霊能者・毛塚クオンの葬送

庚乃アラヤ(コウノアラヤ)

第1話

 お前には霊能力がある。髪を介して、他人の意識を取り込めるんだ。

 父、毛塚ケヅカ初継ウイツグはよくそう言って、誰かの遺髪をぼくの口に突っ込んできた。気持ちが悪かった。ぼくが食べたいのは、干乾びて死臭にまみれた白髪などではなくて、キューティクルが艶やかでシトラスの風味が効いた黒髪なのだ。ギブソンタックのクルクルしている部分であると、食べやすくてなお好ましい。しかし、これは話が逸れた。


 とにかく、ぼくは父の横暴を止めたかった。死人に──亡き母に執着する父が、見るに堪えなかった。彼は霊媒ができない自身の代わりに、ぼくの身体を使って母を降霊しようと考えている。だからこうして、“鍛錬”と称して出所の知れない遺髪を食わせるのだ。


 グルメ的な視座から父を説得するのが難しいと判断したぼくは、科学知識によって対抗しようと考えた。オカルトの申し子みたいなぼくが、こんな手を使ってくるとは父も思わなかったことだろう。


「ねえ、父さん知ってる? 髪って食べちゃいけないんだよ。ケラチンっていう頑丈なタンパク質でできているから、ウッカリ飲み込むと大変なんだ。だから、ね。もう止めようよ。ぼくの胃袋は人間の胃袋なんだ。消化なんかできっこないよ」

「違うぞ、クオン。お前の身体は霊能者のそれだ。髪を食むことで他人の意識を、生命を得ることができる。命の枯れた髪はおのずと分解されるのだから、なにも心配することはない」

「でも、もし上手くできなかったら? 胃腸の中に、髪が永遠に取り残されることになったら、どうすれば良いの……」


 勿論、上手くいかないなんてことはない。ぼくは、毛塚一族で随一の霊媒師だ。その点についてはプライドがある。


 髪の毛一本で二分間──それだけの間、霊媒を維持できる人間はこの世に数えるほどしかいないだろう。しかしそれでも、齢十二の子どもが親に泣き落としを仕掛けちゃいけない理由にはならないはずだし、ある程度の効果があるはずだ。

 そう見込んで打った芝居だったが、しかし父には通用しなかった。


「永遠。永遠か。結構なことじゃないか」


 父は心底嬉しそうな様子でそう返したのだ。

 ぼくは予想外の反応に、思わず硬直してしまう。


「消化できないのなら、それもまた一興だ。遺髪の持ち主はみな、お前の中で生き続ける。お前の胃袋の中で、永遠に。さあ、いっぱい食べて立派な霊媒師になるんだ」


 お残しが許されないのは、給食だけで十分だ。ぼくは食べたいものを食べ、興味のある人間だけを降霊する。遺髪入れや骨壺の代用品にされるのはウンザリだ。


 母さんは死んだ。母さんは死んだんだ。子どものぼくに分かることが、父さんに分からないはずはない。フランケンシュタインの真似事なら、一人でやってくれ。ぼくはアンタの怪物になんかなってやらない。


 そう思っていても、ぼくはそこまで言い切ることができなかった。

 なぜって。母さんが、ぼくを産んだために命を落としたと知っているから。

 霊媒をしないぼくは、父さんにとって無価値な人間だと理解したから。


 ぼくはこの日から、渡された遺髪を隠れて始末するようになった。飲み込んだものを吐き出して、アルカリ性の配管洗浄剤パイプクリーナーで溶かすようになった。


 遺髪に付いた消化液を洗い流していると、ぼくは虚無感に苛まれる。「死者たちはみな、霊媒によって“復活”させられる日を心待ちにしているのだ」と、父さんはよく言うけれど、ぼくにはどうしてもそうは思えなかった。


 大抵の遺髪は、死に対する恐怖ばかりを記憶している。死が焼き付けられると、生前の思い出は呆気なく掻き消えてしまう。まるで、記憶する意味がなかったかのように。


 今まで色んな人間の意識を味わってきたけど、多くの者は「死にたくない」とは思っていても、「生きたい」とは思っていないように感じる。それは、ぼくだって同じだ。人生なんてものは、一回きりでも腹いっぱいだ。好き好んで二度三度と味わおうとする奴は余程の幸せ者か、想像力の足らない阿呆だろう。


 誰だって、二度目の生がぼくの人生だったらクーリングオフを望むはずだ。

 親に才能だけを望まれる子どもなんて、不幸以外の何物でもない。


「永遠なんて願い下げ、だよな」


 洗い清めた遺髪をパイプクリーナーに落とすと、ぼくは取り敢えず手を合わせてみる。信心深さなんて欠片も持ち合わせていないけど、眼前で消えゆく命の残滓に対して思うところはあった。


 この髪は、この人は、ぼくの手によって二度目の死を迎える。

 ちゃんと死ねるだけ幸せだ、とは言わない。

 この世に生を受けることが不幸だ、とも言わない。

 ただ、死んだ奴は死なせておけという話だ。


 霊媒もなしに死人の気持ちを代弁する奴は、詐欺師か単なる卑怯者だ。死人にとって何が幸せかなんて、誰も知らない。だから、ぼくは誰かを葬ったという事実だけを負う。それがせめてもの誠意であり、死者に対する償いだった。


 ぼくは毎夜、パイプクリーナーを抱いて眠る。

 そうしないと、死人が恨み言を言いに来るような気がしたから。

 母さんが化けて出ると思ったから。

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