第3話


 町から少し離れたところに山がある。正式名称はわからないが、地元の人間からは鉄山と呼ばれていた。東の斜面がアスレチック公園となっている。


 ひなた達は自転車を停め、急こう配の階段を昇り始めた。一度だけ年配の男性とすれ違い挨拶をする。廻が「へえ」と呟いた。


「挨拶するんだ」

「え、普通でしょ?」

「私、知らない人に挨拶したことないなぁ。失礼になるかもしれないからね」


 失礼とは? と疑問に思う。

 廻は肩を竦めた。


「小学生の時に親や先生から言われなかった? 『不審者に対しては、こっちから挨拶した方がいい、牽制になるから』って」

「……わたし、そんな意味で挨拶してないんだけど……」


 廻は、例のニヤニヤ笑いを浮かべた。

 やはり意地が悪い。ひなたはげんなりした。


「っていうか、どうして山なの?」


 改めて質問すると「そこに山があるからだよ」とはぐらかされた。先ほどからこの調子である。一度帰って着替えてくればよかったな、と後悔する。


 階段を昇り切ると、開けたところに出た。ロープで壁をのぼる遊具やブランコが設置されている。その奥には、木で作られた柵があった。胸くらいの高さがある。その向こうは崖になっていた。


「あ……」


 ブレザーを着た少女が柵の手前で崖下を見ている。


「あの子、毎日来てるみたいだよ」


 廻は軽い調子で言った。


「いつもああして柵の向こう側を見てるんだってさ。よく学校をさぼって来ている友達が言ってた」

「まさか……」


 飛び降り、の四文字が頭に浮かぶ。


「死のうとしているのかもね」

「ちょっ、そんなこと気軽に言わないでよ!」

「邪推ではないと思うけど」


 肩を寄せてきて言う。


「で、どうする……?」

「え」

「あの子のこと、放っておくの?」


 ぞくりとする。実験動物を見る研究者のような顔つきをしていたからだ。

 ひなたは眉尻を上げて言った。


「この場面を見せるために来たんだね。わたしを試しているんでしょ」


 視線が交差する。

 先に目を逸らしたのはひなただった。

 歩みを進めると背後から「へえ」と声が聞こえた。


 少女の脇に立ち横顔を見つめる。

 短髪の少女だった。線が細く華奢だ。全てを諦めたような顔をしている。


「毎日ここに来ているの?」


 少女がこちらを向く。話し掛けられるとは思っていなかったのだろう。大きく目を見開いている。


 少女は口をもごもごと動かした。何かを話しているようだが、聞き取れなかった。少しだけ距離を詰めてみる。


「……放っておいてよ」


 ようやく声が聞こえた。


「何があったのかわからないけど、変なことは考えない方がいいよ」

「小学生に言われたくない」

「なんだと」


 ひなたは目を細めた。笑い声が聞こえて振り返ると、廻がニヤニヤとしていた。

 ムカつくなぁ……。

 改めて少女を見る。


「飛び降りるつもりなの?」


 核心を突くと、少女は顔を強張らせた。


「ここから落ちても楽になれるとは限らないよ。重傷を負うだけかもしれない」

「私の勝手でしょ」

「周囲の人達も傷つくんだよ?」


 舌打ちをされる。全く響いていないようだった。

 当然だな、と思う。見ず知らずの人間に説教されて心変わりするようなら、毎日こんなところに来ていない。


 だが、放ってはおけなかった。首のチョーカーに触れ、「逃げちゃダメだもんね、お姉ちゃん?」と心の中で問いかける。

 ひなたは踏み込むことに決めた。


「ねえ、どうして飛び降りたいの? 話すだけで楽になれるかもしれないよ?」


 少女は何も答えなかった。思いつめた顔で黙り込んでいる。心のシャッターを完全に下ろす気でいるらしい。

 その時だった。

 よっ、と軽快な声が聞こえてそちらを向く。

 ひなたは戦慄した。廻が柵の上に立っていたからだ。


「な、なにしてるの!?」


 丸く加工された木の上で上手くバランスを取っている。しかし、少しでもバランスを崩したら崖下に真っ逆さまだ。洒落にならない事態である。


「ひなたもこっちに来なよ。面白いよ」

「面白いわけないでしょ!」


 少女を見ると、目を白黒させていた。あまりの展開に言葉を失っているらしい。

 廻の手を掴もうとした。しかし、彼女はその手を避け、あろうことか、綱渡りのサーカス団員のように柵の上を走り出した。

 心臓の鼓動が早くなる。


 端の方まで渡り切り、体をこちらに向ける。とんでもない身体能力だと感心する暇さえなかった。ひなたは大慌てで彼女の方に行き、今度こそ手を握った。引っ張るが、びくともしない。凄まじい体幹だった。


「降りなって」

「キスしてくれたら降りてもいいよ」

「なに馬鹿なこと言ってんの」

「駄目?」

「駄目に決まってるでしょ!」

「じゃあ、降りない。このまま崖下に飛び降りてやろうかな」


 もう勝手にしてくれ、と言いたくなるが、やはり放ってはおけなかった。さらに強く引っ張る。


 流石にバランスを保っていられなくなったのか、廻がこちら側に倒れ込んでくる。逃げる余裕はなかった。当然のように地面に倒れ、上から覆いかぶされる状態になる。鈍い痛みが背中全体に広がった。


 廻の顔が至近距離にある。鼻筋が通っていて表情は薄かった。とんでもない美人だと改めてわかる。


 鼻先に息が当たり、むず痒くなった。さきほどとは違う意味で、心臓が音を立て始める。


 廻は冷めた表情のまま体を起こした。砂埃を払っている。ひなたも体を起こして、彼女と同じ動作をした。


 少女が困惑の色を張り付けて佇んでいる。

 廻は少女に近づくと、笑顔で言った。


「ひなたは付き合ってくれないみたいだからあなたでいいや。柵の上で私とダンスしようよ」


 手を差し出す。

 少女はハッと我に返り、慌てて首を振った。

 決して冗談ではない。そう確信したのだろう。怯えの色を浮かべている。

 ひなたは溜息をついてから二人のもとに近づいていった。

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