第2話

 遺髪を食わせるとき以外、父はぼくとの接触を持たなかった。屋敷の中に押し込めて、外界から隔絶することだけに注意を向けていた。そうすることで、ぼくが死者の降霊に打ち込むようになると思ったのだろう。まったく的外れも良いところだ。ぼくは、伯従父いとこおじの至さんに頼んで、生きた人間の髪を方々から集めてもらっていた。


 ある日は地元少年団のエースになり、またある日は有名キッズモデルになる。

色んな記憶を追体験することで、ぼくは己の孤独を慰めていた。しかし、至おじさんはこの状況を歓迎していない様子だった。定規で引いたみたいな眉を、√状に歪めて彼は言う。


「クオンくん。我々に霊媒を頼みに来る人間は、それこそ掃いて捨てるほどいます。恐らく、君に髪の毛を提供し続けることはそう難しくはないでしょうし、これから先も色んな人の頭の中を覗けることでしょう。しかし、それだけで満足できますか」


 彼はいつも、毛塚宗家の人間には敬語だ。

 それは、ぼくのような子ども相手でも例外ではない。根っから堅物なのだ。


「……質問の意図が分からないな。それより、おじさんも一本どう?」


 そう言ってぼくは、咥えていた毛髪の束を突き出した。

 キザったらしく、タバコでも薦めるみたいにやって見せたのだが、ウケはいまいちだった。おじさんは渋面を崩さずに答える。


「いや、結構。そもそも私は、他人に意識を“送信”することしかできませんからね。クオンさんみたいに、受信することはできないのです」

「へええ。ウチの人はみんな、どっちもやるものだと思ってたよ」

「とんでもない。私が知る限り、〈誘起霊媒ゆうきれいばい〉ができる人間はクオンさんくらいですよ」

「ゆうき、れいばい?」


 なんだ、それは。有機栽培オーガニックの間違いか。

 ぼくの反応が思わしくないのを見て、おじさんはいよいよ呆れた表情になった。


「どうやら初継さんは、君を霊媒師として自立させる気はないようですね。良いですか、クオンくん。誘起霊媒というのは読んで字の如く、他人の意識を誘い出し己の内に起ち上げるものです。悪用すれば他人の秘密を好き勝手に暴くことができますが、正しく使えば相手のことをより深く理解することができる」

「それ、言ってることは同じじゃないの?」

「同じですよ。要は、使い手次第ということです」


 じゃあぼくは落第だな、と思った。

 ぼくは他人の頭を覗き込むことを娯楽にしている。モノとして消費している。そこには多分、他者への慈しみというものがない。まるで説教されている気分だ。実際、誰かに説教された経験なんてぼくには無いけれど。


「おじさんは霊媒するとき、そういうことを考えていたんだね」

「そう、ですね……いや、違うな。私にはできなかった。〈侵襲霊媒しんしゅうれいばい〉はその性質上、他者に対して攻撃的な面しか持たないから」

「攻撃的?」

「他人の頭に押し入って、肉体の主導権を奪おうというのです。これ以上、攻撃的な行為があるでしょうか。クオンくん、私はね。君が羨ましいんですよ。君は誰かを操って罪を犯した経験もないし、その能力も持ち合わせていない。君はまだ、まっとうに生きていくことができる。それは君自身も望んでいることじゃないですか?」


 どうだろうか。ぼくは普通の人間として生きていけるだろうか。今でさえ、おじさんが何故こんなことを言い出したのか、霊媒で確かめたくて仕方がないというのに。ぼくは霊媒師の道を捨てられるだろうか。


 ぼくには分からない。

 分からないが、霊媒能力さえなければ、こうして辛気臭い屋敷の中に囚われることもなかったし、死人の影に怯える必要もなかった。その点は確かだし、ぼくが誘起霊媒を使えてしまうということもまた紛れもない事実なのだ。


 ぼくに選択肢はない。才能がぼくを呪縛するから。


「霊媒をやめるなんて言ったら、父さんは許さないと思うよ」


 ぼくは意図して、会話の主題をすり替えた。自分の問題から、父さんの問題に。

 しかし、その程度の浅知恵は霊媒など使わなくともお見通しだったらしい。おじさんは確信を得たように頷き出した。


「やはり君は、やめたがっているように見える。当然と言えば当然のことです。君は遺髪での霊媒を繰り返すたび、他人の死を追体験する。初継さんはそのうち、生前の記憶までも覗けるようになると期待しているようだが、それまで君の精神が保つとは思えない」

「そんなこと、父さんは気にしないよ。だからぼくは一生、この家で飼い殺しにされる。それで納得するしかない」

「では何故、君は隠れて遺髪を溶かしているのですか? 何故、私に生きた人間の髪を求めるのですか?」


 。ぼくは思わず黙り込んでしまう。

 まるで、イタズラがバレた悪ガキの気分だ。これも実物を見たことはないけれど。


「別に責めているわけではありません。言ったでしょう? 死人を霊媒し続ければ、君はいつか重大な心的外傷トラウマを負うことになる。それを避けることに後ろめたさを感じる必要はないし、外に憧れを抱くのは当然だ」


 君は自由になるべきなんだ、とおじさんは締め括った。

 それは長年ぼくが憧れた言葉であり、同時に否定してきた言葉でもあった。

 自由自由と言うのは易いが、この世に自由な人間などいるわけがない。ぼくらは生きている限り、過去からは逃れられない。生きている限り。


「母さんはぼくを産んだばかりに死ぬことになった。だから、ぼくの命は母さんのために使われるべきなんだって」

「初継さんが、そう言ったのですか?」

「うん」


 ぼくが頷くと、今度はおじさんが沈黙する番だった。

 救いようのない父子。そう思ったんだろう。むしろ思ってくれ。そうすれば、この話は仕舞いだ。ぼくは自室の六畳間に戻って、恵まれた子どもたちの記憶に耽溺することができる。放っておいてくれ。ぼくたち父子の関係は、始まった瞬間から末期だった。せめて、QOLくらい守らせてくれ。


 しかし、ぼくの望みを他所におじさんはなおも食い下がった。


「クオンくん、ハッキリと言っておきますがね。君のような子どもが青春を棒に振ってまで果たすべき責任なんて、この世にありはしませんよ」

「あの世にあるって話でしょ。これは誰にも否定できないことだ。生きている人間には」

「そうかな」


 そうなんだよ。ぼくは段々、イライラが抑えられなくなってくる。

 なんでも良いから、髪の毛を噛みたい気分だった。誰でも良いから、他の人間に成り代わりたかった。どうして母さんは、ぼくを連れて行ってくれなかったのだろう。


「じゃあ、君はこう言いたいわけだ。君の母親は、自分が生き返るためなら我が子が苦しむのも厭わぬ、冷徹な性悪女だと」

「母さんはそんな人じゃ――」


 言い掛けてから、ぼくは自分が知りもしないことを口走ろうとしていたことに気が付いた。霊媒もせずに死人の代弁をするのは悪だと散々言ってきたのに。母さんはぼくを咎めないだろうと、心のどこかで期待している。


 おじさんはそれを暴くために、わざと口汚い言葉で挑発をしたのだろう。

 綺麗な顔して、とんだタヌキだ。


「そう。実際、君のお母さんは善良なひとだった。彼女が侵襲霊媒を使って見せたのは、毛塚の家に嫁ぐと決まったときの一度きり。我々と違って、濫用しないだけの良識があったんだ。君の期待通りにね」

「そんなの、勝手な期待だよ」

「それを言うなら、初継さんのも勝手な期待だ。君が犠牲になるという期待、奥さんが復活を望んでいるはずだという期待、それらは全て彼が勝手に考えていることだ。君を縛り付ける理由にはならない。そうでしょう?」

「そう、かもしれないけど」


 ぼく自身、母さんの死に責任を感じていて。

 でも、死人を霊媒して廃人になるのも怖くて。

 そこから逃げ出すしかない自分が許せなくて。

 そうして雁字搦めになって、疲弊していく生活にウンザリしていた。

 おじさんに話すうちに、ぼくは状況のどうしようもなさに涙していた。


「どうしようもないねぇ」


 おじさんは溜め息交じりにこぼした。ようやく、共通の見解に至れたらしい。

 そうして長い長い沈黙のあと、彼は脱力した口調でこう付け足した。


「どうしようもないならどうしたって良い、ってことにはならないかな」

「ええ?」

「今の君は、誰がどう見たって立派にドン詰まりだよ。私くらいの年齢の人間が言うんだから間違いない。君はどうしたって必ず後悔することになる。請け合うよ」


 また、おじさんが意図の読めないことを言い出したので、ぼくは茫然としてしまう。一度、この人の髪をくすねておいた方が良いのかも知れない。理解しきる頃には、頭の上に巨大な不毛地帯が出来てしまいそうだけど。


「おじさんはぼくを追い詰めたいの? そうなの?」

「とんでもない、その逆だよ。良いかい。“人間に残される最後の自由は、自分の態度を選択すること”って言ってね。君が責任に殉じたいならそうすれば良い。この家から逃げ出したいのならそれもまた良し。ただ、どうあっても悔いは残るものだと心得ておくべきだ。君は超一級の霊媒師だが、所詮はただの人間だ。神様じゃない。自分も、ご両親もそれ以外の人間も、みなが満足のいく選択なんて人間風情に取れるはずはないんだ。それを思い悩むのは、いっそ傲慢とさえ言える」

「……もしかして、慰めてる?」

「ようやく気づいてくれた。やはり、クオンくんもまだまだですね。霊媒に頼りすぎると、言語コミュニケーションに支障が出ますよ」


 あなたにだけは言われたくない。言おうか言うまいか一瞬悩んでから、ぼくはそれを口にした。おじさんはフフとお上品に笑って、ぼくの放言を許した。

 怒ったり泣いたりして気が抜けたせいか、ぼくもつられて笑ってしまう。

 自分の身体で笑ったのはいつぶりだったろうか。


「つまり、開き直れってことだよね」

「まあ、平たく言えばそういうことになりますかね」

「酷いアドバイスがあったもんだ。もし母さんが夢枕に立ったら、なんて言えば良いの」


 そうですねえ、とおじさんは天を仰ぎ見て、


「『遅かれ早かれ我々もそちらに参るのですから、こちらにいる間はとやかく言うのはお控えください』とでも言ってはどうでしょう?」

「ぼくは、おじさんに唆されたって話そうかなあ」

「おやおや。なんとまあ」


 おじさんはぼくに“許す”とは言わなかったし、“間違っている”とも言わなかった。ただ、ぼくの抱えていた罪悪感を引き受けようとしてくれた。おじさんが共犯でいてくれたお陰で、ぼくは十代を生き延びることができた。


 だから、ぼくの命はおじさんのものでもある。

 もう母さんだけのものじゃないって、思えるような気がしたんだ。

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