第9話


 職員室の隣の生徒指導室に移り、大きなソファに腰を下ろす。八畳くらいの広さがあった。


「なぜ呼ばれたのかはわかっていますね」


 学年主任の女性教諭が口を開く。明らかに不機嫌そうだった。彼女の隣で天童が肩を竦めている。


 「さあ、わかりませんね」


 廻が即座に答える。退屈で死にそうだ、という表情を張り付けていた。

 天童が軽い調子で言う。


「例の動画、観させてもらったぞ。連中の攻撃を躱してたな。格好よかったぞ。あのテクニック、先生にも教えてくれないか?」

「天童先生」


 学年主任が咳ばらいをして、天童は笑顔を引っ込めた。

 鋭い視線を向けてくる。


「どういう経緯でああいうことが起きたのか訊きたいです」

「なぜ説明する必要があるんですか?」


 ひなたが口を開くと、学年主任は目を細めた。


「問題になっているからですよ。電話が殺到しています。学校近くで記者らしき男性に声を掛けられたという報告も上がっているんです。学校側としては見過ごせない事態です」


 騒ぎは雪だるま式に膨れ上がっているらしい。

 廻を見ると、自分の髪を指でつまみ、ぐるぐると回していた。説明する気はなさそうだ。


 ひなたは頭の中で意見をまとめてから口を開いた。いじめられていた子の名前と財布の件は伏せて事情を説明する。

 

「その中学生を助けるために、話をつけに行ったということだな」


 天童に訊かれ、はいと頷く。廻は何の反応も示さなかった。


「そうか。それはよくやったな」


 天童が笑い、学年主任が「天童先生」と声を尖らせる。


「主任の言いたいことはわかりますよ。でも、人を助けようと思ったこいつらの勇気は賞賛に値するでしょう。その点は褒めてやったっていいじゃないですか」

「やり方が問題なんですよ」


 学年主任は溜息をついた。


「警備員が来たから何とかなりましたが、来なかったらどうなっていたとお思いですか。今回の行動を無責任に肯定するのは教師失格だと思いますよ」

「教師としては失格でしょうね。でも俺は、人としてこいつらを褒めてやりたいんですよ」


 こちらにウィンクを飛ばしてくる。ひなたは苦笑を返した。

 学年主任が感情のない声を発する。


「一方的に被害を受けたのは事実みたいですね。灰崎さんは警察沙汰にする気はない、と――。本当にそれでいいんですね?」

「はい」


 髪を弄りながら言う。


「あちらの学校から事実確認の連絡が来ています。どうしますか?」

「どうする、とは?」


 ひなたが訊く。


「ここでお二人から聞いたことを、先方にお伝えてもいいかという確認です」


 逡巡する。いじめの件が伝わり、当事者捜しが行われるかもしれない。あの少女は、それを望んでいるだろうか?


「好きにしてください」


 廻が腰を浮かせながら言う。


「もう話は済みましたよね。授業があるのでこれで失礼します」


 廻は学年主任の引き留めを聞かず、生徒指導室を後にした。

 天童が後ろ髪を掻く。


「あいつは本当に協調性ゼロだな……」


 溜息をついてからひなたを見る。


「灰崎と仲いいのか?」

「よくありません」

「なのに二人で行ったのか?」


 不思議そうな顔をされる。


「仲は特別よくないですけど、お互い許せないものが一致したから、行動を共にしたんだと思います」


 ひなたが言うと、天童は神妙な顔で「そうか」と頷いた。

 その後、二人から細かい点を訊かれ、覚えている範囲で答えてから、生徒指導室を後にした。あと数分で授業開始だ。急がなければ、と一階の廊下を進んでいく。ふいに窓の外を見て、あ、と声を漏らした。


 廻が中庭のベンチに腰掛けてスマホを弄っていた。おそらく一時限目の授業をサボるつもりでいるのだろう。授業があるので失礼します、とは何だったのか……。


 ひなたは開いた窓に近づき「廻、サボるな!」と声を張り上げた。


 廻はこちらを向いて目を見開いた。流石に驚いたらしい。それから、すっと無表情になり、スマホをしまいながら立ち上がった。こちらに近づいて来て、「うるさい」と呟く。

 

「授業出なよ」

「ひなたに命令されたくない」

「捻くれ者か。授業出ないなら学校来た意味ないでしょ」

「意味はあるよ。ひなたと会えたからね」

「またそういうことを……。誰かに聞かれたら変な誤解をされるでしょうが」

「変な誤解って?」


 小首を傾げる。しかし、微妙にニヤついているのを、ひなたは見逃さなかった。


「そういう態度を続けると友達なくすよ。ぼっちになっちゃってもいいの?」

「本当の友達なんていないから大丈夫。あ、一人はいたか……」


 廻は蠱惑的な表情でこちらを指さした。その後、すぐに手を降ろす。

 反応に困るな……。 

 まぁ友達になってあげないこともないが。


「授業には出なよ」

「本当ママみたいだよね」


 廻は肩を竦め、校舎内に戻っていった。

 その後、廻は一時限目の授業をさぼった。再び姿を現したのは昼休みになってからだ。この捻くれ者の問題児め、とひなたは憎々しく思った。


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