第35話
相坂公園は自宅から徒歩十五分のところにあった。入口に自転車を停めて中に入ると、ひなたは意外な光景を目の当たりにした。
馬場凛子が女性と口論していたのだ。相手はシャーロットで、露出の多い服を着ていた。腕を組み、眉尻を上げている。
凛子はシャツにジーパンというラフな格好だった。
慌てて駆け寄ると、二人は同時にこちらを向いた。先に口を開いたのは凛子だ。
「遅いわよ」
「これ、どういう状況なの?」
「見ればわかるでしょ。灰崎廻の仲間を詰めていたところよ」
凛子が不敵な笑みを浮かべてシャーロットを見つめる。
「観念なさい。灰崎廻の計画は全てお見通しなんだから」
「計画なんて知らないって言ってるじゃない……」
シャーロットが溜息混じりに言う。
「廻はラットを抜けたのよ。今の廻が何をしようとしているのか私にはわかりようがない。ひなた、あなたからも説明してあげて」
急に話を振られて戸惑っていると、凛子が睨みつけてきた。
「廻が不良グループのリーダーだったと知ってたの? もしかして構成員? それと、この女とも知り合いなのね?」
「辞めるところには立ち会ったけど仲間ではないよ。不良グループのリーダーなのはその時に知った。あと、シャーロットさんと会ったのもその時が初めてで、今回会うのは二度目だよ」
シャーロットが首を傾げる。
「さっきからあなたの言っている廻の計画って何なの? 私にはわからないんだけど」
「決まっているじゃない。うちの高校の教師、天童正義と既成事実を作ろうっていう、恐ろしい計画のことよ」
「……またその話なんだね……」
ひなたは呆れた。彼女の妄想に振り回されるのは懲り懲りだった。
「証拠もある。今度は消されてないから安心して」
スマホを取り出して画面を見せてくる。タップすると動画が流れた。街中で廻が天童の後をつけている映像だった。たっぷり一分は流れる。
凛子は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「どう?」
「ど、どうって言われても……」
「不良グループのリーダーだっていう証拠を、あんたに見せようとした時があったでしょ。見せられなかったのは、灰崎廻にスマホを盗まれてデータを消されていたからよ。あんたに声を掛ける前、灰崎廻にぶつかったのをつい最近思い出したわ。写真を撮られたことに気づいて、灰崎廻は私からスマホを盗み出し、データを消してまた戻したみたいね。プロのスリみたいな手際の良さだわ」
ひなたは自分の胸に手を置いた。激しく心臓が鳴っている。
凛子の言う通り、廻は天童を狙っているのだろうか?
しかし、いったいなぜ?
シャーロットが真顔で言う。
「廻がどういう理由でその教師を付け狙っているのかは知らない。廻も思春期の女の子だからね。さっきの映像を見る限り、イケメンだったから、そういうことなんじゃないかしら」
「しらばくれる気ね」
凛子が目を細める。
「教師のことで灰崎廻を詰めてたでしょ。知っているのよ」
シャーロットは腕組みを解き、鋭い目つきで凛子を睨んだ。敵意を剥き出しにしながら言う。
「ストーカーってわけ。犯罪よ。最低最悪の犯罪」
「私は私の信じる道をいっているだけ。それを貫くためなら何だってするわ」
凛子はストーキング行為を肯定しながら微笑んだ。
やはりシャーロットは、廻が天童を付け狙っていることを知っていたようだ。
廻はなぜ自分には話してくれなかったのだろう。ここのところ、ずっと一緒にいたのに……。
ずきりと胸が痛む。
シャーロットは溜息をついて言った。
「これ以上何を話しても無駄なようね」
「逃げるつもり?」
「ええ、逃げるわ。今の私にはやらなきゃいけないことがあるの。それは、あなたと会話することじゃない。ラットの子達に心の拠り所を提供することよ」
指を突き付ける。
「あなたがその邪魔をするというなら私は徹底して交戦するわ。覚悟しておくことね」
「やっと反社っぽくなってきたわね。それでこそ、廻の後継者にふさわしい」
「ラットは反社じゃない」
「さっき、交戦すると言ったじゃないの」
「それは私個人で、という意味よ」
ばちばちとしたやり取りを終え、シャーロットはひなたに微笑み掛けた。
「安心して。あなたが無理矢理呼び出されたことは把握してるから。あなたと戦うつもりなんて毛頭ないわ」
「理解してくれて助かるよ」
シャーロットは別れの言葉を残して公園から出ていった。
凛子が舌打ちする。
「……まさか、緊急事態ってこれのこと?」
非難のニュアンスを込めて訊くと、凛子は肩を竦めて言った。
「あの女がこの時間にこの公園を通ってパン屋に行くことはわかってた。だから待ち伏せして揺さぶりをかけてやろうと思ったのよ。一人よりは二人の方が効果的でしょ」
「そんなことで呼ばないでよ……」
ここに来る前の姉とのやり取りを思い出してげんなりする。
「もう一つ訊きたいんだけど、どうしてわたしの家の番号を?」
「簡単に調べられたわ」
いや、説明になってないんだけど……。
廻の周辺のことは何でも調べ尽くしているのだろう。異常と言っていい執念深さに慄く。何をそこまで彼女を駆り立てているか。
凛子は眉尻を上げて呟いた。
「私は灰崎廻を絶対に許さない。全力で学校から追い出すと決めている」
「天童先生と前世からの繋がりがあるからだっけ?」
しらっとした視線を向けてくる。
「いくらでもバカにしてくれていいわ。慣れてるから。それと、自分がおかしいことくらい理解しているのよ。親に精神科に連れていかれて入院したことがあるくらいだもの。いまだに薬を服用しているわ。だけど、これだけはハッキリと言える。灰崎廻は、正義に何か悪さをしようとしている。それだけは間違いないの」
ひなたは凛子を見つめて訊いた。
「……馬場さんって、以前から廻のことを知っているんじゃない?」
「どうしてそう思うのよ」
「ただのカンだけど」
凛子は不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「なかなかの直感力ね。あんたの言う通りよ。初めて会ったのは今からちょうど二年前。灰崎廻は、鉄山で飛び降り自殺をしようとしていた」
ひなたは喉を鳴らした。
廻が……自殺を……?
「たまたま公園を通りかかった私がそれを阻止したのよ。そして、大人に引き渡した。それが原因で病院に連れていかれたみたいね」
「……そ、そんなの……」
「ショックを受けるようなことじゃないでしょ。未成年の自殺、自殺未遂は年々増えてきている。あたしも五回くらい自殺未遂しているわよ」
曇り空を見つめながら、つまらなそうな表情で口を動かす。
「この灰色の世界で生きていくのは難しい。物事を見通せる人間には尚更ね」
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