一章一節 望まぬ交わり 叶わぬ夢

1.悲願の夢(1) 出逢い

 妖怪。古くから各地に言い伝わる伝承が形を成した生き物。

 その生態は人知の力を超え、時には善人を助けたり、悪人を懲らしめたり。小説や漫画、ゲームとなっていつまでも語り継がれるものだと思っていた。

 あの時が来るまでは。


 目を開けば、もやの掛かった景色が辺りに広がっている。俺を呼ぶ声もする。


流々斗るると! 流々斗!』


 今にも溶けて消えてしまいそうな覚束ない意識を何としてでも動かそうと気合を入れた。

 その状態で考えると、すぐに理解できた。これが夢である、と。

 証拠もある。目の前に広がっている薄暗い畳の部屋が祖父母の家のものだ。今はもう潰されて跡形もない思い出の部屋。

 すぐそばにある暖かな日だまりの中で、心地よいそよ風を浴び、祖父母の畑仕事を見ていた。西瓜すいかを一心不乱に食べていた時もあるし、井草の変わった匂いを嗅いで静かに寝ていた時もあった。風鈴のちりんと鳴る音は今にもたまに蘇る。

 俺の両親や実家に関しては逆にあまり記憶にない。祖父母に関しては目の前で麦わら帽子を被ってせっせと草むしりをしていた時の表情や汗臭さまでもが鮮明に思い出されるのだけれども。両親が夢の中に出てきても顔の前に霧が出て分からない。

 仕方のないことなのかもしれない。両親共々、出張が多かったものだから、よく祖父母に預けられていた。幼年期に作った思い出のほとんどにこの家が映っている。

 そして何よりの記憶として、あの子がいる。

 夢の中で会える彼女。部屋の中なのにも関わらずわざわざ麦わら帽子を深々と被っていた真っ白な肌の可愛げな彼女。

 出会った頃の記憶がまず夢の中で想起されていく。

 とても最悪な初対面だったことは今でも後悔している。二、三回目に来た時だろうか。祖父母とも農業の仕事で忙しかったらしく、こう言ってきた。「客間におもちゃがあるから遊んでおいで」と。祖父母のおもちゃの中には黒電話や竹とんぼなど昔の俺からしても、珍しいものが多く気に入っていた。何故か「持ち帰るのはダメ」と言われていたため、家では遊べなかったのである。あの頃、あの部屋に入る瞬間までは思っていた。「少し位いいのにな、ケチ」と。三、四歳ながら生意気な餓鬼であったことも今は悔やんでいる。

 あの時は今と同じ光景を見て、息が詰まった。

 誰かがもう遊んでいたのだ。女の子が見慣れない花柄の着物姿で、部屋の中で竹とんぼの持ち手を回している。ハッと気付いた時には遅かった。竹とんぼのプロペラが俺の顔に直撃。


「痛っ!」


 驚きもあったのだろう。気付けば、畳の上に尻餅をついていた。

 そんな様子に笑い声が聞こえてくる。


「な、何!? その転び方、あはははははは! あはははは!」


 プツリと何かが切れた。たぶんはな垂れ小僧時代の俺のそれはそうめんよりも切れやすく、堪忍袋は水さえ漏らす欠陥品だったのであろう。


「こ、このやろー!」


 気付けば、彼女の方に飛び掛かっていた。彼女はさっと身をかわす。彼女は俺の突進を見て横から脇腹に肘を入れてきた。

 更に笑い者になる俺。夢の中でその光景を見て、恥ずかしいやら懐かしいやら。


「勢いよく掛かってきたと思ったけど、呆気ないね! って、えっ?」


 今度は彼女の着物を掴んだ。彼女の腹にパーで一発。押し倒すつもりだったのだが。彼女は後ろによろけていくだけで、倒れるどころか対抗心を燃やしていた。


「や、やったわね……! そうはいかないんだからっ!」


 と我に返った時には喧嘩が始まっていた。ぶたなきゃ、殴られる。お互い服を掴み合って睨み合ったり、手で頬を叩き合ったり。

 たぶん激しい音も出ていたと思う。途中で時々鬼のような形相になる祖母が入ってきた。あの時の顔は今の俺でも相当ビビってしまう。祖父に関してはよくあの顔の祖母に怒られていたと聞き、よく平気だなぁと尊敬した位だ。


「騒がしいよ! 何ドタバタやってんだい!」


 「ごめんなさい」の言葉がすぐに出てくるタイプではなかった俺は今まで掴んでいた女の子を指差していた。


「だって、こいつが……」

「こいつ?」


 祖母が繰り返すものだから、そいつの頬をへこませてやる位に指を突っ込んでやろうと思ったが。祖母が不思議そうに首を傾けるものだから、視線の先を追う。

 そこには女の子の姿はなかった。

 怒りがふつふつと湧いていた。


「に、げ、た、な、あ、い、つー!」


 これでは俺が一人ドタバタ暴れただけになってしまうではないか。一人で怒られる訳にはいかないと無責任な防衛本能が働き、事の詳細を語っていく。

 祖母はこちらに怒りの表情を向けたまま、聞いていた。本当に伝わってくれるか、ハラハラしたところはあった。しかし、最後まで聞くと思い当たりがあるように首を縦に振っていた。


「ああ……それはたぶん……わらしちゃんだね。よく見えたね」


 近所の子供か俺のまだ知らない親族だとの答えが返ってくるかと思っていたのだが。非現実的な存在に少し笑いそうになっていた。あの時の俺には一発拳骨を食らわしたくなる程、憎々しい笑顔をしていた。


「わらしって……座敷童のこと? んなの、いる訳ないじゃん。お婆ちゃん、何歳だよ」


 なんて言ったら、お婆ちゃんに拳骨を貰っていた。


「女性に歳を聞くんじゃない! 七十七だよ! 年は関係ないさ。アンタが知らないだけで世の中には不思議なものがたんといるんだよ。その証拠に彼女は足音もなく、消えたんだ」


 あの頃は痛くてほとんど話の内容など入ってこなかった。

 聞けたのは重要な部分だけ。


「とにかく、あの子はこの家に幸せを運んできてくれる神様なんだよ。殴っちゃダメ、というか、お友達にも女の子にも殴っちゃダメ。その手は優しい人を守るために使いなさい。その手は大事な人を温かく包み込むために使ってやりなさい」

「……はぁい」


 最初の遭遇から数日が経過する。夢の中は便利だ。ちょうどよく見たいところまでスキップできる。

 あの日に俺の日常を軽く狂わせたきっかけがあったと思う。

 彼女は昼間、俺が客間で遊んでいるところに突然現れた。髪型はツインテールになっていた。表情の方は前と違って、少し申し訳なさそう。


「あ、あのさ……ごめん。あの時さ、竹とんぼ顔に当てちゃったじゃん」


 その時の俺はだいぶ祖母に怒られて反省していた。彼女が何者であれ、まずは喧嘩をしようとしたことを謝らなければならないと思ったのだ。


「俺の方こそ、ごめん。あんなに怒っちゃって」

「いいよいいよ!」


 彼女は自分の罪など忘れて無邪気に笑っていた。明るくなる雰囲気に少しだけ、この子何かが違うとは幼いながらも気付いていたと思う。

 ただ、そこにまた変な言葉を入れてしまう俺。


「そういや、その髪の毛、可愛いね」

「村のお姉さんがやってたのを真似したんだ! どうどう、可愛いでしょ?」

「ザリガニの触角みたいだな!」

「……男の子なら泣いちゃダメだよ?」

「えっ?」


 彼女はそれはもう思い出しただけでゾクゾクするようなアッパーカットを決めてみせていた。

 痛みのせいもあってか、祖母に言われたことを思い出す。


「そ、そうだ……! 君は……本当に座敷童なの?」


 彼女は一発殴れたことでスッキリしたのか、明るい顔で応対してくれた。

 こちらとしては微妙な心持ちだったが。今考えると殴られても責められない事を言ったのだろう。彼女はよくぞ、この俺を殴ってくれたと褒めたたえてやりたい。


「そだよ! この家を任されてる座敷童だよ!」

「任されてるって、誰に?」

「えっ……? あっ、任されてるって言っちゃった!?」


 彼女は顎に指を当て、しばし固まった。


「何か言えない理由とかあるの?」

「まっ、いっか。教えちゃっても! うちについてきて!」


 ぎゅっと握られた俺の手から心の底まで温まるような気がした。夢の中でも感じる位、感触の記憶が鮮明に残っている。

 このちょっとした散歩が今の俺を形作っているとは、あの頃の俺は知りもしなかっただろう。

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