第10話


 放課後、自転車を回収してカヤと並んで歩く。

 動画が拡散されてから一週間以上が経過していた。話題にされる回数は明らかに減少している。SNSでは日々新しい炎上事件が起きているのだ。風化するのも時間の問題だろう。


 校門を抜けたところで「あの」と声を掛けられた。

 顔を見て驚く。例の自殺しようとしていた女子中学生だった。名前はまみと言ったか。


「どうしたの?」


 訊くと、まみはカヤを見つめた。人がいると話せない話題なのかもしれない。


「……私、先に行ってるね」


 カヤが空気を読んで歩いていく。ごめんね、と声を掛けたら、気にしないで、と返された。

 まみを見る。以前会った時と比べて、血色はよさそうだった。


「灰崎さんは一緒じゃないんですね」


 名前を知っているのか、と一瞬驚く。ネットに出ている情報から知ったのだろう。おそらく自分の名前も知られているに違いない。


「あの子はただのクラスメイトだからね」

「え、そうなんですか?」


 意外そうに目を丸くする。


「まみちゃんは大丈夫なの? あれからいろいろあったと思うけど」


 まみは笑みを浮かべた。


「ええ、私は大丈夫ですよ。今日は、謝罪とお礼をするために来たんです。あの時は失礼なことを言ってすみませんでした」

「こっちこそ、急に声を掛けちゃってごめんね」

「先輩が優しい人でよかったです」


 はきはきと喋る姿を見て、初めて会った時とは別人のようだと思った。


「それと、彼らにいろいろ言ってくれてありがとうございました」

「わたしはついて行っただけだよ」

「動画、観ましたよ。前島先輩も私のために戦ってくれていたじゃないですか。とても感動しました」


 ストレートな物言いに少し照れてしまう。返答に困った。


「灰崎先輩にも直接言いたいんですけど……」

「あの子は嫌がるかもね」

「それでも言いたいです」

「そっか」


 嬉しくなる。この件で、ひなたを称賛する者は多い。しかし廻に賛辞を投げる者は少なかった。ぜひ褒めてほしいと思う。


「あの後、学校ではどんな感じなの? 具体的に教えてよ」

「友達は大人しくなりましたね。私に対してどうこうする余裕はなくなったみたいです。五人中二人は不登校になって、一人は転校することが決まりました」


 ひなたは複雑な心境を抱き、「そっか」と呟いた。


「私は新しい友達を作りました。今回の件で、あの人達の学校内での地位は最底辺になりましたからね。私に声を掛けやすくなったんでしょう。あの人達、今ではいい笑いものですよ」


 くすくすと微笑む。

 ひなたは僅かに眉を顰めた。


「それは……なんというか、大変みたいだね」

「ええ、大変みたいですよ。私のことを陰でブスブス言っていた千春は、今、めちゃくちゃいじめられていて、この間、教室で泣いてました。私、彼女に声を掛けてやったんです。自業自得だね、って」

「……」

「ましろって子は、男子達に筆箱を投げられてました。キャッチボールの道具に使われていて、哀れでしたよ。ゴミ箱に捨てたら、って私が言ったら、お調子者の男子が本当にそうして。あれは最高に笑えました」

「やめなよ」


 ひなたは我慢できず、そう口にした。

 まみが小首を傾げる。何を言われたのか理解できない、という表情だった。


「いじめをしていた彼らは悪いよ。でも、だからって、似たような方法で報復したら、同レベルになっちゃう。だから……」

「あー、はい、そうですね」


 遮るように口を挟んでくる。


「わかりました。やめます、やめます」


 苦笑しながら言う。自分の言葉が届いていないことがはっきりとわかる。絶望的な気持ちになった。

 

「灰崎さんの連絡先、知りませんか? 感謝を直接伝えたいので」

「ごめん、わからないや」

「そうですか……。今日はこの後、予定があるので帰るんですけど、私が会いたがっていたと伝えておいて頂いてもいいですか?」

「うん、それはいいけど……」

「ありがとうございます! やっぱり、前島先輩って優しいですね! 頼れます!」


 それではまた、と自転車にまたがり、坂道を降りていった。ひなたはそれを呆然と眺めてから、肩を落とした。


 自分のしたことは、本当に正しかったのだろうか?

 そんな疑問が浮かぶ。

 あのまま放置していたら、まみは死んでいたかもしれない。それを防げたのはいいことだったと胸を張って言える。しかし、学年主任が言っていたように、やり方を間違えていたのではないか? 

 自分が思う以上に、深刻なレベルで。


「何トイレ我慢しているみたいな顔してるの?」


 横から声が掛かり、ハッとする。廻が無表情で佇んでいた。


「ど、どこから聞いてたの?」

「私のことをただのクラスメイトって言ったくだりから」


 ほぼ最初からじゃないか。


「……何で出てこなかったの?」

「私、人から感謝されるの嫌いなんだよね」


 廻は自転車を押して近づいて来た。


「わたし達の行動でいじめは止まった。でも、新しいいじめが生まれた。これでよかったの?」

「さあ」

「さあって……。わたし達のせいなんだよ」

「え、そうなの?」


 心底不思議そうに訊き返される。信じられない思いでクラスメイトを見つめた。


「自業自得でしょ。私達が気にすることじゃないよ」

「なんでそんなに無責任なの? 気にしないといけないことでしょ」

「真面目だねえ」


 ニヤニヤと笑う。


「なら、今辛い目に遭っている彼らのところに行ってみようか?」

「え……」

「救いたいんでしょ?」


 ……救いたい?

 わたしは彼らを救いたいと思っているのだろうか?

 首のチョーカーに触れ、逡巡する。

 ひなたは溜息をついた。


「……いや、行かない。これ以上、わたしが首を突っ込んで、どうにかなる問題じゃないからね」

「そっか」


 廻はつまらなそうな表情を浮かべた。被害妄想かもしれないが「失望した」と思われた気がする。

 廻は自転車に乗り、こちらを一度も振り返られずに去っていった。

 何とも言えない後味の悪さを感じながら、ひなたはサドルの上にお尻を乗せた。

 自転車のペダルを漕ぎながら考える。

 本当にこれでよかったんだろうか?


「よくないことから目を逸らしてはいけないわ」


 姉から言われた台詞が思い起こされる。

 坂道を下りきったところで、自転車を押すカヤの背中を見つけた。ブレーキを掛けて停まる。自転車から降り、カヤの隣に並んだ。


「さっきはごめんね」

「いいの。ひなたちゃん、大事な話をしてたんだよね」


 カヤはいい子だ。事情を一切聞かず、ただこちらを肯定してくれる。

 人気のない公園の横を通った時、カヤが言った。


「あの映像の場所って人がいなかったよね」

「廻が選んだんだ」

「どうしてあそこだったんだろう」

「え?」


 ひなたは親友をまじまじと見つめた。カヤは頬を赤くして「あ、いや」と慌てて言った。


「ごめん、余計なことを言ったよね。はぁ、私っていつもこう……。余計なことを言って周囲に迷惑をかける。死にたいなぁ。ひなたちゃんに迷惑をかけるなんて私、死んだ方がいいよね?」

「いやダウナー入りすぎだから」


 苦笑して言う。カヤはたまに、ダウナーモードに入ることがある。他人に優しすぎて、つい自己卑下してしまうのだ。


「詳しく疑問点を聞かせて」


 カヤはおずおずと切り出した。

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