第41話

 廊下で寝息を立てている太志を素通りして二人で外に出る。凛子は駐車場で待っていた。


「馬場さん、ありがとう。助かったよ」

「あんたのために来たわけじゃないんだから。勘違いしないでよね」


 ぷいっと、そっぽを向いてしまう。ベタなツンデレキャラみたいだった。

 凛子はこの近くの公園にタクシーを呼んでいるらしい。天童の家に向かうつもりのようだ。


「わたしも乗せてくれるとありがたいな」

「割り勘ならいいわよ」

「もちろん払うよ」


 改めて七緒に「行ってくるよ」と伝える。気を付けて、と見送られた。

 公園に向かう途中、家での経緯を話した。


「なるほど、そういうことね」


 凛子の表情は変わらなかった。サイドテールを揺らしながら、いつもの仏頂面を浮かべている。


「私があの時、灰崎廻を助けたのは必然だったのかもしれないわね」

「え?」

「恋の試練ってやつよ。燃えるじゃない」


 どこまでも自分本位な人だな、と呆れを通り越して感心する。

 どうしてあの部屋に来たのかを訊くと、凛子は何でもないことのように答えた。


「尾行して外で待機してたのよ。人の出入りが多かったけど、あんたは一向に出てこなかった。だから姉を呼んだの」

「どうしてお姉ちゃんを?」

「あのデブの注意を引きたかったからよ。囮になりそうな人間、ほかに思いつかなかったの」

「人の姉を危険な目に遭わせてほしくないんだけど……」

「結果的によかったんじゃない?」


 それはその通りだ。今回のことがあったから、七緒の本心を知ることができた。

 公園に到着したところで、ひなたは体を凍り付かせた。

 シャーロットがいたからだ。ラットのメンバー五人を連れている。


「どうしてひなたがここに?」


 幽霊を見たような反応が返ってくる。

 どう言い訳したものか……。

 廻から太志に指令があって解放されたのだ。そう説明しようとしたところで、隣の少女が不敵に笑った。


「私が華麗に助け出したのよ。ハリウッド映画さながらにね」

「あ、ばか」


 思わず汚い言葉を使ってしまう。

 シャーロット達が眼光を鋭くした。


「太志は無事なの?」

「気持ちよさそうに、おねんねしているんじゃないかしら?」

「そう……」


 一番体格のいい男性が前に出てくる。肌が浅黒く、彫りの深い顔をしていた。

 シャーロットが肩を竦めて口を動かす。


「全員でファミレスに行きましょうか。たっぷり話し合いましょう」

「……それ、強制ですか?」


 ひなたが訊くと、シャーロットは無言のまま頷いた。言うことを聞かなかったらわかってるわね――そう言外に語っているようだった。

 その時、タクシーが公園の反対側の出入り口に停止した。


「悪いけど、あんたらと話す暇はない。忙しいの」


 凛子が空手の構えをとる。

 シャーロットを含め、ラットメンバー全員が苦笑した。


「正気か? 大人しく言うことを聞いておけよ」


 一歩前に出ていた男性が言う。凛子はそれを無視して、少しずつ間合いを詰めていった。


「マジでやる気なのか? ベスト・キッドリメイク版みたいには上手くいかないぜ」

 

 男性が口にした、次の瞬間だった。

 素早く男性の間合いに入ると、正拳突きを喰らわせた。ダメージが入ったのか、わずかに膝を曲げる。立て続けに攻撃を当て、次第に顎が下がっていく。凛子は容赦なく、その顎に蹴りを入れた。


 男性が倒れる。地面に仰向けになり、ぴくりとも動かなくなった。

 場が静まり返る。ひなたは、まるで夢を見ているような心地になった。


「黒帯を舐めないで」


 髪をなびかせながら言う。

 本気で自殺しようとしていた廻をたった一人で制止できたのは、こういうことだったのかと納得する。

 全員の間に緊張が走った。

 別の男性が前に出ようとして、シャーロットが制止する。


「私が仕留めるわ」


 ボクシング選手のような構えをする。そのまま軽いジャブを放った。常人離れした早さに目が追い付かなかった。


「シャーロットは幼少期からボクシングをしていたんだ。俺らより強いぜ」


 ラットの一人が言う。

 曇り空の下、二人が睨み合った。

 次第に緊張感が高まっていく。


 先に仕掛けたのは凛子だった。先ほどと同じように、素早い動きで間合いに入る。しかしシャーロットはそれを読んでいたようで、同じくらいの早さで間合いを取った。長い手を使いジャブを放つ。凛子はそれを受けつつ、果敢に攻め続けた。


 凛子の回し蹴りが決まり、シャーロットが姿勢を崩す。しかし、また軽いフットワークで距離を取り、態勢を立て直した。凛子もジャブによる小さいダメージが蓄積されているようで、呼吸を荒くしていた。


 シャーロットが攻めに転じて、間合いを一気に詰める。凛子の頬にパンチを喰らわせた。よろめいている。凛子は追撃を何とか躱しながら、一瞬こちらに顔を向け、ウィンクした。


 ひなたはハッとした。ラットの他メンバーを確認する。全員、目の前の戦いに釘付けになっているようだ。

 ……今しかない。

 ひなたは全速力で走り出した。


 ラットのメンバーの一人がこちらに気づき、三人で追いかけてくる。

 全速力で走ったおかげか、追いつかれず、タクシーに乗り込むことに成功した。運転手に「とりあえず出してください!」と叫ぶように言う。車が発信して、公園がどんどん小さくなっていった。


 体から力が抜けていく。次の瞬間、「あっ」と声を上げた。

 天童の家の住所……。

 聞いておくべきだった、と後悔する。

 どうしたものか、と思っていたところで、運転手が「二丁目の茶色い門の前でいいんですよね?」と口を開いた。どうやら凛子は、行き先まで伝えていたらしい。


 彼女には何から何まで助けられっ放しだ。いずれお礼をしなくては、と強く思う。


 お願いします、と言いかけたところで、ふと、ひなたは違和感を覚えた。

 今は一刻を争う時だ。気にするほどのことではないだろう。一方で、この違和感を見逃すと、取り返しのつかないことになるのではないか。そんな感覚もあった。


 落ち着け、とチョーカーに触れながら考える。


 廻は天童の家に向かうと話していた。

 しかし、それは真実なのだろうか?

 廻は自分一人の力で片付けようとしていた。行き場所を伝えたら、ひなただけでなく、心変わりしたラットのメンバーが集まってくるかもしれない。廻はそれを望んでいなかったはずだ。

 それなのに、計画を実行するために天童の家に行くとシャーロット達の前で口にした。

 やはりおかしい。


「お客さん……?」


 運転手に急かされる。

 ひなたはゆっくりと口を開いた。


「鉄山に向かってください。大至急で」

 


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