5.悲願の夢(5) 逃げろ

 自分が知る中ではカブトムシやクワガタとは違う異質な昆虫。

 蜂だ。それもかなり大きいもの。昆虫図鑑で見たその極太な体の大きさを見るにスズメバチと言われる種類ではないだろうか。

 蜂の巣が手元にある以上、狙われるのは俺。

 周りの座敷童は平然と一言。


「ここは人里近いからハチの巣作っちゃいけないってあれだけお狐様や他の妖怪が注意してたのにね」

「あっ、いや、そんなこと言ってる場合じゃ」


 スズメバチは怒り狂って、最初の攻撃。俺に飛び付こうとした。

 最中、お狐様は手から何かを勢いよく放つ。俺を襲わんとしていた蜂が勢いよく燃えだしたのだ。その不思議な出来事に怯みそうになると同時に蜂の巣を地面に放り投げて、お狐様の方へと逃げていく。


「な、何々!? 何が起きてるの!?」


 俺がその場から動いた同時に近くに隠れていた蜂共が集結する。帰ろうと思ったら家がなかったのだ。誰でも怒る。

 尻についた針をこちらに向け、大量で襲い掛からんとする。その状況に座敷童も少しずつ深刻な顔をする。


「……ああ……ヤバ」


 お狐様はと言うと、ケラケラ笑っている。まるで自身が自然の王者と言わんばかりに。


「小僧! 小娘! 二人共ついてこい! 一緒に逃げようじゃないか!」


 逃げる方が先だろうか。先程の強い攻撃を食らわせれば、蜂もお陀仏になるのではないか。


「何で何でやっつけないの!?」

「うむ。残念ながら、あの能力は一回使うと次に出すまでに時間が掛かるのでな。ほらほら! 逃げんと刺されるぞ!」


 とんでもない状況を強いられた俺は顔が真っ青になっていたと思われる。蜂に追われて俺達三人は雑木林の中を逃げ惑う。

 かといって、蜂の移動速度は俺達の何倍もある。だからか、座敷童の彼女が囮になってくれた。


「ほらほら! 可愛い私がこっちにいるよー! 握手とサインの列はこちらでーす! 押さないで押さないでー!」


 あまりに腑抜けた囮だが、助かってはいる。逃げ足が俺の何倍よりも速い彼女に気が向けば、俺が追い付かれる可能性は低くなる。

 しかし、だ。


「何で田舎の座敷童がアイドルとか知ってんの?」

「お主の爺さんがたまに行ってるそうじゃないか」

「うちのじじぃにそんな趣味があったんだ……」


 気になったことはそれだけではなかった。このままだと彼女だけが囮になる。俺が原因であるのにも関わらず。

 そこが少し納得がいかず、何とかしたくなった。

 整備されていない石だらけの道を駆け抜けながら、考える。転んでも、前に転がってスピードを落とさないようお狐様に指導されていく。


「ほらほらあの娘についてかなかったあの蜂が追って来ている。距離はあるが、何とかせねば……!」


 走っている中で少しずつ自分に勢いがついていたのを感じていた。だから座敷童を呼んでおく。


「おおい! こっちに来てくれ!」

「えっ、そっち行っていいの? 大丈夫!」

「ああ! 作戦がある!」


 幼少期でありながらよく思い付いたものだ。彼女のおかげで何とか集まった蜂。仕留めることはできないが。集まって、この場で目くらましができるかもしれない。

 まずは俺達が消えてみよう。

 そう思い、目の前の崖がある場所へ走る。自分の背丈の二、三倍はありそうな崖。下には水場も見える。


「大丈夫なの!?」


 俺は頷く。


「やってみるしかないだろ!? やっぱり走るより落ちる速度の方が速い!」

「おお、面白そうだ!」


 お狐様も面白がって賛成してくれている。

 着地に失敗すれば大怪我だが。このまま何もしなくても蜂に刺されて大怪我だ。最悪、そのどちらもを受けるかもしれないが。逆に何も受けない可能性もある。

 だから三人、皆で勢いよく飛び立った。

 風が吹いて何だか途轍もない解放感。そして、そのまま水場に皆でどぶんと落ちていく。

 水面に触れた時の衝撃で圧倒されている俺。だけれども、座敷童もお狐様も平気そうな顔で見上げているだけ。

 蜂はどうやら水の中に入ってこれないことに加えて、俺達の姿を見失ったらしくそのまま分散していった。上でたむろされていたらどうしようとも考えていたが、その心配は無用だったらしい。

 水から上がって、彼女達の着物がとんでもない状況になっていることを知る。幾ら生意気な俺だとしても頭を下げずにはいられなかった。


「あっ……ごめんなさい」


 お狐様は太陽と二つ並ぶかのような明るさの笑顔で「何がだ?」と返答する。


「だって、凄い着物が泥で汚れちゃってるし、ずぶぬれだし……そもそも俺が蜂の巣なんか落とさなければ……」


 そんなくよくよする俺の近くで座敷童は笑っている。少々腹が立ちそうになるものの、俺は勝手に彼女を巻き込んでしまったのだ。文句も何も言えない。はずなのだが。


「じゃあ、わらわからも謝らなければならぬことがあるな」

「えっ?」


 まさか自身の方が神だからと謝罪の意など全く見せないと思っていた。そんな相手がこちらに頭を下げてきたのだ。驚かない訳がない。


「わらわも嘘をついた。妖術で別に丸焦げにすることもできなかった訳ではない」

「えっ……」

「じゃあ、何でかって言えば、簡単だ。小僧がどんなことができるのか、見たくなってな」

「謝んなければ良かったかなぁ!?」


 かといって、彼女の完全な自己満足だけでもなかったとすぐに知った。


「ああ、でも後はそうだな。もしここにいる蜂がいなくなったらどうなると思う?」

「そりゃあ、危険な奴等がいなくなって平和んなるだろう」

「それが違うんだなぁ。食物連鎖ってものがあってだな。狩るものがいなくなれば、生態系のバランスが崩れて、草を食べるものが多くなっていって……気付く間にこの林は樹も無くなってつるっつるのてっかてかになってしまう」


 当時の俺は理解できなかった。別に少し位いなくなっても問題ないのでは、と。

 だけれども今なら分かる。彼女が伝えようとしていた自然の尊さを。

 この日を境に俺はお狐様と交友関係を持つことになった。ただの里山レジャーだけではない。吊り橋でバンジーなどもやらされた。俺が幼稚園児だったことも関係なく。ある意味大人として扱われていることと座敷童が「お狐様ってこういう人だから! 受け入れて楽しくやってこ!」との応援があったからこそ、ここまでやれたのだと思う。

 この後、体力がつき、自身の物心もきっかりとしっかりとついた頃のことが蘇る。


「さて、お主に幻術でも教えてやろうかの?」

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