第30話


 ショッピングモールを見て回り、出入り口前で足を止める。時刻は午後六時三十分だった。


「そろそろ帰ろっか」


 名残惜しさを感じながらも笑顔で言う。廻は真顔でひなたを見下ろした。


「行きたいところがあるんだ」

「え、今から? どこに行きたいの?」

「山」


 なぜそんなところに行きたがるのか。

 今から鉄山に向かえば、間違いなく七時は超えてしまうだろう。


「次の休日に行けばよくない? 夜の山に登るのは危ないよ」

「今日行かないと、もうチャンスはないんだよね」

「チャンス……?」

「ま、ひなたが無理なら別にいいけど。私一人で行くから」


 ひなたは溜息をついた。素直に「来てくれ」と言ってくれれば真剣に考えるのに、なぜこういう言い方しかできないのか。

 肩を竦めて言う。


「廻ってずっと反抗期って感じだよね。そろそろ卒業すべきじゃない?」 

「そう言うひなたは、成長期前って感じの見た目だよね。そのラウンドセル体形、卒業すべきじゃない?」

「なんだと」


 廻が外に出ていく。空はオレンジ色に染まっていた。あと数十分で完全に闇に包まれるだろう。


「待って、お姉ちゃんに連絡してみるから」

「来てくれる気になったんだ」

「まぁね」


 ひなたはスマホを取り出して姉の七緒に電話を掛けた。

 繋がったので端的に事情を説明する。


「……例のお友達とこれから出かけるのね」

「先にご飯食べてて。八時くらいには帰るから」

「ダメよ」


 予想外の言葉に、ひなたは動きを止めた。


「夜の山に登るなんて危険すぎるわ。怪我するかもしれない。それに、危ない人達がたまり場にしているかもしれないのよ」


 真っ当な指摘だった。

 そうだね、と苦笑しながら返す。以前のひなたなら、電話を掛ける前に廻の提案を断れていただろう。

 廻に視線を向けると、退屈そうに佇んでいた。不思議と寂しそうに見える。

 今すぐ帰るよ――そう口にしようとした。しかし自分の意思に反して、全く違う言葉が吐き出された。


「お姉ちゃんごめん。廻を一人にはさせられないからわたしも行くよ」


 しばらく返答がなかった。通話が切れてしまったか。そんな疑念を持ったところで、「……ひなた……」と低い声が耳朶を揺らした。


「あなたも私から離れようって言うの?」


 え、と喉を震わす。どう返していいかわからなかった。


「ひなた、答えて。私のことを見捨てるつもり? お母さんと同じことをするつもりなの?」

「私はただ、友達が心配なだけだよ」

「そんな子、友達じゃないでしょ!」


 ひなたは呼吸を止めた。耳を疑いたくなる。今の台詞を、七緒が発したものと思いたくなかったのだ。現実逃避を数秒で終え、「なんで?」と訊く。


「だって、ひなたを危険なことに巻き込んでいるわ。そんなの、友達のすることじゃないでしょ。冷静になって、今すぐ帰ってきなさい。そして、金輪際、その子とは距離を――」

「お姉ちゃんに口出しされる筋合いはない」


 息を呑む音が聞こえた気がした。

 ひなたは冷静に続けた。


「ごめん、言い方がきつかったね。すぐ帰れないのは申し訳ないと思うよ。でも、交友関係にまで口出しされたくない」


 気まずい沈黙の後、「ひ、ひなた……?」という弱々しい声が聞こえた。


「ごめんね。帰ったら話すから」


 通話を切る。

 ひなたは少しの間スマホを見下ろしてから廻のところに足を運んだ。


「どうだった?」

「お姉ちゃんには『行くな』って止められたよ」

「ふうん、帰っちゃうんだ」


 初めから期待していなかったのだろう。切り捨てるように言われた。

 ひなたは首のチョーカーに触れながら口を動かした。


「行くことにした」

「止められたんじゃなかったの? ひなたのことだから山に行くって馬鹿正直に話したんでしょ?」

「話したね。でも、『廻のことは放っておけない。だから行く』――そう伝えたよ」

「同級生を子供扱いするなんて、最低だね」


 どっちが、と声を張る。


「廻を一人で山に行かせたら、また危ないことするかもしれないからね。監視のためについていくことにしたんだよ」

「私としては、夜のデートのつもりで誘ったんだけどね」


 ワードだけ聞くとロマンチックだ。


「さっきまでのデートと何が違うの?」

「何もかも違うよ。夜だからこそのデートっていうものがあるんだよ。それを、最後にひなたとしたかったんだ」


 経験不足のせいでよくわからない。夜だからなんだというのか。

 ふと、頭の中に想像が駆け巡る。ひなたは自分の体を抱いて後ずさった。


「ま、まさか、わたしとエッチなことを……?」 

「ひなたって小さいくせにむっつりだよね」

「小さいくせには余計だから!」

「むっつりは認めるんだ」


 くだらない会話をしながら駐輪場に足を運び、自転車のサドルに跨る。二人でショッピングモールを後にした。

 ペダルを踏み込みながら、先ほどの姉との会話を何度か反芻した。家に帰ったら誠心誠意謝ろうと思う。しかし、廻との関係に口出しするのはやめてほしいと、強く伝えるつもりだ。

 もしも、納得してくれなかったら……。

 ひなたは考えるのをやめ、ひたすら前に進んでいくことだけに集中した。

 

 

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