第23話
ストーカーの件から三日が経過した。あれ以来、カヤは一度も学校に姿を現していない。家族全員で休みを取り、今後のことについて話し合いを行っているという。
休み時間中の教室は騒がしかった。そろそろ次の授業の準備を始めるかとスマホをしまったところで、突然、頭に手を乗せられた。振り返らなくても誰だかわかる。
ひなたは眉を顰めて言った。
「手を置くための場所じゃないよ」
「じゃあ、何する場所なの?」
「頭脳労働」
「あはは」
いやここ笑うところちゃうやろ……。
手を払いのけて振り返る。廻が椅子に座っていた。
「篠崎さんの席だよ、そこ」
「知ってる。篠原ならあっちで雑談してるよ」
「廻が座っていたら戻ってきづらいでしょ」
「え、なんで? 私、噛みつかないよ?」
「吠えまくる番犬がいたらその家の前は避けて通るものだよ。それと同じ心理。噛まれはしないだろうけど、極力近づきたくないって思うものなの」
「私みたいなチワワ系女子を捕まえて酷いこと言うなぁ」
どこがチワワだ、どこが。それを言うならわたしの方がチワワだろ。
そう思ったが、口には出さなかった。口に出したら最後いじり倒されるのは目に見えていたからだ。廻はカヤの席を見つめて微笑んだ。
「また休み?」
「明日からタクシーで登校するってさ」
「金持ちは違うねぇ。問題解決の手段が豊富で羨ましいよ」
「防犯カメラを家につけて、家政婦を雇うみたい。それと、興信所で調査もしてもらうみたいだね。これでストーカーの身元がわかればある程度は安心して来れるんじゃないかな」
「そろそろ更生プログラムに移れるんじゃない?」
ひなたは小さく息を吐いた。
「学校にもストーカーは現れてるから問題が解決するまでカヤに付き添いたい」
ごめんね、と謝る。
「廻との時間は必ず作るよ。だから、少しだけ持っててほしい」
「気には掛けてくれてるんだね」
「当然でしょ。廻はわたしの連れなんだから」
廻は窓の外を眺めた。横顔を見つめ、もやっとした思いを抱く。
廻は仲間と距離を取った。ひなたのことも、今回のことで見限るかもしれない。
嫌だ、と強く思う。
自分でも驚くほど強く、廻から離れたくないと感じていた。理由はわからない。ただ、そう思うのだから仕方ない。理由なんて関係なかった。
ひなたは無意識のうちに廻の手を握った。自分から触れるのは初めてかもしれない。柔らかくてすべすべしていた。
廻は一瞬顔を強張らせ、「ふーん」と呟き、表情を消した。
「意外と大胆なことするね。驚いちゃったよ」
「驚いたならそれなりのリアクションを取りなよ。まっすぐな感情を表に出すと気持ちいいからさ」
「この世の金持ちインフルエンサー全員今すぐ舌を噛み切って死んでほしい」
「え、なに急に怖。こんなところで闇を出さないでよ。怖すぎるから」
「出せって言ったり出すなって言ったり、ひなたってわがままだよね」
「気持ちを出せって言ったんだよ。呪詛を出せとは言っていない」
「よくわからないなぁ」
周囲から囁き声が聞こえる。ひなた達のことを噂しているのだろう。
最近、廻と一緒にいると、決まって注目を浴びた。廻がいない時に声を掛けられ、「付き合わない方がいいよ」「仲間だと思われちゃうのは損だって」と忠告を受けている。学校での廻はそれほど嫌われているのだ。
自ら嫌われるような言動を繰り返していたわけだから、自業自得と言える。
しかし、ひなたはその流れを止めたいと思っていた。廻の良さを周知させたいのだ。
「あいつらって肉体関係ありそうだよな」
「あ、わかるわ。エロいことしてそう」
男子生徒の声が聞こえ、げんなりする。明らかにこちらを見て言っていた。
廻が顔を近づけてくる。耳元で囁き声を発した。
「エロいことしてそうだって。興奮するね」
「変態」
「このままだと、ひなたの居場所がなくなっちゃうかもしれないよ? いいの?」
真面目なトーンで言ってくる。
ひなたは廻の目を見つめながら口を動かした。
「その時はその時だよ」
「ひなたって孤独には耐えられないタイプだと思うんだけど」
「確かにそうかもね。でもさ」
周囲の視線を気にせず声を張った。
「わたしには廻がいるから。だから、孤独にはならないよ」
沈黙が落ちた。
廻は呆気にとられた顔をしたかと思うと、肩を落として笑った。
「ぼっちの相手するのって面倒そうで嫌だなぁ……」
「お互い様でしょ。あと、廻、わたしが一人になっても、やっぱり連れのままでいてくれるんだね」
「私、そんなこと言った?」
「言ってたよ。動揺して気づかなかった?」
「……」
眉間に皺を寄せて睨んでくる。廻が何かを言おうと口を開きかけた、その時だった。
「あ、カヤじゃん」
声に釣られて扉の方に視線を向けると、カヤの姿があった。
「休む予定だったんだけど、来ちゃった……」
照れくさそうに言う。
ひなたを含めた女子達が彼女の元に集まった。ストーカーの件はグループチャットでカヤ自らが報告していたため、周知の事実となっている。全員でカヤを慰め、「ストーカー許すまじ」と声を荒げた。こういう時の女子の結束は驚くほどパワフルだった。
カヤは気まずそうに佇んでいた。周囲の感情の波にさらわれ、身動きが取れなくなっているのかもしれない。仲裁に入ろうとしたら、突然、廻が現れた。
なぜ来たのか、と咎めるような空気に変わる。
廻は周囲の視線を気にせず、カヤの耳元で何かを囁いた。それからゆっくりと体を離して、その場から去っていく。カヤは困惑の色を深め、助けを求めるようにこちらを見た。ひなたはカヤを抱きしめ、「何を言われたの?」と小声で訊いた。カヤは首を振るばかりで何も言わない。ただただ体を震わせていた。
廻を見ると、自分の席に向かって歩いていくところだった。周囲の女子が「なに言ったんだろ?」「どうせ酷いことでしょ」と陰口を叩く。それはこの場にいるひなたに対しての批判でもあるようだった。多くの視線に晒されながら、ひなたは自分の胸に手を当て、「自分の気持ちに、嘘はつかない」と心の中で繰り返した。
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