第3話 桂と『遺す言の葉』
「桂くん、申し訳ない、本当に。もう君をここで雇うことはできない。」
当時の社長の秋山は、桂の目の前でそう言った。
社長室から出た桂の表情は、納得していたように見えた。先の短い(正確には長いかも分からない)彼にとって、自分のしていることが仕事かそうでないかなど、どうでもよかった。しかし一方で、仕事という形で始めたことで、多くの人脈ができた。その点は桂本人も重々承知で、当然会社に感謝はしていた。
「桂さん、今日はもう上がりですか。」
同僚の都倉が気まずそうに声をかける。
「ははは、いいよ都倉。知ってるだろ。」
「はい...。」
桂の苦笑しながらの返事は、都倉に刺さった。
「あの、手伝えることあったら、言ってください。仕事じゃなくてもなんでも。」
「おう。また連絡するな。」
桂は都倉に背中を向けてそう告げる。
もう二度とカルテラに姿を見せることはなかった。
【1ヶ月前】
「桂さん、1本電話入ってましたよ。」
「あぁ、ありがとう。」
タバコから帰ってきた桂は、机に置きっぱなしにしていた会社用ケータイを手に取る。連絡先に登録されていない番号からの着信であったが、遺書の仕事を始めてからは度々あることだった。
急ぎのメールがパッと目に入ったのか、慌てた様子で1件メールを返すと、休憩中にかかってきた番号に折り返した。しかし、すぐには繋がらなかった。
「まぁまた午後にかけなおすか。」
そう呟いた直後に電話がかかってきた。先ほどの番号のようだ。
「はい、カルテラ桂が承ります。」
「あぁ、もしもし、桂さんですか。遺書書いてくれる方で合ってる?」
男性の声だ。父親か母親に関する相談だろうと桂は推測する。
「はい、その認識で間違いありません。遺書作成のご相談でしょうか?」
「あ、そうです。えっと、今って桂さんはオフィスの中か何かで電話されてますか?周りで忙しなく声が聞こえる気がして。」
「あ、申し訳ございません、騒がしかったでしょうか。」
後ろで甲高い声で誰かと電話している女性社員の声を電話が拾ったようだ。桂は彼女らに声量を落とすよう身振り手振りで伝える。
「あぁ、いや、ちょっと。場所を変えてもらえるとこちらも助かります、ってことを伝えたくて。すみませんが、あまり人に声が聞こえないところに移動していただけますか?」
少し違和感を覚えながらも、桂は席を立ち上がりオフィスの外に出る。
2、3分歩いたところで細めの路地に入る。全く人通りがないというわけではないが、丁度いいだろう。
「あぁ、お待たせしました。外なので音は入るかもしれませんが、特に周りには聞かれないところまで来ました。すみません保留にすればよかった、意外と歩いてきてしまいました、ははは。」
桂は電話相手のテンションがいまいち掴めず、少し不自然な笑い声をあげてしまったことを後悔した。
「それで、ご用件は?ただの依頼ではなさそうですね。」
先ほどの気まずさを拭い去るためか、あえて重めのトーンで本題に入る。
「ありがとうございます。えっと、ただの依頼じゃないと言われればそうなんだけど、そんなぶっ飛んだ依頼ではないですよ。遺書作成の依頼ではあるので。」
電話相手の含みのある言い方に、どうしてか桂は緊張感を覚えた。冷静になろうと思考を回していると、名前すら聞いていないことに今更気づいた。
「なるほど、では私の仕事ですね。すみません、お名前を聞いていなくて。お伺いしても?」
「道後与太郎といいます。少し古臭く感じる名前ですけど。」
「あぁ、いえ。道後さん。それで、どのあたりがただの依頼じゃないのでしょうか?」
桂はプライベート用のスマホのメモアプリを開き、『道後さん』とタイトルにつけてメモの準備を済ませた。
「あの、自殺したくて。」
強烈な印象を与える言葉が、理解できないまま桂の頭の中を通り過ぎた。
「あれ、えーっと、自殺、ですか?道後さん本人がでしょうか?」
なんて重い言葉を軽々しく聞き返したのだろう、と桂自身も思っていた。だが、現実感がない言葉に重みを加えるのは難しい。信じていない言葉に心を乗せることはできない。
「はい、もちろん私です。普通こんなこと人から相談されませんよ。」
道後はさも当然のように、当然のことを言う。当然なのだから、当然のように言って当然ではあるが。しかし、当たり前なのは『自殺することを人から相談されない』ことであって、道後自身は桂にその相談をしている。
これまでに桂に寄せられた多くの依頼は、避けられない死を間近にした者の側近からだった。稀に当人から寄せられるケースもあったが、不治の病など、いずれにせよ前述したような『避けられない死』が前提にあった。
桂は、ひとまず後日道後と会ってみることにした。電話越しにも冷静な人間であることは分かったため、もしかすると複雑な状況で死を選ばなければいけないだけなのかもしれない。まずは話を聞いて彼の状況を理解することを優先した。
2日後、休日ではあったが道後が指定したカフェで待ち合わせた。桂は定刻の15分前には店に入り、水を少しずつ飲みながら落ち着かない様子で待っていた。
ベルの音が鳴った。桂が振り返って入り口を見ると、事前に送られてきた顔写真と同じ表情をした男性が立っていた。歳は、40前後だろうか。
桂は手を振り、道後が気づいたところで手招きする。
「すみません、お待たせしてしまいましたか。」
「いや、まだ5分前ですので、私が早く来てしまっただけです。」
最初は、何気ない雑談から入った。確かに初対面の2人の導入としてはごく普通の光景だが、これから話されることを考えると、その普通がむしろ違和感であった。
「あまりここのカフェ、人がいませんね。」
「あぁ、そういうところ選んだんで。すみません、怪しい感じでてるけど、そんなんじゃないですよ。」
「まぁ、内容が内容ですから、仕方ないですね。」
「すみません、貴重なお時間いただいてるんで、話さなきゃですね。」
少しずつ会話から笑い声が減っていき、本題に入るタイミングをお互いに探っていたが、道後がついに舵を切った。
「あぁ、いえ。すみません私も、無駄話が過ぎましたね。」
桂も少し崩れていた姿勢を正し、それに伴って心の準備を整える。
「『与太郎さんだけ、お父さんだけ、どうして。』って毎晩聞こえてくるんだ。」
道後が語り出した一言目には、彼の持っている寂しさや辛さが凝縮されていた。桂は一瞬、文脈のないその言葉の深さを読み取ろうとした。だが、目の前に映る男性の、疲れ切った目を見ると、ただ話を聞くことしかできなかった。
「俺の家族は、まぁ家族といっても父親以外なんだけど、全員死んだ。俺と妻と娘の3人で心中しようとしたんですよ。」
「心中...ですか。」
「はい。」
「でも、俺だけ死ねなかった。何が正しいのか、急に分からなくなった。真理って、近づくほど遠く感じるんだよ。それを、死を目前にして悟った。」
道後の口調は落ち着いていて、間をとりながら話していた。だが、その間ひとつひとつの時間で手は震え、何かを噛み締め、飲み込んでいた。
桂は返事となる言葉を探しているが、どうしても思い浮かばない。だが、道後は桂の返事を待っている様子ではない。あくまで自らのペースで、語る。
「娘は、何をしようとしているかは理解できなかったと思う。娘は妻が繋げて吊った。でも、俺と妻の絶望に気づいていたんだろう、抵抗はなかった。」
いつの間にか、道後は桂とは会話していなかった。自分の罪をひとつひとつ挙げ、数えていった。
「俺は、罪を犯した。妻と共に。娘は...何も悪くない。いいや、妻も悪くないか。2人を殺したのは、俺だ。」
桂も、道後の話の中で詳しい事情を聞けていたわけではない。どうして心中するに至ったのか、なぜ心中でなければならなかったのか。
事情を説明するという点においては、あまりにもお粗末なほどに抽象的で、感情的であった。しかし、そんな滅茶苦茶な話だからこそ、道後には今『何が見えているのか』が桂に伝わってきた。
「俺は、言葉を遺したいんだ。妻と娘はもうこの世にはいない。だけど、確かに生きていた。2人に感謝と謝罪をしたい。それが、生き残ってしまった理由だ。こじ付けの運命だ。」
十数分ぶりに、道後の視線は桂を捉えた。
「だから、桂さん。あなたに頼みたいんです。俺の遺書を、『遺す言の葉』を書いてください。そうすれば、俺は2人の後を追えますから。」
"『死を選ぶ』ということは、どういうことだろうか"
そんな疑問と共に、桂は遺書作成の仕事を始めた。桂自身の命もそう長くない中で、死を選択する人に触れ、人間の本質を求めた。今、それに迫ることができる機会が目の前に転がっている。桂はそう思わずにはいられなかったのだ。
「承りました。ご自身では書かれないのですか?仕事柄、自由に読み書きができない方の遺書代筆が多いもので。」
「俺は、語ることはできても書くのが苦手でしてね。というのは建前で、最後の最後に人との関わりを求めてしまったんです。人間の性でしょうか、ははは。そんな資格ないってのに、醜いね、俺は。」
「いぇ...。でも分かりました。私が道後さんの最期の言葉を、奥さんと娘さんが生きた証を必ず遺します。」
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『京子、そして結衣へ』
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約1週間後、朝。桂はニュースをつけながら支度をしていた。
『昨日未明、男性が首を吊り死亡した姿で発見されました。自らのロープで首を吊り自殺を図ったと思われます。』
音声が耳に入った桂は、ネクタイを結んでいた手を止め、テレビに視線を移す。画面に1人の男性の顔写真と氏名が映し出される。
『高山遼太郎 39歳』
桂の知らない名前だった。だがその顔は、1週間前に会った彼そっくりだった。
「なるほど、そりゃ警戒されるわけだ。全然普通の名前じゃないか、まったく。」
高山遼太郎。桂と会う2週間ほど前に3件の殺人事件を犯していた人物だ。彼は逃亡中だったのだ。そして一家心中未遂をし、自身のみ生存したが、そののち自殺。彼が心中や自殺をした経緯は、あらゆるメディアでも最後まで明かされることはなかった。
桂がニュースを目にした数日後、桂が自宅で休日を過ごしていると、珍しくインターホンが鳴った。
「はい。」
反射的に画面も見ることなく応答してしまったが、よく見ると画面越しには警察官のような人物が3人ほど立っていた。
「桂雄一郎さん、ですね。お話伺ってもよろしいでしょうか。高山遼太郎という人物について、桂さんにお聞きしたく。」
桂本人も、なんとなく想定はしていたのだろう。最初は警察官3人が映る画面に緊張していたが、すぐに落ち着いて返事をした。
「はい、桂です。承知しました。少し片付けますので、申し訳ないですが5分ほどそこでお待ちいただいてもいいですか。」
桂は警察に全てを話した。高山が名前を偽り接触してきたこと。遺書の代筆を依頼されたこと。それを書き終わった日に自殺をすると告げられたこと。桂はそれを止めなかったこと。
高山遼太郎が容疑者となっている殺人事件については、毎日ニュースをつけている桂は当然知ってはいた。しかし、顔までは把握していなかった。
警察は、桂が殺人事件の共犯者として関わっている可能性も含めて事情聴取をした。だが、もちろんそんな事実などなく、彼に対する疑いは程なくして晴れた。
「しかし、遺書代筆、ですか。だいぶ本題とはズレてしまいますが、もしかしたら桂さんの会社に別途お話を伺うかもしれません。もちろん私たち刑事が、ではありませんけどね。」
「そうですか。お手数おかけします。」
「いえいえ。本日はお話ありがとうございました。我々はこれで失礼いたします。」
そう言って席を立った刑事を、桂は玄関まで送る。
「いきなり押しかけてすみませんでした。では。」
「いえ、こちらこそ。お役に立てたか分かりませんが。ちなみに、最後に一つ聞いてもいいですか?」
桂の言葉に、扉に手をかけていた刑事の手が止まる。
「高山遼太郎の遺書は、どうなるのでしょうか。」
「今は物証として保管されていますが、どうでしょうね。特に関係なければ、処分になると思います。」
「そうですか、分かりました。ありがとうございます。」
「いえ。それでは。」
「はい、では。」
両者は軽く頭を下げ、桂はドアを閉めた。
桂は大きくため息をついた。いくら自身が殺人に加担していないと言っても、多少なりとも疑いの目を向けられるのは精神にくるものである。
それに、おそらく近いうちに会社に調査が入る。これは道後の正体が殺人犯であると知る前から桂は覚悟していたようだ。
人の命を左右する仕事というのは、当然大きな責任を伴う。だから、その責任を背負うにはそれ相応の知識や覚悟が必要となる。免許がなければ医者にはなれないように。誰にだって他人の生命の行く末を決定する権利はない。
終活ビジネスが拡大を見せ始めていた時期、そういった責任問題が議論に上がった。当然他人の生き死にを決めるわけでも、身体を弄り回す職業というわけでもない。しかしあくまで、人が死ぬ間際に触れながらする仕事であったため、何の資格もないサラリーマンが行っていることに否定的な意見も一定数見受けられた。
当時の風潮から、必要な資格が国から設けられるかと思われたが、このビジネスが一過性のものであると判断されたためか、規定が作られるのみに留まった。その規定の中には、当然『顧客や顧客と関係のある者の生死の意思決定に介入してはならない』といった類の記述がある。
桂と高山遼太郎の件はあまりにも異例の出来事だった。規定に照らし合わせても、完全に反しているとも結論づけられないが、かといって何の議論もせずに受け入れて良いものでもなかった。
そして、秋山社長は桂を解雇することを本人に告げた。だが、それは決して秋山が望んだことではなかった。会社の仲間へ迷惑がかかることを懸念した桂が、自ら社長に進言したのである。解雇というかたちにしたのは、会社として今回の件に関する責任を果たしたことを外に示すためである。
桂が退職して程なくして、秋山もカルテラを退いた。桂には告げず。2人の退職とともに、遺書部はなくなり、現在の北斗が働いている体制へと変わっていった。
【解雇当日の夜】
桂は、一通の封筒を書斎の引き出しから取り出した。
『遺す言の葉 道後与太郎』
桂は、彼に依頼されて二通の遺書を書いた。ひとつは、他の誰かの手に渡ってしまっても良いもの。つまり偽物の遺書。もうひとつは、本当に遺したかった言葉が綴られたもの。
2人は約束した。必ずこの言葉を遺す、と。決して消し炭になどさせないと。桂は、もしかしたら罪を犯しているのかもしれない。どんな法律に反しているかなど分からない。桂に悪意などない。だが、間違いなく大きな罪を犯した者に寄り添い、警察に小さな嘘をついたのだ。
桂は密かに昂揚していた。彼が求めていた人間の本質を捉えたと確信したからだろうか。
「道後さん、あなたが犯した罪は大きいですね。人殺しも、それ以外も。」
桂は封筒から取り出した遺書を開く。
「一度しまった他人の遺書を覗くなんて、タブーなんでしょうけど。今回ばかりは、許してください。だって...。私以外、読めないじゃないですか。私以外、誰もあなたの遺した言葉を掬い上げることができないじゃないですか。それなのに、どうして...。」
桂の頬を涙がつたう。それは、誰に向けた涙なのだろうか。道後に向けたものか、はたまた彼が大切にしていた家族に向けたものか。それは桂自身にも分からなかった。
「どうして、言葉を遺すんですか。あなたの奥さんも、娘さんももうこの世にはいない。私以外にあなたの最期の声を聴いた者はいない。何にも関係のない私が...!私だけが、あなたの『言葉』を知っている。どうしてなんです。」
書斎に、嘆きにも聞こえる独り言が鳴り響いている。顎から滴る涙が、落ちようとしている。遺書を濡らしてはいけないと瞬時に思ったのか、桂はすぐに右手で顎と目の涙を拭う。
鮮明になった視界に、道後の言葉が映る。
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”京子。俺は、京子が最高の妻だということを知っている。それは、俺しか知らなくていいことだと思ってたんだ。でも、そんな俺の考えが、京子を殺してしまったんだと思う。すまない。
俺は、許されないことをした。でも京子、お前は俺を信じてくれた。俺はそれだけで十分だった。それだけで、死んでもいいって思えたんだ。結衣が生まれるとわかった時、俺たちは殺されそうになった。京子は結衣をお腹に抱えながら、必死に抵抗して、決死の覚悟で逃げてくれた。本当にありがとう。
結衣。ごめん、生きていてほしかった。本当に愛していた。何も、本当に何もしてあげられなかった。
俺は京子と結衣の後を追うよ。こっちの世界では一緒に生きるのは難しかったんだ。本当は、3人で一緒のタイミングで引っ越したかった。でも俺は、こんな残酷な世の中にも俺たち家族がいたんだぜ、って。どうしても遺したくなった。誰に見られるってわけでもないんだ。ただ、遺す。俺と京子と、結衣のために。
ありがとう、京子、結衣。”
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桂は、より一層分からなくなった。どうして人は死を『選択』するのか。死を選択できることは、本当にあるべき姿なのか。生か死を選択しているようで、死のタイミングを選んでいるにすぎないのではないか。
「真理は近づくほど遠く感じる、か。」
桂は、遺書を封筒にしまった。
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