第3話 緊急避難

 まず、

「そんなことをした人をどのように罰するか?」

 しかし、このことについても、反対意見はあるだろう。

「死んだ息子を何とか生かしたいという親心と、ロボットとして生きることへの葛藤の配慮のなさが葛藤しする」

 ということで、親心を情状酌量するということも考えられる。

 しかし、元々の親心とは裏腹に、ロボットの中に埋め込まれた、死んだはずの息子をどうすればいいかということである。

「ロボットを破壊してしまえばそれでいいのだろうが、息子の脳も死んでしまう。ここからが、フランケンシュタイン症候群のように、力が強いだけに、死にたくないと感じ抗えば、これほど厄介なことはない。一度死んだとはいえ、生きているのだから、余計に、生き続けたいという思いは強いに違いない」

 そういう思いと、もう一つの問題は、

「この脳波いつまで生きるのか?」

 ということである。

 ロボットとして生き続けるのであれば、

「この脳は永遠に死なない」

 ということになる。

 つまりは、三蔵法師に出てくる、

「不老不死」

 を求める妖怪のような感覚である。

 しかし、頭は、本来なら、生きても100年という人間の遺伝子となる脳が、

「永遠の命」

 という発想を、生かすことができるであろうか?

 確かに、

「不老不死」

 ということで、

「永遠の命」

 というものがあれば、どれだけいいというものか?

 と考えられる。

 しかし、昔の特撮番組などで、

「宇宙からの侵略者」

 が地球にやってきて、あらゆる理由が考えられるが、その中で、一つ面白い理由があったのを覚えている。

 その理由というのが、

「その星で生きている人たちは、次第に、老化が進んできて、そのために、労働力がなくなってきた」

 というのが、まずその一つの理由である、

 そのために、どうするかというと、

「他の星の若い肉体をもらい受ける」

 ということになったという。

 向こうの星に連れ去られた人間がどうなるのかが分からない。

 ひょっとすると、

「ロボットのようなものの中に、脳だけを移植し、地球で考えたような、ロボットとして、ただの労働力のために使うということも考えられる」

 ということが一つと、相手の言葉を額面上受け取れば、

「奴隷として、強制的に連れていく」

 ということである。

 このどちらも、今の日本人からすれば、

「そんな勝手な、非人道的だ」

 ということになるだろう。

 しかし、今から70年ちょっと前には、そんなことは、普通に行われていたではないか。

 特に、

「第二次世界大戦後のソ連」

 である。

 いわゆる、

「シベリア抑留」

 というものがそれであるが、いくら戦争における敗戦国で、元々が、国際連盟で承認されていない国家だとはいえ、そこにいた居留民を、まるで、

「戦利品」

 であると言わんばかりに、強制連行し、正直何も悪いことをしていないのに、過酷な気象状況において、強制労働をさせ、しかも、人間らしい生活などできる状態ではなく、死者として、そのほとんどが、

「病気」

 と、

「餓死」

 だったという。

 これこそ、

「労働力というものを求めての、侵略行為という意味では。これほど、理不尽なものはない」

 ということである。

 そう、その特撮が作られたのは、まだ世界大戦が終わってから、20年も経っていないのだ。

 下手をすれば、まだ、抑留先で生活をしている人もいるかも知れないという時である。

 この特撮の発想が、この時の、

「シベリア抑留」

 を意識してのことだったのか分からないが、奇しくも今の日本の状況に似てきているのは皮肉だといえるのではないだろうか?

「少子高齢化」

 という問題が残っているではないか?

 つまり、この宇宙人の母星のように、年寄りが増えて、労働人口が減っている。

「今の労働力で、自分たちを支えてくれる人がいない」

 ということでの、切羽詰まった、切実なるという侵略ではないだろうか?

 侵略してくるものに対しては、

「すべて対抗していかなければいけない」

 ということになるのだろうか?

 かつての日本においては(実は今もであるが)、専守防衛ということっで、相手に攻撃された場合のみ、交戦ができるということで、それこそ、同じ読み方でも、内容が違う、

「抗戦」

 ということである。

 それが、

「平和憲法」

 の下での日本ということなのだろうが、

「相手が強い国であれば、本来なら、先制攻撃を仕掛けて、相手を弱らせてから、攻勢に持って行くというのが、作戦というものであろう」

 実際に、大日本帝国は、それで勝ってきた。

 何と言っても、日本が相手をした対外戦争は、そのすべてが、

「相手が日本よりも強かったり、強大な国だったではないか」

 ということである。

 明治時代における、大日本帝国というのは、

「アジアの小国」

 あるいは、

「アジアの貧乏国」

 と言われ、本迹であるし、まだまだ発展途上にあった。

 最初は、

「列強から、食い荒らされている」

 とはいえ、まだまだ、

「眠れる獅子」

 として、アジアでは、強大と言われた

「清国」

 との戦争であった。

 何と言っても、東洋一の戦艦を持っていて、

「腐っても鯛」

 お言われる、北洋水師を持っている清国に対して、日本軍は、

「士気」

 という意味でも、高かった。

 さらに、武器にしても、戦費にしても、清国の国家元首ともいうべき、西太后の贅沢三昧のため、軍事費にほとんど回らず、東洋一の戦艦も、旧式となってしまっていて、整備不良でもあったのだ。

 戦艦でも、日本は最新式で、軍事訓練も行き届いている。当然、士気の違いというのも、甚だしいというのは当たり前だということだ。

 日清戦争の後は、さらに、問題となる、そもそもの、

「仮想敵」

 であった、ロシアであった。

 さすがに、清国が相手のようにはいかない。日清戦争では一日で陥落した旅順には、東洋一の要塞が築かれていて、旅順艦隊撲滅にはいたらない。

 それを何とか滅ぼして、バルチック艦隊との、一騎打ちになったのだが、何とここでは、半日で完膚なきまでに勝利するということと、奉天回戦での陸軍の勝利で、日本の勝ちが確定した。

 まさに、

「薄氷を踏む」

 という戦いであったが、日本は、その時点である程度、確信めいたことがあったのかも知れない。

 それが、

「先制攻撃による、優位性」

 である。

 相手に、戦争継続を困難だと思わせるようなショックを与えることができるということ。それが、日本が自分よりも、強い相手に戦いを挑んだ時の、唯一の勝ち戦にするというやり方だということをである。

 つまりは、

「最初で完膚なきまでの大勝利を挙げておいて、途中の都合のいいところで和平条約に持ち込み、最大のいい条件で和平を結ぶ」

 ということであった。

 そんな中にあって、その後に勃発した、

「大東亜戦争」

 であるが、そもそも、資源の少ない国が、工業大国に戦争を挑むというのが、そもそもの問題であった。

 しかし、中国戦線において、中国からの虐殺問題などで、居留民がひどい目に遭っているという宣伝をマスゴミが国民を煽ることで、政府は、中国に譲歩ができなくなった。さらに、欧米からの経済制裁に屈することもできず、資源を求めて出ていかなければならなくなった。

 そこでやり方としての、

「辞め方」

 の問題になるのだが、結果として、当初からの、

「先制攻撃によって、相手の出鼻をくじき、その間の半年間で、占領地域を固め、資源の確保ができたところで、和平に持ち込む」

 という方法しか残されていない。

 実際に、その方法を、

「日本が思いつくのだから、相手も思いつく」

 というものである。

 日本の誤算というのは、

「敵国側が、こちらが考えている作戦など、お見通しだ」

 ということである。

 なぜなら、アメリカとすれば、日本に先制攻撃をさせることで、国民の世論を戦争に駆り立てたいからであった。

 アメリカが戦争をするためには、大統領の一存ではできない。議会の賛成がなければできないのだ。

 当時のアメリカ世論は、戦争には反対をしていた。

 なぜなら、

「どうしてアメリカが、ヨーロッパや、アジアの戦争に首を突っ込む必要があるというのか?」

 ということであった。

 元々アメリカは、

「モンロー主義というものがあり、そのため、ヨーロッパやアジアの戦争には不可侵である」

 ということであった。

「アメリカ本土が攻撃を受けたのであれば、まだしも、そうでないのであれば、参戦する意義がどこにあるのか?」

 ということなのだ。

 だから、アメリカは、日本が先制攻撃で来るということが分かったうえで、真珠湾を人身御供にして、戦争を始める口実を設けたのだった。

「これで、心置きなく、ヨーロッパ戦線に、介入できる」

 と思ったことだろう。

「ヨーロッパの連合国が負けるということは、ナチスが、ヨーロッパ、さらには、ロシアまでをも席巻するということで、下手をすれば、アメリカ以外が、ドイツの植民地になりかねないからだ」

 ということでもあったのだ。

 そんなことはあってはならない。

 アメリカにとって、日本は、

「戦争をするための、道具でしかなかったのだ」

 ということであった。

 しかし、実際にやってみると、太平洋では日本を押していて、

「絶望的な戦闘」

 を、日本にさせていた。

 しかし、最後の抵抗による日本軍の戦い方は、

「カミカゼ特攻隊」

 であったり、

「玉砕戦法」

 であり、

「最後には、兵隊だけでなく、居留民の誰も生き残るものはいない」

 というやり方であった。

 そもそも日本は戦争に入る前、

「戦陣訓」

 ということで、

「虜囚の辱めを受けず」

 といって、

「生きて捕虜になるくらいなら、死を選ぶ」

 ということが、

「正しい生き方だ」

 と教えられてきたのだ。

 しかも、教育の中で、

「捕虜に対しての扱いは、日本ではいい対応をしているが、実際には他の国の捕虜に対しての扱いは、ひどいものだ」

 ということであった。

「殺されても仕方がない」

 ということでもあり、もっといえば、殺されるというよりも、

「強制労働であったり、婦女子は、なぐさめモノにされて、屈辱に耐えられないほどだ」

 ということを教えられてきた。

 だから、

「生きて虜囚の辱め」

 という言葉になるのだった。

 それくらいなら、

「日本人の誇りをもって、死を選ぶのが日本人だ」

 ということになるのだ。

 確かに、その話はもっともである。

 中には、戦争なのだから、捕虜に対して、ひどい目に遭わせることもあっただろう。

「自分たちの仲間が、こいつらのせいで、皆死んでいったんだ」

 と思うと、誰だって、捕虜に対しての恨みを持つ者だろう。

 そもそもの戦闘の心構えは、

「こいつらに殺された、仲間の敵討ちだ」

 という思いがあってこそなのだろう。

 何しろ、アメリカであれば、別に家族が危険な目に遭っているわけではない。ただ、

「アメリカが負ければ、戦勝国から、どんな目に遭うか?」

 ということはあっただろうが、どこまでが、そうなる可能性があるのかということは分からない。

 実際に、アメリカが参加した大きな戦争では、あの時点で、負けと言えるものはなかったのだから。

 結局、アメリカの策略に乗って、日本は戦争に引き釣り混まれ、アメリカはドイツを撃破すると、後は日本だけになった。

 しかし、日本は、必至の抵抗を試みて、アメリカは苦戦を強いられる。確実に本土に迫ってはいるが、相手が、全滅戦争を挑んできているのだから、恐ろしくてなかなか手も出せない。

 そこで、絨毯爆撃による、無差別攻撃、さらには、原子爆弾使用ということになる。

 大義名分としては、

「戦争を早く終わらせることで、アメリカ兵士の被害を少しでの少なくする」

 というものだったのだ。

 一応筋は通っているが、額面通りに受け取ってもいいのあろうか?

 結果、今も核戦争に怯えることになるわけで、その時のアメリカは、

「戦争を早く終わらせるため」

 という言葉で、開けてはいけない、

「パンドラの匣」

 と開けてしまったのだ。

 それを、誰が分かっているというのか、

「アメリカという国が、まず最初に、世界がいずれ破滅するとすれば、この時に、その扉を開けてしまった」

 と言えるのではないか?

 このような話を同僚としていた串木野は、その時、

「まるで緊急避難のようだな」

 と、ボソッと口にした。

 それは、スナックに行った時に口にした言葉であったが、その時は看板時間も近かったので、それ以上の話はしなかった。

 それからしばらくは、その話にどちらも触れることはしなかったが、そのせいもあって、二人は忘れているようだあった。

 しかし、その話を思い出したかのように、どちらから言い出したのか忘れたが、その話を口に出したのは、二人が最初に、

「お互いが常連である」

 ということに気付かなかったバーでのことであった。

 そのバーの名前は、

「バタフライ」

 という。

 いわずと知れた、

「蝶々」

 である。

 だから、串木野は、その名前の由来を、思わず聞いてみた、その理由を、串木野としては、

「蝶々夫人」

 つまりは、

「マダム・バタフライ」

 から来ていると思ったのだ。

 そのつもりでマスターに聞いてみると、

「ああ、そうだよ」

 という返事が返ってきたが、どうにも、ハッキリとしない雰囲気にも聞こえたのだった。

 これに関しては、二人とも懐疑的な意見を持っていて、

「何か、他の意味があるんじゃないか?」

 と話をしたことがあったくらいだった。

 さて、ちょうど、そんな話をしていたところ、自分が言い出した記憶がないことから、たぶん言い出したのは、同僚の方であろうが、バーの名前から、どうしてこの話題が出てきたのか、若干不思議だったが、その日はなぜか、

「何でもあり」

 という気分になっていたのを感じたのだった。

「この間、フラッと口にしていた、緊急避難ということなんだけど、急に思い出したので、話をしてみたい気がしたんだ」

 という。

「緊急避難というのは、自分が危険な状況に置かれている時、その人も危険な状態にあって、もし、自分が彼を助けると、お互いに共倒れになるということが分かっている時、自分だけが助かる行動をとった時、その要件が満たされていたと判断された場合は、罪にはならない」

 ということであった。

 そこで、友達は、一つの例を持ち出した。

「俺が考える緊急避難としては、例えば、二人で登山に出掛けた時、何かの原因で、断崖絶壁から下に、二人ともが落ちそうになって、命綱のようなもの一本で繋がっているとして、その命綱が、二人を支えきれないということが分かっていた場合、上の人間は、下にぶら下がっている人間の綱を切ってしまうと、少しでも、自分が延命できるという状態にある場合を、一つの緊急避難の前提として扱えるんじゃないかな?」

 ということであった。

「そううだね、そのままの状態で、問題は助けが来るかどうかということなんだけど、もし、助けが来る可能性があって、一人なら助かるということが言える状態であれば、緊急避難の要件としては、あり得ることでしょうね」

 と同僚がいうと、

「そうだな、もし、助けが来ないという場合だと、もし、先にロープを切って、一時期自分だけが助かったとしても、結局、遅かれ早かれ、綱が切れて、自分も死んでしまうので、緊急避難でも何でもないだろう。死んだ人間を罪に問えるか?」

 ということになるだろう。

 しかし、この場合は、さすがにそこまで罪に問うということができるというのか、確かに、何かの事件があって、犯人が死んでしまった場合は、

「被疑者死亡」

 ということになるのだろうが、今回のように、

「緊急避難」

 という問題が絡んでくると、最初から、

「緊急避難が行われた」

 ということで、殺人罪ではなく、無罪ということになるのではないだろうか? 殺意の有無は、その時の状況と精神状態で変わってくるだろう、何とも言えないに違いない。

 緊急避難の話として、今度は、串木野の方が言い出した。串木野としては、

「もっと代表的な話があるだろうに、敢えて、彼がこの話をしたのには、何かわけでもあるのかな?」

 と、ちょっと感じたが、

「ただ、忘れていただけなのかも知れないな」

 とも思うのだった。

 というのは、この話が出てくる、昔の探偵小説があり、その作家を、同僚は、

「陶酔している」

 といってもいいかも知れない。

 その作家の小説に、サスペンスタッチの作品があり、その作品では、最初に、この緊急避難の話が出てくるのだった。

 もちろん、同僚も読んでいないわけはないだろう。その証拠に、同僚は、この話のことを、このプロローグ部分ではなかったが、話をしていたのを、ハッキリと覚えている。

 だから、

「あの話は読んでいない」

 というと、明らかにウソになる。

 ということは、

「忘れてしまっていたんだ」

 ということになるだろうということは分かり切っていることであった。

 だから、ここで敢えて、その小説の話を思い出したかのように話すのは、少し考えどころであったが、串木野は、思い切って話してみることにした。

「何もそんなに、気にすることもないのかも知れない」

 ということだったのだ。

「今の緊急避難の話だが」

 と、言って少し言葉を切り、同僚を見た。

 すると、同僚は、別に顔色を変えることもなく聞いていたので、

「別に意識することもないか」

 ということで、

「それでは」

 と、話を始めた。

 この時になると、マスターも、仕事が一段落したのか、話に興味を持って聞いていた。どうやら、マスターも、この手の話を聴くのが好きなのか、それとも、

「客との間の話題に使えるかも?」

 と感じたのかのどちらかであろう。

 もっとも、スナックではないのだから、そんなに話術や話題を気にする必要もないのである。

「これは、実際にあった話がモチーフなのか、お知れないが」

 といっておいて、

「ある豪華客船が、座礁したか何かで、転覆してしまったとしよう。その時、救命ボートを使って数人が助かろうとするのだが、そのボートは、定員が、4名だったとしよう。するとそこに、もう一人が泳ぎ着いたとして、必死にその男も助かりたい一心で、ボートに乗ろうとする。しかし、すでに乗っている人は、その人が乗ってくれば沈んでしまうということが分かったので、自分が助かるには、相手が死ぬと分かっていても、助けてはいけないのだ。何といっても、一人を助けてしまうと、一人のために、全滅することになる。しかし、一人を犠牲にすると、他の四人は助かる可能性が高くなるのだということなんだよね。もちろん、ここで助かっても、餓死による死と、目の前に大量にある水を飲むわけにはいかないので、そのまま喉の渇きに苦しみながら死んでいくという苦しみが待っているかも知れないが、とりあえずは、命が繋がったということになる」

 と、串木野は言った。

 さすがに、ここまでくると、状況を想像しているのか、二人とも、寡黙になってしまった。

 話をした串木野も、喉がカラカラになってきて、

「なんと恐ろしいことを口にしているんだ」

 とばかりに、震えが来ていることにびくついているようだった。

 三人の間に、不穏な空気が流れ、しばし何も言わない時間が流れた。

 しかし、最初に口にした手前、この空気を断ち切るのは、串木野しかいないだろう。

「最後まで言わなくても、分かりますよね?」

 というと、二人は、凍り付いたように、頷くのだった。

 これほどの、緊迫した時間はないだろうということを想像しているのであった。


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