく、斜面に開かれたアスレチック公園に足を踏み入れる。


 ……いた。


 廻と天童が柵の前で向かい合っている。

 廻の手には刃物が握られていた。ハンカチで柄の部分を覆っている。指紋がつかないようにしているのだろう。

 天童は眉間に皺を刻んで、廻の顔を見つめていた。


「廻!」


 大声を出すと、二人がこちらを向いた。

 天童は救いの女神が来たという表情を浮かべていた。一方廻は、こちらを見つめ、「なぜ来たのか」という顔をしている。ひなたは怯むことなく、前に進み出た。

 廻が口を開く。


「ひなた、どうしてここがわかったの?」

「運命の赤い糸を追ってきた、ってところかな」

「あっそう。帰りなよ、これは遊びじゃないからね」

「わかってる。だから来たんだよ」


 前島、と天童が声を張る。必死の形相を浮かべていた。


「誰か人を呼んできなさい。この場から離れるんだ」

「こんな時でも、いい先生ぶりたいんだね」


 天童は顔を顰めて言った。


「お前の言い分は理解したよ。俺が田宮を傷つけた。だからこんなことをしているんだろ?」


 廻は何も答えなかった。面倒そうに空いている方の手で髪を梳いている。

 廻は覚悟を決めてこの場に立っている。ひなたがこれ以上近づくと、何をしでかすかわからなかった。とはいえ、何もしなかったら確実に天童を刺すだろう。

 ……説得するしかない。

 ひなたが口を開こうとした、その時だった。


「お前は勘違いしているよ」


 天童が覚悟を決めた表情で言った。


「確かに俺は教え子と関係を持った。職業倫理に反することだな。法的にもアウトだ。そのことについて言い訳するつもりはないよ」

「物分かりがいいね」

「……でもな、俺は本気で田宮を愛していたんだ。田宮のためなら、教師を辞める覚悟もあった」

 

 重いトーンで語る。


「それは立派だね。でも、後からなら何とでも言えるんじゃないかな?」

「あいつを本気で愛していたと、証言してくれる人間もいるよ。俺の妻だ」


 え、とひなたは喉を鳴らした。どういうことなのか。


「俺と田宮は良好な関係を築いていた。少なくとも、俺はそう思っていたんだ。だが、関係は長く続かなかったよ。田宮が他の男と付き合っていることが発覚したからだ。それを問い詰めたら、体だけの関係なのに必死になるなんてダサいね、と言われた」

「嘘みたいな話」

「ああ、嘘じゃないからな。俺と関係を持った時から、田宮は親の都合で引っ越すことが決まっていたらしい。将来的には結婚を視野に入れていた俺は唖然としたよ。田宮は俺との関係を、一時的なものとしてしか考えてなかったんだ。事実、引っ越しの直前、『もう連絡してこないで』と言われたよ……」


 泣きそうな顔で言う。とても嘘をついているようには見えなかった。


「俺は酒に溺れた。何とか仕事を続けてきたが、ひどく荒れた生活を送っていたんだ。見かねた親に病院に連れていかれて、先生に自助会を紹介された。その自助会で今の妻と出会ったんだ。妻は、俺が教え子に手を出したことを知ってるよ。そのうえで、俺と結婚する道を選んでくれたんだ」

「素敵な話。思わず泣きそうになったよ」


 廻が微笑むと、天童は頭を下げた。


「頼むから、もうこんなことはやめてくれ。俺ごときのために、手を汚すことはない。お前には未来があるんだ」

「未来ねぇ……」

「お前がどうしても不快なら、俺は教師を辞める。それで勘弁してくれないか」

「随分と軽い責任の取り方だね。そこから飛び降りるぜ、くらいの男気は見せてほしいんだけど」

「俺には守るべきものがある。だから、申し訳ないが、それはできない」


 頭を下げたまま言う。あまりに無防備な格好だった。

 固唾を呑んで見守っていると、廻は真顔になり、あーあ、と呟いた。


「……本当に先生は真っ黒じゃなかったんだね」

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