第31話
鉄山に登ることはデートの予定に組み込まれていたのだろう。廻はハンドバッグから懐中電灯を取り出して、足元を照らしながら登り始めた。ひなたは、その後をついていく。
アスレチック公園に到着すると、二人でブランコに座った。
数メートル先に崖がある。例の中学生が飛び降りようとしていた場所だ。
「なんでここに来たの?」
ひなたが質問すると、廻は顔を上げた。つられて空を見上げる。
たくさんの星が散らばっていた。星座には詳しくないが、圧巻、と言っていいだろう。
「……綺麗だね……」
うっとりしながら言う。来てよかったな、と思った。
何の反応もないので横を見ると、廻は柵の向こう側を見つめていた。
「星を見に来たわけじゃないよ。二年前、そこの柵を乗り越えて一人の生徒が身を投げた事件を知ってる?」
「……ううん、知らない」
「飛び降りた子、私の友達だったんだ」
廻は笑みを浮かべながら言った。
「……助かったの?」
「死んだよ」
飄々と、いつもの調子で口にする。
「ちょうど二年前の今日この時間に、彼女はあそこから飛び降りて死んだんだ」
ひなたは言葉を失った。
言葉を挟まずに待っていると、廻はゆっくりと口火を切った。
「担任教師に弄ばれたらしいよ」
その子は担任教師と付き合い性行為の映像を撮られたうえで捨てられたそうだ。
「そのことを知ったのは私が中学三年の時。突然告白されて驚いたよ。あの子、クソ真面目だったからね。まさか、教師と寝ているとは思わなかった」
廻は友達の相談に乗り、「教師を破滅させてやろうよ」と提案したそうだ。
「被害者であることは最強の切り札になる。そう言ったんだけど、あの子は頑なで話を聞こうとしなかった。とにかく辛い、何も考えたくないと言い続けたよ。そして翌日、飛び降りたんだ」
場が静寂に包まれる。
廻は笑みを消して続けた。
「バカだよね」
その言葉が誰に対してのものだったのか、ひなたにはわからなかった。ただ一つだけ確かなのは、廻にとってこの話が、とても重要な意味を持つということだ。
ひなたはブランコのチェーンを握りしめながら重たい口を開いた。
「廻は何も悪くないよ」
「うん、知ってる」
友達のほしかったものは復讐のアドバイスではなく、共感の言葉だったのではないか。そんなことを思う。しかし、口には出さなかった。
「その教師は今どうしているの?」
「知らない」
嘘だ、と確信する。
廻が教師を見逃すはずがなかった。
学校での態度が悪かったのは教師全般に不信感があったからかもしれない。
廻はブランコから離れ、柵の近くに立った。こちらを振り返り、笑みを浮かべる。
「この世の中ってクソだよね。理不尽なことが多い。いや、この世そのものが理不尽で出来てるってことなのかな? とにかく、理不尽な世界で生きていくには、常に選択をしなといけない」
「選択?」
廻は軽い調子で続けた。
「加害者か被害者か。その選択だよ。あの子は被害者の道を選んだ」
「自由意志とは限らないでしょ。被害者になりたくなくても、なってしまうことはたくさんある」
「そうだね。でも、被害者のポジションから抜け出すことはできたはずだよ。その道はあった。でも、選ばなかった。彼女は被害者のまま死んだ。加害者を殺せた立場なのにね」
「皆、廻みたいに強くないんだよ。そういう考えにはなかなか至れない」
「私、ひなたからすると強く見えるんだね」
はっとする。廻の顔が月明かりに照らされていた。優しく微笑んでいる。
自分は廻のことを何も知らない。
こんな話をしているのに、内面を見通すことができなかった。
ひなたは絶望的な気持ちになった。
廻は再び夜空を見上げて言った。
「せっかくのデートなのに暗い話をしちゃったね」
「……廻のことを知れたのはよかったよ。話してくれて嬉しかった」
「そう」
ひなたの前に戻ってくる。頭に手を置かれた。そこまま髪を撫でてくる。
「昔、その子の髪をこうしてよく触ったんだ。懐かしいなぁ」
「そう」
「嫌がらないんだね」
「今日はデートで特別だから」
廻の手を感じながら、気持ちを整理していく。
廻に友達がいた。
しかし、今はいない。
自分は連れで、廻の友達ではなかった。たぶん廻にとって友達は後にも先にも一人だけなのだろう。そのたった一つの空席が埋まることは一生ない。
自殺した子には申し訳ないが、廻の友達になってあげられないことを、ひなたは深く、とても深く悲しんだ。
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