第29話


 フードコートで食事を終え、ショッピングモール内の映画館に移動した。


「今はフェリオ監督の作品が話題だね。ホラーだけどミステリの要素があって、好事家の間で絶賛されてるみたい。あ、あとはアメコミ映画の新作も話題になってるね。フェイズ5に突入していて、ビギナーがここから入るのはきついと思うけど、今年一のエンタメ作品だって言われてる。わたしはシリーズ全部追ってるから、後で見なきゃなぁ。あ、あとは斎藤監督のラブコメ作品についてだけど」

「ひなた」


 話を遮られる。


「もう少し落ち着いて話したら?」

「あ、ごめんね。そうだよね。で、斎藤監督の作品なんだけど」


 ひなたは嬉々として映画語りをした。映画鑑賞を趣味にしていた姉の影響で、ひなたも映画を観るようになり、気づけば大好きになっていたのだ。必ず週三本は観るようにしている。ひなたが好んで観るのは、大衆向け娯楽作品、もしくはマニアックなジャンル映画だった。


「廻の好きな映画トップスリー教えてよ」

「あんまり詳しくないんだ」

「でも、全く観てないってことはないでしょ。トップスリーを話してくれたら、おすすめ教えられるけど?」

「私、いつ教えてほしいって言った?」


 観る映画はすでに決まっていた。謎が謎を呼ぶサスペンス映画だ。ポップコーンと飲み物を購入して列に並ぶ。


「さっきご飯食べたばかりじゃん。ひなたって食いしん坊さんなのかな?」

「映画館にお金を落としたいんだよ。お布施みたいなもの」


 並んで席に座ると、予告編が流れ、やがて映画が始まった。


 同僚の自殺の真相を探っていくというタイプの物語だった。話が二転三転して、最後には意外な真相が暴かれ、切ない余韻を残しながらエンドロールが流れていった。


 照明がつき、客達が立ち上がる。流れに従い外に出る。


「面白かったね~」


 ひなたが声を弾ませる。廻も同意らしく「そうだね」と頷いた。

 映画の感想は喫茶店で話すことになった。その前に済まそうと、廻がトイレに入っていく。


 ひなたは通路に残り、余韻に浸りながら待つことにした。何となく周囲を見回して、わずかに顔を顰める。知った顔を見つけたからだ。


 馬場凛子だった。

 白いシャツに緑のカーディガンという格好で、自撮りしている。とびきり可愛らしい笑みを浮かべていた。


 ひなたは彼女から顔を逸らした。デート中に絡まれたくない人物の一人だった。気づかれないように息を潜める。


 スマホを取り出そうとしたところで「ねえ!」と声を掛けられた。案の定、凛子が目の前に立っていた。吊り上がった目をこちらに向けている。


「……あ、馬場さん、奇遇だね」

「この世に奇遇なんてない。全て必然なのよ」


 相変わらずのようだ。


「どうしてここにいるのよ」

「映画館にいるのが答えだよ」

「どういうこと? ナゾナゾ?」

「映画を観に来たってこと」


 同行者の存在は隠しておこうと思った。廻のことを知られたら、何か面倒な行動に出る恐れがあるからだ。

 廻が戻って来る前に、何とか彼女を遠ざけなければ。無難な話で退屈させるのがいいだろうか。

 凛子が顔を覗き込んでくる。


「いったい何を観たわけ?」

「内藤監督の『疑惑の園』って作品だよ」

「ああ、なるほどね」


 凛子は鼻を鳴らして言った。


「あの三流監督の駄作ね。彼の作品だから、つまらなかったでしょ?」

「待って」


 ひなたは頬をぴくつかせながら言った。


「誰が三流監督だって?」

「あなたのことじゃないわ」

「……知ってる」

「内藤監督を三流と言ったのよ。ろくでもない映画ばかり作ってるでしょ。あの手の量産型監督、大大大っ嫌いなの」

「いや、内藤監督は量産型じゃないから。職人監督ではあるけどね。馬場さん、何もわかってないね」

「は?」

「何も、わかって、ないね」

「むかつく言い方ね」 


 ひなたは全力で内藤監督を擁護した。演出面が飛び抜けていて、特に影の使い方が凄いと力説する。凛子は腕を組み、時に反論し、時に肯定しながら話を最後まで聞いてくれた。


 話し終えると、凛子は尊敬のまなざしをひなたに向けた。


「そういう視点で彼の作品を評価したことはなかったわ。やるわね、前島ひなた」

「馬場さんも映画好きなの?」

「正義先生が好きらしくて、いろいろと観たわ。それで好きになったの」


 好きな男性の趣味を好きになったわけか。


「最近もいろいろと観ているわ。特によかったのが『こっくりさんの悲劇』よ。まったく期待していなかっただけに、面白くてびっくりしたわ」

「え、え、え?」


 ひなたは大きく目を見開き、凛子に詰め寄った。


「馬場さん、あれを観たの。最高だよね、あの作品。今年のベストだよ!」


 思わず凛子の手を取る。凛子は表情を硬くして、「え、ええ。最高よね」と呟いた。

 まさか、あのマニアックな作品を観ている人間が身近にいようとは。


 ひなたは感動に打ち震えながら、作品のよさを語った。凛子は最初押され気味だったが、やがてひなたに同調して「最高よね」と声を張った。嬉しそうにしている。


 その後、好きな作品トップスリーを披露し合い、互いのセンスを褒め合った。

 話が途切れたところで凛子が言った。


「前島ひなた、やはりあたしの仲間にならない? 一緒に灰崎廻を学校から追い出すの」

「やだ」

「ふふ、その言葉を待っていたのよ。では――って、なんでよ!」


 睨まれる。仲良くなったのだから仲間になるのが当然でしょ、と言わんばかりの態度である。


「わたしは廻の連れだからね。あと、廻、天童先生には興味ないと思うよ」

「いずれあなたにもわかる時がくるわ。その時、あたしの仲間にならなかったことを後悔するといい」

「はいはい」

「バカにしないで」

「バカにしてないよ。また映画の話しようね」

「ふんっ!」


 凛子は身を翻して去っていった。と思ったら突然引き返してきて「一緒に写真を撮りましょう」と言ってきた。二人並んで写真を撮る。彼女は嬉しそうな顔で去っていった。


 意外とまともなところもあるのかもしれない。そんなことを思う。学校の子と話すのは久しぶりで、気分が高揚した。

 ふと振り返り、ひなたは血の気が引いていくのを感じた。


 廻が壁に寄りかかり、こちらを見ていたのだ。恐ろしいほどの真顔で。

 すっかり忘れていた……。

 近づいて声を掛ける。


「あ、ごめんね。待たせちゃった」

「別に。九分四十五秒しか待ってないけど」

「こ、声掛けてくれればよかったのに」

「楽しそうだったからね。気を遣ってあげたんだ」


 顔を逸らされる。


「あの子、馬場凛子でしょ? 私を退学させようと目論んでいる人」

「そ、そうだね……」

「私とのデート中に、私を追い出そうとしている女と仲良く話してたわけだ」

「あ、それは、えっと……違うんだよ」


 廻が早歩きで移動する。ひなたはその後を追った。


「ご、ごめんね。映画の話になると、我を忘れてしまうところがあってさ」

「ふうん」

「そうだ、喫茶店でおごるよ。なんでも飲んでいいよ」

「別にいい」

「……あ、あの、廻、怒ってる、よね?」


 足を止めて振り返る。真顔で見つめてきた。


「ひなたには、私が怒っているように見えるの?」


 見えるよ!

 心の中で声を張り上げる。

 廻は笑みを浮かべた。


「怒ってないよ。ただ、ひなたには申し訳ないことをしたなと反省していただけ」

「え?」

「本当は私とじゃなくて、馬場凛子と映画トークしたかったんだよね? 今から追いかけて、一緒に映画の話をしたら? 私は止めないよ」


 また無表情に戻り、早歩きで通路を進んでいく。ひなたは何度も謝罪の言葉を口にして、廻の機嫌を取った。

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