第19話


 カヤとの出会いは小学校低学年の頃にまで遡る。

 逆上がりの練習をしていたら、可愛い少女が近くで涙を流していることに気づいた。話しかけてみると、上級生に悪口を言われたのだという。


「それ、どいつに言われたの?」


 カヤは恐る恐るといった表情で、滑り台の方に視線を向けた。六年生っぽい集団が遊んでいる。その中の一番目立っている男子に言われたのだという。ひなたはカヤの手を引っ張り、その上級生のところまで足を運んだ。


「そこの人」


 腰に手を当てて目の前に立つ。


「え、俺?」

「この子に謝って!」

「は? なんだよ急に。わけわかんねえよ」

「悪口言ったでしょ」


 押し問答が続き、最終的に上級生は折れた。悪かったよ、と面倒そうに言い、友人達と校舎内に戻っていった。カヤの方を見ると、すっかり涙は枯れていた。こちらを見て、申し訳なさそうな顔をしている。


「そんな顔しなくていいんだよ。あっちが悪いんだから」

「怖くなかったの?」


 ひなたは胸を張って言った。


「正しいことをしているんだからビビることなんてないんだよ」

「すごい。どうしたらそうなれる?」

「自分に嘘をつかないことが肝心かな」


 お姉ちゃんの受け売りを口にすると、目をキラキラさせて見つめられた。

 その後、カヤと遊ぶ機会が増えた。互いの家を行き来するようになり、やがて家族ぐるみの付き合いにまで発展した。

 一番の親友は誰かと訊かれたら、ひなたは真っ先に「カヤ」と答えるだろう。この良好な関係性は、死ぬまで継続させたいと考えている。

 そんなカヤの父親が、若い女性とホテルから親密そうに出てきた。


 ――自分はこのことをカヤに伝えるべきなんだろうか?


 ひなたの心は揺れ続けていた。


 ▼


 ひなたちゃん、と名前を呼ばれて意識が現実に引き戻される。

 ひなたはカヤと一緒に廊下を歩いていた。先生に頼まれた雑事を片付け、帰るところだ。


「最近のひなたちゃん、物思いにふけること多くなってきてるよね?」

「え、そうかな」

「私にはそう見えるよ。灰崎さんと仲良くなってからは特に」


 廻の名前を聞いて二日前のことが思い起こされる。

 あの後、廻は全員を前にして「解散しよっか」と笑顔で言った。当然、ほぼ全員が難色を示した。しかし廻の気持ちが変わらないと見るや、皆、しぶしぶ提案を受け入れた。この組織が、廻を中心に回っていたことがわかる流れだった。お通夜ムードに場が覆われ、ひなたは我慢できず口を挟んだ。


「完全に解散するのはもったいないんじゃない?」


 健全なサークルとして再スタートするのはどうかな、と全員に語り掛けた。すると、多くのメンバーが乗り気になってくれた。廻はグループを完全に抜けるというので新しいリーダーが必要になるだろう、という話になり、太志が新しいリーダーに立候補した。満場一致で却下され、結局、シャーロットがリーダーになるという順調な結果で終わった。


 あの後、ラットがどうっているのかはわからない。いい方向に進んでいくことを祈るばかりだった。

 階段を降りたところで、カヤが足を止めた。振り返ると、いつになく真剣な顔をしていた。


「……灰崎さんとは距離を置いた方がいいと思う」

「え、急にどうしたの?」

「悪い噂があるし敵も多い。ひなたちゃんが同類だと思われるの、私、嫌だから……」

「覚悟の上だよ。わたしは関係は継続する。もう決めたことだから」

「ひなたちゃん……」


 気持ちに嘘はつけなかった。

 突然、カヤが体をびくりとさせて振り返った。どうしたの? と訊く。


「……今、人の視線を感じたような気がして……。最近、多くなってるんだ。気のせいだとは思うんだけどね」


 自分の体を抱くようにして言う。


「まさか、また被害に遭ってるの?」

「どうだろう。気のせいだとは思うんだけどね……」


 カヤは中学生の時、ストーカーの被害に遭っていた。カヤが言うには三十代半ばくらいの細身の男性に付け回されていたという。結局、犯人を特定できないまま現在に至っている。高校に進学してからは大人しくなっていたらしいが、ストーカーが行動を再開させたのかもしれない。


 カヤは青白い顔のまま、ポケットに手を入れ、「あ」と口を広げた。


「……私、スマホを教室に忘れてきたかも……」

「一緒に取りに行こっか」

「……筆箱も作業場所に忘れてきちゃった……。はぁ、私っていつもこう……。ひなたちゃんに迷惑かけてばかりいる。おまけに、さっきは灰崎さんの悪口を言った。人に物申せるほど立派なことなんて何一つしてないのに、ミジンコ未満の存在なのに……。ねぇひなたちゃん、私、死んで皆に償うべきかな?」

「カヤ、落ち着いて。深呼吸するんだ」


 すーはーすーはー、と呼吸を繰り返す。それで少しは落ち着いてくれたようだ。

 手分けして探そうと提案され、ひなたは了承した。ストーカーの陰におびえているカヤを一人にさせるのはどうかと思ったが、流石に侵入はしてこないだろうと判断した。我が校は警備員を在中させ、監視カメラが設置されている。普通の学校より警備が厳重なのだ。


 カヤが筆場を取りに行くというので、ひなたはスマホを回収することにした。

 階段を上り、誰もいない廊下を歩く。結局、今日も父親の話をしなかった。そもそも本当に浮気だとは確定していないので、不用意な発言などできないのだが。


 教室は静まり返っていた。カヤの机の前まで移動する。見えるところにスマホはなかった。机の中に手を入れると、紙の感触があった。その下にスマホのような形状のものがある。先に紙を取り出して、胸の前で広げた。


「え……?」


 ひなたは体を硬直させた。

 A4の紙に画像と文章が添えられている。

 カヤの父親と若い女性が、路上で手を繋いで歩いている画像だった。その下には、青い明朝体でこう書かれてあった。


 ――お前の父親は浮気しているぞ。


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