インド史 南アジアの歴史と文化

文献情報


・Author

 辛島 昇

・ISO Code

 ISBN-13 978-4041118504


感想


 元祖人種のるつぼはどんな「色」をしているだろうか。


 その答えは非常に気難しいものではあるが、匂いについては容易に答えることができる。香辛料の匂いだ。


 人種のるつぼというと、通常はアメリカ合衆国を思い浮かべるだろう。最近では、文化が混ざらないからサラダボウルだのと言われているようだが、それぞれが味を引き立て合うサラダ記念日を心待ちにするのとは別に、完全に人々の文化がまざったるつぼというのはどうなるかと想像を働かせてみる。サラダボウルを見ている限りでは少しイメージが難しいが、幸いなことに元祖「るつぼ」がアメリカ大陸よりも近場に存在した。インド亜大陸だ。


 インド亜大陸最大の国家、インド共和国の憲法には22の公用語(2024年5月時点)が定められているが、実用されている言語は一桁多いと言われているようだ。文化がどこに依って立つかというのはそれはそれで難しい問題なのだが、少なくとも数百の言語が「るつぼ」の中で混ざり合って存在しているのは間違いない。言語の違いでの諍いというのもあるようなので、混ざり合っているとは必ずしも言えないかもしれないが、少なくとも歴史上は様々な国家が興亡し、混ざり合っているようである。


 考えても見れば、インダス川の流域に文明が興ってから今に至るまで、インド亜大陸には人が住み続けている。そもそも、北にはヒマラヤ山脈、南にはインド洋が控え、大陸内部にも山々がそびえるとあればオーストラリア大陸よりは住みやすそうである。ユーラシア大陸の中程に巨大な「島」が突っ込んできてから幾星霜、人間に取っては都合の良いことに、ユーラシアの東と西の中継地にちょうどよいあたりであるから、人も集まろうというものだ。


 ところが、具体的にどのように人が集まっていったかということについて多くの日本人は(おそらく)無知である。中国よりは遠い地域であるし、アメリカよりも馴染みがない(香辛料を除く)地域といわれればそうでもあるのだが、中継地として文化や人口の流動に強く関わっていたにしてはイマイチ知られていない(気がする)のだ。経路の終端だけ気になってしまう人の性かもしれないが、私も人に何かを言えるほどの追跡者ではないため、これ以上掘り下げないでおこう。


 これもヒマラヤの高さのせいにしてしまえば楽なのだが、人工衛星に笑われてしまうかもしれないため、概略でも知っておいても良いかもしれない。そんなときに便利なのが、通史というやつである。この本はまさしく、インドの通史をざっくりと概観した本であり、奥付によると1996年に刊行された本を改題したもののようである。


 ただし、通史を扱った本にありがちな問題については、この本も等しく注意を向ける必要があるだろう。すなわち、古代国家列挙問題である。大抵の文化は小さなコミュニティーが統廃合しながら出来上がっていっている(ように私には見える)ため、その初期である古代はどうしても登場人物である国家と周辺の有名人が多くなってくる。いわんや、インドの言語多様性ならばなおさらで、白状するならばこの本の序盤については別冊で詳しくまとめてほしいと思い、辟易するほどに内容が詰め込まれている。


 そのため、最初の数章については断片的な記憶しか残っていない(特にインド文化にそれほど浸かっていない私にはなおさら)のだが、イスラム系の王朝が興る頃からは役者の数も落ち着いてくるので、そのあたりから読んでも良いかもしれない。元が1996年の本のため、多少の再解釈は起きたかもしれないが、大枠は外れることもないだろう。スルタンが治め初めてからしばらくして、ポルトガル人や「あの」イギリス人がやってきて大規模な交易の中にガンガン組み込まれていくわけだが、やはり少なくともあの頃の英国はアレである。インド側から見た歴史であるから判官びいきというのも無いではないだろうし、公明正大な私としては具体的にアレがナニかは言わないが、やはりアレだ。


 そんなことをやっているうちに産業革命の時期になり、非暴力不服従の人の生きた時代になるわけだが、俯瞰してみるとこうして常に文化の「摩擦」が起きてきた地域であることがよく解る。2000年代のインド事情もバンガロールなり局所的な都市化なりと面白そうではあるのだが、これもやはり「中継地」的なインドの描像にも見える。2000年代というともはや「現代」なので通史的にはもう50年ぐらい経ってからの収録になるのだろうが、大雑把な歴史だけでも知っておくと現代の話題もより面白くなる好例だろう。


 ところで、実は同じ著者がインドの概観を記述した本として「インド文化入門」(ISBN-13 9784480510259)がある。実はこちらの方が分野別にまとめられており、文体ももう少し口述的で読みやすいのだが、そのバックグラウンドとしてこちらを先に通読しておいたほうが面白いだろうということでこちらを紹介させてもらった。インド文化入門も面白い本なので、興味が湧いた方はぜひセットで読むことをおすすめする。


 それにしても、インド亜大陸というのは不思議な地域である。幾度も文化が混ざり合い、混ざりきれずに摩擦が起き、そうして一応の決着がついたと思えばまた混ざり始める。そうしていくうちに現代となってもその運動は続き、複雑に絡み合った文化を形成している。にも関わらず、北から南まで、西洋文明があれほど欲した香辛料の香りは、常に漂うのだ。


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