第15話
ひなたは校舎二階の自販機の前に立ち、うーん、と唸っていた。いつも飲んでいるオレンジジュースが売り切れになっていたからだ。普段飲まないものにするか、と考え、コーンポタージュを選択した。取り出したところで「前島ひなた」と声を掛けられ、振り返る。
絡んだことのない女子生徒が立っていた。何となく見覚えはある。おそらく同学年だろう。
身長は一七〇くらいで、明るい色の髪をサイドテールにしていた。腕を組み、挑発的な目をひなたに向けてくる。
「えっと」
「しっ、静かに!」
人差し指を立てて周囲を見回す。それから嘆息して、「こっちに来なさい」と歩き出した。いったい何なのか、なぜついていかなければならないのか。さまざまな疑問を呑み込み、ひとまずついていくことにした。
昼休みの校舎内は喧噪に包まれていた。皆グループを作り、楽しそうに談笑している。
彼女は踊り場で足を止め、振り返った。鋭い目で睨みつけてくる。
「ここなら安全と言いたいところだけど、この学校に安全なところなんてどこにもないわ。ただ、ここは避難経路が多いでしょ?」
「あの、早く要件を教えてほしいんだけど」
彼女は呆れた様子を見せた。
「決まっているじゃない。灰崎廻のことよ」
「……廻の友達?」
「はっ! バカじゃないの」
「初対面の人にバカ呼ばわりされたくない」
流石にむっとして言い返す。
「動物園のライオンを見て『ライオンがいるわ』と言って何が悪いわけ?」
「そういうことを言っているんじゃないよ」
「言ってるじゃない! バカなことを言うからバカって言っただけよ! このバカ!」
……面倒くさい。
少し会話しただけでわかった。
彼女は厄介者だ。
ついてこなければよかったなぁ、と後悔の念に苛まれる。
彼女はクールダウンしてから言った。
「例の動画観たわよ。あなた達、あいつらをはめたんでしょ?」
「え……」
じんわりと血の気が引いていくのを感じた。
「ふふ、図星みたいね」
彼女は上機嫌で言った。
「あたしは灰崎廻のことなら何でも知っているのよ」
前島ひなた、とフルネームで呼ばれる。
「あたしの仲間になりなさい」
「……どういうことかな?」
ひなたは慎重に言葉を選んで口にした。
いったいどこまで知っているのか。警戒心を強めながら彼女を見つめる。
「あたしの名前は
そういえば質問に答えてなかったわね、と話を元に戻す。
「あたしの仲間になって、灰崎廻をこの学校から追い出す手伝いをしてほしいのよ」
何となく予想していたことだが、いざストレートに言われると戸惑ってしまう。
「なぜそんなことを……」
「なぜ? あんた今、なぜって訊いた?」
ふん、と鼻を鳴らす。
「あいつがサイコ女だからに決まっているじゃない」
「サイコって……決めつけはよくないよ」
「現に中学生達をはめているじゃない。不良グループのリーダーまでしているのよ」
「それって噂でしょ」
ひなたは呆れて言った。
彼女に関する噂は知っている。援助交際の斡旋をしているとか、ドラッグの売買にかかわっているとか、彼氏がメキシコ麻薬カルテルの構成員をしているとか、すでに何人もの人間を殺しているとか……。
全て事実なら、廻はアメコミのスーパーヴィランと並ぶ悪党ということになってしまう。当然、そんなわけがない。
「あたしは真実を知っているのよ。証拠もある。これを見なさい」
スマホを取り出して画面を見せてくる。
凛子が笑顔で自撮りしている画像だった。エナドリ片手にピースしている。
「間違えたわ、こっちよ」
スワイプすると、観光地で自撮りしてる凛子の画像が現れた。こちらも満面の笑みを浮かべている。とても楽しそうだ。
「……どうやら画像は消されているようね。ハッキングでもされたのかしら?」
大真面目な顔で呟く。
「やるじゃない。あたしは出し抜くなんて、なかなかできることじゃないわよ」
……冗談か? 突っ込むべきなのか?
反応に困っていたら、とにかく、と凛子は声を張った。
「廻をこの高校から追い出すわよ。協力しなさい」
「やだ」
「そうよ、その言葉が聞きたかったの。では計画を――って今何て言った?」
「やだって言ったの。廻はわたしの連れだから裏切れない」
「……手遅れだったようね」
凛子は自分の額に手を置いた。
「まさか、正義の子と呼ばれている前島ひなたが取り込まれていたなんて……。あたしとしたことが、痛恨の極みよ……。もっと早く気付くべきだった」
「さっきから自分の世界に浸りすぎだから」
ひなたは我慢できず言った。
「なんで廻を目の敵にするの? 何かされたの? 何なら相談に乗るよ?」
「優しくしないでくれる? あたし、善意を振りまく人間が大大大っ嫌いなの」
凛子は羽虫を払うような仕草をした。それから大真面目な顔で、
「いいわ。なぜあたしが灰崎廻を追い出したいのか、理由を話してあげる。天童正義ってイケメン教師がいるでしょ」
「いるね。うちの担任だよ」
「あなただけに真実を言うわ。彼、あたしと結ばれる運命にあるのよ。前世から決まっていることなんだけどね」
ひなたは笑いそうになり、凛子の表情を見て思いとどまった。真剣な目をしていたからだ。
支離滅裂ではないか――そう思っていたが、ここにきて疑いが確信に変わった。
この子は変わり者のようだ。それもかなりの変人だ。
うらやましいでしょ、と言わんばかりの笑みを見せてくる。
「でも、一つだけ懸念点があるのよ。それが灰崎廻」
凛子は虚空を睨みつけた。廻の像を浮かべているのかもしれない。
「あの女は正義を狙ってる。色目を使っているのよ。一度だけじゃないわ。三度よ、三度。あたしの知らないところでもっと接触してるかもしれない。このまま放っておくことなんてできないわ。そうでしょ?」
「だね」
否定の言葉を使ってはいけないと察する。たぶん、否定すればするほど、彼女はムキになるタイプだからだ。
「このままだと正義の貞操があの女に奪われてしまう。そんなの許せるわけないでしょ」
「天童先生って既婚者だったよね……」
「偽装結婚に決まっているじゃない。あたしと結ばれる前の儀式みたいなものよ」
すかさず突っ込を入れられる。
なんだか自分が間違っている気になってくるから不思議だった。
凛子はひなたの耳元に口を寄せてきた。
「あの女は危険よ、絶対に信用しちゃ駄目。危ない目に遭った時は、警察じゃなくてここに連絡して」
紙切れを手渡してくる。おそらく連絡先だろう。
「なんで警察じゃダメなの?」
「決まっているじゃない。あたし、警察のこと大大大っ嫌いなの。だから私を呼びなさい」
よくわからない理論だが、「わかった」と頷いておく。
距離を置かれた。
凛子は再び挑発的な笑みを浮かべて言った。
「気が変わったら、あたしの仲間になりなさい。待っているから!」
階段をゆっくりと上っていく。
嵐のような子だったな、と苦笑する。前世とか言い始めた時はどうしたものかと思ったが、上手く切り抜けられた。
不良グループのリーダーね、と呟く。
確かに、あの身体能力なら不良達から一目置かれそうだ。しかし、廻は一匹狼っぽい性格をしている。群れているところは想像できなかった。
なぜ凛子は映像を見ただけで、不良中学生達をはめたことに気づけたのだろう。その点だけは不思議だった。洞察力が鋭いのかもしれない。
教室に戻ろうとしたら、凛子が腕を組みながら戻ってきた。
「どうしたの?」
「何でもないわ」
「何でもないなら戻ってこないと思うんだけど」
「教室は二階だから上がる必要ないって気づいたのよ。何か文句でもある? あるのなら受けて立つから」
眉尻を吊り上げる。若干、頬を赤らめているが、気づかないふりをしてあげた。
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