第8話


 三日後の月曜日。

 教室の扉を開けた瞬間、視線の集中砲火を浴びた。仲のいいクラスメイト達から、「大丈夫?」と声を掛けられ、「平気」と答えながら自分の机まで移動する。

 鞄を置き、そっと息を吐き出した。


「ひなたちゃん、怪我はない?」


 カヤが顔を覗き込んでくる。不安の色を浮かべていた。


「大丈夫だよ」


 廻の席を見ると、まだ登校していないようだった。


「ひなたちゃんと灰崎さんの動画が流れてきた時、心臓が止まるかと思ったよ」

「わたしもびっくりした」


 中学生達と揉めているところを盗撮され、SNSにアップロードされたのだ。あっという間に拡散され、とんでもないバズり方をしていた。今朝見たら、視聴回数が百万回を超えていて気が遠くなった。インフルエンサーたちがこぞって触れたせいもあるだろう。


 不良中学生達に絡まれたJK、というふうに世間からは見られているらしい。中学生達に殴り掛かられているところから動画が始まっているので、そういう印象を持たれているのだろう。


 ひなたと廻は顔にモザイクを掛けられていたが、中学生達の顔は映っていた。ネットの人間達によって彼らの特定活動が行われ、あっという間に住所・実名が晒されてしまった。


 ひなたはここ数日、やきもきとした気持ちを抱えることになった。自分達が原因で特定活動とネットリンチが行われたのだ。いい気分のわけがない。それに、モザイクを掛けられていたとはいえ制服姿だったので、知り合いにはあっさり正体が割れてしまった。こちらの実名まで出たら嫌だな、と思っていたら、案の定そうなり、げんなりとさせられた。


 過去に高齢女性の詐欺被害を防いだ少女だと、ネットの様々なところで話題になっていた。テレビ局から取材申し込みの電話まできている。もちろん断っているが。


 たった三日で、ここまで事態が大きくなるとは考えていなかった。激動、と言っていいだろう。


 気持ちを切り替えてポケットから三色ボールペンを取り出す。


「あ。返してもらったんだ」

「意外と素直だったよ」 

「ありがとう」


 手渡してから椅子に腰掛ける。その時、教室全体が静まり返った。振り返ると、廻が入ってくるところだった。


 頬にガーゼを貼っている。やや膨れ上がり、赤黒くなっていた。

 足を進めて窓際の席に腰を落とす。


 ひなたは立ち上がり、近づいて声を掛けた。


「廻、おはよう」


 こちらを見て、冷め切った表情を浮かべる。

 次の瞬間、さきほどまでの沈黙が嘘のように、教室は喧騒に包まれた。


「急に名前呼びするんだ」

「ダメ?」

「別にいいけど。何か用?」

「病院には行ったのか聞きたくて」

「保護者みたいだね。これからはママって呼ぼうか?」

「絶対呼ばないで。呼んでも無視するから」

「行ったよ。一応ね」


 どうでもよさそうに鞄の中身を机の中に移し始める。もう話す気はないらしい。それじゃ、とひなたは自分の席に戻った。

 カヤが耳元で囁いてくる。


「怖くないの?」


 ひなたは肩を竦めた。


「顔は怖くなってたね。ゾンビみたいだったよ」

「ひなたちゃん、結構エグイこと言うね……」

「向こうが先に、こっちをチビチビ言うからだよ」


 改めて廻を見る。

 頬杖をつき、青空を眺めていた。顔は見えないが、冷め切った表情をしているに違いない。


 担任の天童が入ってきて、朝のホームルームが始まった。

 いつもの挨拶の後、真剣な表情で教室全体を見回した。


「すでに知っている者もいると思うが、金曜の放課後、我が校の生徒と中学生グループの間でトラブルが起きた。そのことで取材したいと記者から求められるかもしれないが、余計なことは言わないように」

「余計なことってなんすか?」


 ムードメイカーの男子が軽い調子で訊く。


「余計なことってのは、何も話すな、ということだ」


 天童は呆れた表情を浮かべた。


「灰崎、前島の二人は、この後すぐ職員室に来るように」


 ウィンクを飛ばしてくる。

 ホームルームが終わり、男子達の声が聞こえてきた。


「二人の名前出していいの?」

「バレバレだからな。今更隠してもしゃーないだろ」

「灰崎はわかりやす過ぎるわな」


 ひなたは嫌な気分になった。しばらくこうして話のネタにされるに違いない。

 廻のところに向かい、行こうか、と声を掛ける。彼女は不快そうに眉を顰めた。


「面倒」

「わたしだって面倒だよ。でも、いつかは説明を強要される。済ませるなら早い方がいいよ」

「手つないでよ」


 一瞬言葉に詰まる。何を言われたのか理解できなかったからだ。


「……なんで?」

「行く気になれるかもしれないから」


 本気で言っているのだろうか?

 廻は薄い笑みを浮かべて「お願い、ママ」と手を突き出してきた。

 ひなたは溜息をつき、ぱちん、と手を弾いた。そのまま自分の手を引っ込める。


「馬鹿なこと言ってないで行くよ」

「つれないなぁ……面白くないってよく言われない?」

「真面目だとは言われるね」

「たぶんそれ、褒められてないよ」


 そうだろうか? 

 ちょっと不安になってきた。

 廻は立ちあがり、ひなたを見下ろした。頭の上に手を乗せてくる。


「相変わらずちっちゃくて可愛いね。手をつないだら私の方がママになっちゃうか」

「いちいち喧嘩売ってくるのは何なの? わたしのことが好きなの? 思春期の男子なの?」

「私、ひなたのことが好きなのかも」

「はいはい」


 二人で廊下に出ると、またしてもたくさんの視線を集め、溜息をつきたくなった。

 

 

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