第24話


 放課後の教室で廻と向かい合う。

 すでに他の生徒はいなくなっていた。廻が帰らせたからだ。


 窓の外を見ると、雨が降っていた。カヤは今頃、タクシーで自宅に向かっているはずだ。付き添いたかったが、廻に大事な話があると引き留められたのだ。皆と一緒に教室を追い出された後、「準備が終わったから来ていいよ」とメッセージをもらい、今に至る。


 廻は机に寄りかかり、愉快そうにひなたを見つめていた。

 視線を交差させながら口を開く。


「いったいカヤに何を言ったの?」


 廻は肩を竦めた。


「励しただけだよ」

「カヤ、凄く怖がってた。正直に話して」

「まぁ、答えてもいいけどね。ただその前に、こっちの質問に答えてもらおうかな」


 廻は灰色の空を眺めながら言った。


「ストーカーに傘を盗まれたって件、どう思った?」


 ひなたは首を傾げた。


「傘? なにそれ、知らないんだけど」

「さっき、カヤが言ってたよ。鞄の中に入れておいた折り畳み傘がなくなってたんだって。たぶん忘れたんだろうけど、ストーカーの仕業だったとしたら怖いよね」

「……傘だけ盗むとは思えないけど……」

「私もそう思う」


 廻は机から離れ、教室を見渡した。


「カヤの席ってどこだっけ?」


 廊下側から数えて四番目の列に視線を向ける。その列の前から三番目の席を指さした。


「じゃあ篠原の席は?」

「わたしの後ろだけど」

「田中の席は知ってる?」

「えっと……」


 あまり仲の良くない男子の席なので、正直どこだかわからなかった。

 廻は、ひなたの目を見つめながら言った。


「他校で仲のいい友達が、どこの席に座っているかはわかる?」

「……わかるわけないでしょ。何が言いたいの?」


 お子様を見るような視線を向けられる。

 廻は、噛んで含めるように言った。


「ストーカーは、どうやってカヤの席を特定したんだろうね」


 ▼


 沈黙が落ちる。

 ひなたは嫌な予感を覚え、廻の端正な顔を見つめた。いつも通り、人を馬鹿にしたような笑みを浮かべている。


「それは……人から聞いたんじゃないの……?」

「三十代半ばの男にクラスメイトが情報を売ったってこと?」


 ひなたは口を閉ざした。


「まあ、可能性としてはゼロじゃないね。でも、ストーカーはなんでそんなリスクの高いことをしてまで、カヤの席を知ろうとしたのかな?」

「紙を入れるためでしょ」

「ポストに投函すれば済む話なのに?」

「家族に見られたくなかったとか……」

「それならそれでやりようは他にあったはずだよ。カヤあてに郵送するとか。家族に見られる危険性をもっと排除したかったのなら、カヤが帰ってくるのを見計らって、玄関の前に紙を置いておけばいい。第三者を使って机に紙を入れさせた、ということも考えられるけど、やっぱりこれもリスクが高いし、わざわざそんなリスクを背負う理由もない」


 頭が混乱してくる。

 廻は愉快そうに続けた。


「私の考えを話すね。紙を入れたのはストーカーじゃなかったんだよ」

「え?」


 バカな、ありえない。そう言いたくなる。


「では誰が紙を仕込んだのか。それを推理するには、ある人物の不自然な言動に目を向ける必要がある」

「不自然な言動?」

「紙を発見した日、二人は手分けしてカヤの忘れ物を取りに行った。その時、どうしてカヤは筆箱の方に行ったんだろうね。普通、逆じゃない? 筆箱は友達に任せて、スマホの方を自分で取りに行くのが自然に思える。さらに言うと、ストーカーの気配を感じていたのなら一緒に行ってもよかったんじゃないかな。でも、カヤはそう提案しなかった」

「それは……」

「はっきり言うね。紙を仕込んだのはカヤ本人だよ」


 嘘、と声を掠れさせる。

 廻は淡々と続けた。


「悲劇のヒロインになることで注目を浴びたかったのか、はたまた別の理由でそんなことをしたのか。いろいろと考えてみたんだけど、明確な動機はわからなかった。そんな時、カヤから連絡があった。ストーカーが家に現れたってね。正直、私はストーカーの存在そのものを疑っていたから少し驚いたよ」

「いないと思ってたの?」


 廻は肩を竦めた。


「壁のことを覚えてる?」


 割れた鉢植えの光景が脳裏に蘇る。


「私はカヤに、『あっちの壁に跡があったけど、ストーカーの仕業で合ってる?』って訊いた。するとカヤは、『たぶんそう思う』と答えた。このやりとり、少し変じゃない?」


 言葉を切り、こちらの様子を伺ってくる。

 ひなたは何も答えられなかった。

 廻が失望の色を浮かべて続ける。


「カヤはリビングでストーカーの存在に気づき、腰を抜かした。いなくなるまでの間、犯人はテラスから何も持ち出していないと証言している。テラスから鉢植えを持って視界から外れたわけではないってことだ。当然、カヤには壁のことなんて知りようがなかった。にもかかわらず、カヤは壁がどうなっているのか、私に追求してこようとしなかった。普通、気になるよね。自分の家の壁がストーカーに何かされたんだと知ったら。さっき、ひなたは私の傘の話に対して『傘? なにそれ?』って訊いてきた。それが普通の反応だよ」


 さっきの会話はこの推理に説得力を持たせるために振られたものだったらしい。

 廻の周到さに唖然とする。


「それからカーテンも気になった。ストーカーが目の前にいる状態で閉めるのは勇気がいるけど、いなくなったのなら、閉めたいと思うのが普通でしょ。でも、現場のカーテンは全開だった」

「……腰が抜けて動けなかったから閉められなかったんだよ」

「目の前のテーブルに、開け閉めのできるリモコンがあったよね。ボタンを押せば済む話だよ。まぁ、見えなくなると余計に怖くなるって心理もなくはないから、これは論拠として弱いかな。だけど、結論を補強する要素の一つにはなりえる」

「待って」


 ひなたは声を絞り出して言った。


「廻はストーカーの存在を疑っているみたいだけど、わたし、中学時代にストーカーを一度見てるから。前にも話したでしょ」


 廻は冷めた視線を向けてきた。


「本当にそれ、ストーカーだったのかな?」

「え」

「カヤがストーカーだと主張しただけで証拠は何もないよね。その人、ひなたに怒鳴られたから逃げたんじゃないの? 冤罪を恐れてね」


 ひなたは拳を握りしめた。廻の言うことが事実だとしたら、自分は無実の男性に酷いことを言ったことになる。


「ストーカーなんていないと思った理由は他にもあるよ。カメラを設置して家政婦を雇うことになったそうだね。おまけに興信所にも依頼を出したとか。子供想いの良い親だと思うよ」


 ただ、と続ける。


「対応が遅すぎると思うんだ」


 廻は淡々と続けた。


「中学の時点でやっておけば、今回の件は防げていたんじゃないかな。でも、両親はそうしていなかった。私が思うに、カヤは両親にストーカー被害を伝えていなかった。もしくは、伝えてはいたけれど、両親に嘘だと気づかれてしまっていた。だから過去に対策は取られていなかった」

「そんな……そんなことは……」

「このストーカー事件にはおかしい点が多すぎる。素人の私にもわかるくらいだから、大人達にはバレていると思うんだよね。でも、十代の娘が被害を訴えているから無碍にはできない。だから、それなりの対応で流そうとしているように思えるんだ」


 ひなたは反論を試みようとした。しかし、考えがまとまらなかった。

 自分の信じていたものは、全て嘘だったのだろうか?

 首のチョーカーに触れ、お姉ちゃんの顔を思い浮かべる。


「動機は?」

 

 ひなたは声を絞り出した。

 廻が清掃用具入れを見つめながら口を動かす。


「正確にはわからないけど、いろいろあるんじゃないかな? 被害者になることで受けられる恩恵はたくさんあるからね。今日みたいに同情を集められたりとか、取られそうになっている友達を独占できたりとか」


 過去の様々なことを思い出す。カヤは周囲から被害に遭うことが多かった。初めて会った時も、上級生の男の子に悪口を言われたと主張していた。しかし、上級生の男の子は、最後まで釈然としない顔をしていた。

 まさか、と口の中で呟く。

 ひなたは呼吸を落ち着かせて言った。


「でも、ここまで大きい騒動を起こすとは思えないよ」

「普段の彼女なら、小さな嘘で同情を集めて終わっていたと思うよ。でも、今回ばかりは、それだけではダメだと思ったじゃないかな。だから、家にストーカーが侵入したなんていう、警察沙汰に発展するような大きい嘘をついた」

「どうしてそんな嘘を……」

「お父さんを告発することが目的だった。そう考えたらどうかな?」


 大きく目を見開く。

 晴天の霹靂だった。なぜ彼女がそれを知っているのか。


「その反応を見るに、やっぱりひなたも知ってたんだね。なら、ひなたが隠した紙に、そういうことが書かれてあったのかな?」

「……どうして浮気のことを知ってるの……」

「匂いだよ」


 廻は自分の鼻を指さした。


「カヤの父親が帰ってきた時、シャンプーの匂いを纏っていた。仕事帰りに銭湯へ行ったのかな、と最初は思ったけど、持っていたのは小さい手持ち鞄だけだった。銭湯帰りとしては身軽すぎるよね。だから、誰かとホテルで会っていたのかなと想像した。もちろん単なる想像でしかなかったけどね。でも、カヤが浮気に気づいていたとしたら、面白いくらいパズルのピースがはまっていくんだ」


 雨の音が激しくなる。バケツをひっくり返したような大雨になっていた。


「父親側の視点に立って考えてみようか。自分が浮気している間に、娘がストーカーに襲われたと知ったら、どう思うかな。たぶん、凄い罪悪感に駆られると思う。狂言だとわかったら、事態はより深刻になる。娘は自分のせいで狂言をしたのではないか、と思っちゃうからね。それだけじゃない。警察や妻から、いったいどこで何をしていたのかと証言を迫られる。お父さんからすると、いろいろな意味で今回の件は致命傷になる」

「カヤの狙いはそれだった、って言いたいの?」


 廻は質問には答えず、話を前に進めた。


「ひなたに紙を発見させたのも、告発のためだったんじゃないかな。自分の口から告発する勇気はなかった。だから、ひなたにやってもらおうとしたんだよ。でも、ひなたは思う通りに動いてくれなかった。だから、存在しないストーカーが家に来たというストーリーをでっちあげ、父親の罪を白日の下に晒そうとしたんだ」


 ひなたは完全に言葉を失った。思考が鈍っていくのを感じる。

 カヤは、嘘をついていた……?

 あの誰にでも優しいカヤが……?


「そろそろ本人に真相を訊いてみようか」

「え」

「出てきなよ」


 数秒後、清掃用具入れから物音がした。ゆっくりと扉が開かれる。

 顔面蒼白のカヤが姿を現した。

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