第20話
ひなたは鞄の中に紙をしまい、落ち着け、と自分に言い聞かせた。
頭に浮かんだのは以前カヤに見せてもらった紙のことだ。その紙には角ばった青い文字で「ずっと見ているからな」と書かれてあった。自宅のポストに入れられていたものらしい。
あの時は定規を使って書かれていたが、今回はパソコンで書かれている。しかし見過ごせないのは、青い文字という共通項だ。同一人物である可能性が高いだろう。
この紙は証拠だ。カヤに見せるべきだろう。しかし、そうなると、親の秘密を知ってしまうことになる。
「正しいことをしないといけないよ」
姉の言葉が蘇った。
その場で逡巡していたら、カヤが姿を現した。来るのが遅いので心配になり来てくれたのだろう。
「……ひなたちゃん、どうしたの?」
「落ち着いて聞いて」
A4の紙のことを話す。カヤは大きく目を見開いた。
「たぶんストーカーが入れたものだ」
「……私、どうしたら……」
「とりあえず先生に報告しよう」
「いったい、どうやってここに……」
カヤの台詞に嫌な予感を覚える。
……まだこの場にいるのではないか?
清掃用具入れに顔を向け、恐る恐る近づいた。扉の取っ手を掴み、ふう、と息をつく。勢いよく開けた。
中には誰もいなかった。ほっとして振り返る。カヤが不安の色を浮かべていた。
「ど、どういうことが書かれてあったの?」
「それについては言えない」
「えっ」
「酷いことが書かれてあって、とても見せられない。だから、しばらくはわたしに預からせてほしい」
「でも、それだと先生に報告できないんじゃ……」
「怪しい成人男性を廊下で見つけたって報告しよう」
「……でも、それって……」
「嘘も方便だよ」
カヤが驚きを浮かべる。
「……ひなたちゃん、やっぱり変わったよね。灰崎さんの影響かな?」
ひなたはむっとした。
「心外なんだけど」
「あ、ご、ごめんね。……はぁ、私ってなんでいつもこうなんだろう。人を不快にさせるような言動ばかり。こんなの死んで償うしかないじゃん……」
「早まらないで」
二人で職員室に足を運び、先生に声を掛けた。説明すると、すぐに対応してくれた。警備員が現場と監視カメラを確認してくれるという。
しばらく待っていると、学年主任が難しい顔をして二人の前に現れた。
「結論から言います。不審者は見つけられませんでした」
「え、本当ですか?」
「嘘はつきませんよ」
明らかにこちらを疑っているような目つきをしていた。
中学生と揉めた件で、ひなたの心証は悪くなっているのだろう。自分は同行しない方がよかったか、と後悔が頭をもたげてくる。
次の瞬間、学年主任が軽く頭を下げた。
「ごめんなさい。あなた達の言い分を疑っているわけではないんです。ほかの学校と比べて警備が厳重になっているとはいえ、穴が全くないとは言い切れませんからね。目撃証言以外、何か物的な証拠があれば、警察を呼ぶことも検討できるんですが」
手元の鞄に意識が向かう。これ以上、紙のことを隠蔽するのは無理かもしれない。
「あの!」
カヤが口を開いた。気まずそうな表情で続ける。
「え、えっと、たぶん私の勘違いだったんだと思います。お騒がせてすみませんでした」
「どういうことですか?」
「実は私、昔ストーカー被害に遭っていて……。それで、その時のストーカーの幻影を見ちゃったのかもしれません。勘違いでした」
「……そうでしたか」
学年主任はほっと胸を撫で下ろした。
「勘違いならよかったです。また何かあったら報告してください。私達教師は、あなた達生徒の味方なんですから」
二人で職員室を後にする。
「よかったの?」
ひなたが訊くと、カヤは申し訳なさそうに微笑んだ。
「ひなたちゃんが凄く困ってそうだったから……。たぶん、あの場で紙を見せたくなかったんだよね?」
気を使わせてしまったらしい。
カヤの手を握る。
「これからはできる限り一緒にいるよ」
「……い、いいの?」
「親友なんだから当然でしょ」
「灰崎さんと、やりたいことがあるって話してたよね?」
「更生プログラムはひとまず延期する」
そうだ、と妙案を思いついて口を動かす。
「廻、身体能力高いからボディーガードとして同行させない? 役に立つと思うよ」
「……う、うーん……」
困った表情を浮かべる。信用できないのだろう。無理強いはできなかった。
カヤを自宅まで送る。親や警察に相談しなよ、と告げてから岐路についた。
今、父親の件を話したらカヤに伸し掛かる負担はとんでもないことになるだろう。
ひなたは心の中でそう結論付け、しばらくの間は胸にしまっておくことに決めた。
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