40人の神経科学者に脳のいちばん面白いところを聞いてみた

文献情報


・Author

 デイヴィッド・J・リンデン (著), 岩坂彰 (翻訳)

・ISO Code

 ISBN-13 978-4309254036


感想


 それで、あなたはどんな仕事をしているのですか?


 こう聞かれた際に、人間の返答パターンはおそらく二種類に分かれるだろう。すなわち、「正確さを重要視」するか、「解りやすさを重要視」するかである。例えばシステムエンジニアならば、使ったことのない言語で仕事を持ち込まれても困るだろうから、どんな言語でどんなコードを書いてということを「正確に」伝えようとするはずだ。一方で、セールスマンならば、扱っている商品、例えば掃除機を売っているということを説明するために、掃除機のモーターが毎秒何回転だとかどこの誰をターゲットに売り込んでいるだとか言うことは本質的でないから、「解りやすく」伝えるはずである。


 さて、この本の冒頭でも述べられているが、科学者は基本的に前者である。基本的に科学者は自分の研究に関してはプロフェッショナルでなくてはいけないため、情報のあやふやな伝達やあいまいさを極力排除しておかないと、巡り巡って自分に返ってくるからだろう。一方で、本当はもうちょっと「あやふや」に伝えたいというのもおそらく大多数にとっては事実だ。一般相対性理論について話すときに「多様体上でファイバー束のLevi-Civita接続を定めて、二点を比較すると測地線が『歪む』ことが解る」と説明するよりも、「直線を書いたゴム膜の上にボールを置いたら直線が歪む」と説明するほうが楽だし、直感的だ。しかし、このように説明してくれる科学者はおそらく先に述べた理由のために、あまり多くない。


 では、どうすれば科学者が多様体とファイバー束をゴム膜とインクとして説明してくれるだろうか。この本の著者(内容的に編者といったほうが良いかもしれないが)のリンデン氏は嘘か真かわからないが、酒で少し酔わせてから話を聞くことにしたらしい。実際に読んで見れば引用なども含まれている以上、この手法については真実がそれほど多く含まれているとは思えないが、何にせよ「解りやすく」説明されているということがここでは重要であるから、その点に対する追求は本質的ではない。その意味で、この本の読者は幸運だろう。少なくとも37本は論文を読まなければならないところを、たった一冊の本で重要な部分について知ることができるのだから(いくつかのエッセイは共著である)。


 各エッセイの著者によって語り口がそれぞれ異なる点も読み物としては面白いところだ。会報のコラム程度の感覚で多少平易にしたレポートの様に書く著者もいれば、田舎に旅行に出かけてバス停でバスを待つ間の暇つぶしに話す世間話の様に書く著者もいる。しかし、いずれの著者にしても自らの信念に基づいて誠実に筆を執っている点は共通だ。それが故に、『セクシャルな広告が有効なわけ』(31話)という一部の人間が反射的に(この理由についても関連するトピックが24話などに述べられている)拒絶反応を起こしそうなエッセイや、『コンピューターは脳になれない』(36話)というエッセイと『「心」を持つマシンは必ず作れる』(37話)というエッセイの相反する主張が同時に載っていたり、『視覚は超能力』(15話)という一見してファンタジックなタイトルのエッセイも掲載されている。


 また、結果として「良く解っていない」や「未来に託す」という話題で締めているエッセイもある数(some, every, ...)存在する。これはある意味当然で、もし神経科学のトピックスが完全に理解され、全ての問題の完全な答えを返す辞書が存在しているならば、全ての神経学者は辞書の使い方を大学生に教えるだけの司書業務だけをすればよいことになる(個人の感想としてはすべての学問にこの辞書が用意されていてほしいのだが、残念ながら一冊たりとも、見つかったという話は聞いていない)。しかし、そうなっていないのだから、解らないことは解らないのだ。少なくとも、よく理解されていないカビを健康に良いと言って売りつけるよりは、遥かに誠実である。


 率直に言えば、どの話も面白く各話ごとに感想を書いてみたいという心持ちもないではない。個人的には、回路レベルでは私達が何を見て何を見ていないのかを語った『脳は変化に目を向ける』(11話)および『眼は見るべきものを見る』(14話)や、容姿の美醜を環境適応の面から見てみる『美人はなぜ美しいのか』(32話)などは話のタネにぜひ触れておきたい。が、感想文中の感想文という呪われたマトリョーシカを作る気はないので、リンデン氏が書いたエピローグにだけ焦点を当てることにしよう。


 リンデン氏はこの37編のエッセイから共通して読み取れる「現代の」主張を纏めている。その内容に触れるようなことはしないが、どの主張もサイエンスライターが書いた文書のアーカイブを眺めていれば出てきそうな「キャッチー」かつ「解りやすい」内容だ。しかし、逆に言えば、そのキャッチーで解りやすいフレーズが私達に届けられるまでに、神経学者たちがこんなにも多様な事を考え、探索してきたということをもこの本は示している。


 さらにおもしろいことは、エピローグの最初に書かれている。すなわち、

『彼らの回答には、それぞれの執筆者の魅力的な性癖が表れていた。もし他の35組に尋ねていたら、この本がまるで違う本になっていただろうことは想像に難くない。』

 ということである。これは、この本に書かれたことが筆者の主張に過ぎないし、神経科学のすべてのトピックスを網羅しているわけでもないということだ。


 このエピローグにはさらに、リンデン氏の経験を例として(神経)科学が如何に「間違った結論」を導き出し続け、それを修正し続けてきたかが語られている。そして、そのプロセスが少なくともしばらくは終わらないであろうこともだ。


 故に、この本を読むにあたって、「心を科学的に解剖するなんて野蛮なこと」であるとか、「神経のプロセスを知ることで人間を理解できる」といったような「悲観的」な心構えは必要ない。仮に、この本に限らない現代神経科学の全ての知識を総動員してフランケンシュタインの怪物を現代に作り直したとしても、生まれてくるのは「物が見えているかも不明な、コーヒーカップすら満足に持ち上げられず、意識があるかすら定かではないタンパク質の塊」だ。そのために、この本を読んで人間について理解の深まる度合いは、最大限であってもスイカがウリの仲間であるという知識程度と見積もられるだろう。少なくとも暫くの間は、愛を表現するための最高のツールが恋文から変わることはなさそうである。

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