7.悪夢が近づく(2) 覚えている人

 わざと放った言葉なのか。つい口から出てしまったものなのか。自分的には少々、今の言葉が故意に出されたものに思えたのだが、そんなことはどうでも良い。

 「天狗になる」。

 それは「狐の嫁入り」、「鬼の目にも涙」、「河童の川流れ」などの慣用句と共に消えたはずの妖怪を示す言葉だった。


「あ、あの……!?」


 何故、彼女は俺と同じく覚えていられたのか。聞こうとして彼女が俺の腕を痕がつきそうな強さで握ってきた。更に「あ、あの……何ですか!?」と尋ねたくなる状況で彼女はこちらに言い放つ。


「ってか、そんなこと言ってると仕事に遅れるよ! さっさと入ろ!」

「あっ、はい……」

「話はその後で聞いてあげるから」


 確かに今は妖怪の存在よりもバイトの方が大事に決まっている。彼女の指示通り、先にそちらを優先する。

 バイトの内容は俺が洗い場で食器を延々と洗い続け、彼女がウェイトレスとして客にご飯を提供する役割だった。

 俺の場合はこの居酒屋自体来るのが初めてで何処に洗った皿を運べば分からず四苦八苦していたが。彼女は結構慣れているようでたまにこちらが皿の置き場所を探していると、遠くから指で収納場所を教えてくれた。

 名札を確かめ、彼女の名が「伊吹いぶき」だと知った。彼女は俺と同じく常駐スタッフではないが、だいぶ他の人達に好かれているらしい。

 調理を担当しているバイトの男性も伊吹さんのことを褒めていた。


「いやぁ、いつも来てくれて助かってるんだよね。あの子。愛想もいいし! 単発だけじゃなくて、本職として入ってくれないのかね……あ、空見くんも大歓迎だよ」


 ついでのようなバイトへの誘いもあった。

 しかし俺は首を横に振って断らせてもらう。怪異を見つけたら、すぐ動かねばならない。その時バイトが入ってしまっていたら、怪異を倒してバイトを休むか、バイトを選んで怪異を逃がすか選ばねばなるまい。怪異を逃がすのはもってのほか。だが、バイトを休んで誰かに迷惑をかけ、誰かが生んだ感情でまた怪異が現れることもあり得てしまう。

 だから当日にバイトを申し込める単発バイトが俺にとって都合が良いという訳だ。

 ただ彼女も同じ単発バイトの人間。それでいて、妖怪を覚えている。つまるところ、だ。彼女も俺と同じ性質の人間ではないかと一瞬変な考えを持ってしまった。

 すぐに期待も欲望も頭の中から振り払う。全て舞花のせいだ。彼女が「怪異を倒す秘密結社がいる」だとか言ったせいで、伊吹さんもその一員ではないかと考えてしまったのである。

 そんなはずがない。今まで俺はそんな人間に会ったことがない。

 そう思い込んでいた時だった。彼女は別の意味で、今までに会ったことのない人間のムーブをかましてきた。


「ねぇ、空見くん。空いてきたから、そっち手伝いに行くね」

「あ、ありがとうございます」

「で、さっきの話だね。その前に自己紹介かな。わたしは伊吹小恋ここ。ココさんでもいいよー!」


 距離が近すぎるのだ。今までバイトの中で会った人物の中でもここまで俺のプライベートスペースにずかずかと入ってくる人間はいなかった。

 何だか妙に焦ってしまう自分を抑えて、「空見流々斗です」と自己紹介。彼女は「いい名前だね」と言ってから、こちらの諸事情を尋ねてきた。


「へぇ。見たところ、学生さん?」

「高校二年生やってます……」

「それなのにバイトって偉いね!」

「まっ、色々ありまして」


 本当は金に対してそこまで困っている訳ではないのだが。

 彼女は一通り世間話のようなものを終わらせると、取った皿を元の場所に戻しながら本題に入ってきた。

 俺が知りたかったもの。


「で、天狗を何故知っているか、だよね……まず、認識としては真っ赤な鼻をした、男で何か山伏って言うのかな、そういう衣装を着てる妖怪ってことで認識はオッケーかな?」


 手が汗で滲んだ。

 小恋さんの言葉に夢中で皿を水洗いする手が止まりそうになる。彼女に「ほら、手は止めないで」と言われて再び動き出すのだが。

 妖怪の単語を久々に他の人間から聞いた。

 本当に存在していたものなのだと心から強く実感する。


「それで合ってます。天狗って存在、俺は知ってます……」


 彼女はふふっと笑いながら、こちらの両手を両手で握ってきた。先程は手を止めるなと言った癖に、今度はこちらの手の自由を思い切り奪ってきたのだ。


「あっ、ちょ……」


 俺が何かを言おうとしても彼女は非常に明るい様子でこちらを見つめている。


「他にもいたんだね。わたし達の他にも……! わたし達の他にも妖怪を知っている人が……! 何で知ってるの!? 何があったの!?」


 妖怪を知っている人間であれば話しても良いか。

 そう思って、俺は狐の神との交わりと座敷童について答えていた。その神から能力を授かったことも、だ。


「凄い。マジでそんな人間が……! じゃあ、ちゃんとわたしも教えとかないとね」

「な、何を……」


 彼女は誰も見ていないことを確認。調理していた人も注文がなく違う場所に行ってしまったから、洗い場付近には今俺と小恋さん以外誰もいない。

 水道から出ている水の方に指を振る彼女。

 その水が触れていないのに動き出す。まるで水を操るかのように。


「……どう?」

「水を操れる妖術……? みずちの類……?」


 みずちは河の神とも呼ばれている龍に似た妖怪だ。実際会ったことはない。ただお狐様に「そういや、この前みずちんとこ訪ねたんだけど留守でさぁ、あいつ、いつ家にいるんだって感じだよ」的な話の中に出てきただけだ。

 彼女は首を縦に振る。


「そっ。大雨を降らす術や水に関する妖術なんかを君と同じ位の頃かな……教えてもらったんだ。だからわたしの推しの妖怪と言えば、みずちかな。まぁ、でもその仲間の河童、人魚……珍しいところで言うと、あまびえちゃんにも会ったかな」

「あ、あまびえまで……」


 確か病気を治す力を持つ妖怪ではなかったか。

 その名前を聞いて、ふと思い返す。小学生の頃か、この国で流行り病が出た時に人は、あまびえのシールなど至る所に貼って祈っていたのに。今、この世界ではそんな影すらない。存在すら消してしまった、だなんて。

 何だか悲しい。

 それを覚えているのは彼女と俺だけとは。

 嘆いた後にふと思う。彼女は言っていた。「わたし達」と。


「小恋さん、そう言えば……他にも妖怪、知ってる人いるんですか? 妖術を使える人間、いるんですか?」

「……月盟団、その話は仕事が終わった後にじっくりしっくり話しましょ!」

 



 

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