夜の神話

文献情報


・Author

 たつみや 章

・ISO Code

 ISBN-13 978-4062756518


感想


 自然とは本当に恐ろしい。


 最初にはっきり言っておくと、私は原子力発電については消極的肯定派だ。原子力を夢の力だと時代遅れなことを言うつもりはないし、すべての電気を核分裂で賄ってしまえなどと極端なことを言うつもりはない。たかだが100 eVに比べて200 MeVが本当に大きいことを知っているからだ。しかし、原子力発電をやめてしまえと言うつもりもない。科学を盲信するからでも、人の命を軽視するからでもない。発電量の問題を脇においても、200 MeVに比べると小さすぎる100 eVの近くに私達が住んでいるからだ。自然を制御できると思うのは愚かしいことだろうが、自然から目を背けることはその何倍も愚かしいと私は信じたい。


 さて、つまらない前置きからも分かる通り、この本のテーマには原子力発電が関わっている。この本は児童書として書かれているが、それだけにテーマに対しては作者なりの真摯さが伺える作りだ。


 物語は、主人公のマサミチが田舎に預けられるところから始まる。マサミチは都会っ子らしく、自然の騒々しさを厭う、少しヒネたような「マセた子供」だ。しかし、ある出来事をきっかけに自然との会話ができるようになり……と言うのが前半の内容。このあたりには天津神や家玉、月の兎などが関わってきて、なんともアジアンローファンタジーだ。しかし、同時に現実世界の方で事件が発生する。このマサミチ少年の父親は原子力発電施設に勤務しているのだが、その部下が被爆してしまうのだ。自然に心を寄せ始めていた少年は、その人が扱うには強すぎる力を目の前に、神秘の存在に助けを求めるが……という形で話が展開する。


 その後、児童文学らしく寓話的展開になったり、神秘的存在の人間に対するスタンスがそれぞれに描かれたり、現実世界でもさらに事件が起こったりと物語は進んでいく。話のキモはこのあたりなのだが、物語にあまりネタバレをするのも気が引けるので詳しくは語らない。障りがないと思われる範囲でネタバレをしておくと、人の手が届かない領域で今まさに起きることには、人は祈り以外の術を持たないということだ。


 さて、話の結末は、どちらかといえば原発否定的な決着を迎える。ただし、そのために描かれた解決策は新たな問題を含むようなものであり、そのことはたつみや氏も文中でわずかに示唆している。また、氏も「なくすべき」論ではなくあくまで否定的という立場でこの問題を扱っている通り、原子力発電に関する議論は非常に難しい問題だ。私がこの本を最初に読んだのは、もう二十年は前のことだろうか。当時のSFとコンテクストを同様にし、科学の「難しさ」を児童向けに落とし込んだこの本には考えさせられた記憶がある。「この随筆は全く評論ではない」と言った通り、これ以上内容を掘り下げることや、是非について語るつもりはない。とはいえ、仮にこの随筆を評論として書いていたとしてもこれ以上の、つまり難しい問題であるということ以上のことを私には書けそうにない。


 ところで、たつみや氏は似たような物語の構造を持った「神さま三部作」を書いている。この本を含めて三つ刊行されたこの作品群、「ぼくの稲荷山戦記」、「夜の神話」、「水の伝説」はいずれも、自然中の神秘的存在と少年の交流を通じて、現実に存在する環境問題を扱った作品だ。ここで面白いのは、環境問題を起こす側が「敵」なのではなく、主人公の身近な人物に置かれていることだ。そして、対峙する相手は「自然」であり、自然にしても害意を持って暴れまわる敵としては描かれていない。環境問題に限らず、なにかの問題を解決しようとするとき、最もシンプルな構図は「敵を倒して平和になる」ことだ。しかし、それで実際に解決できるのは本当に一部の単純な問題だし、おそらくその単純な問題ですら解決し切ることはできない。このあたりの話は2010年代のエンタメ文化から顕著になってきている気がするが、子供だましではいられない児童文学だからこそ、こういった「泥臭い」話ができたのかもしれないとも思う。


 あまり小難しい話をしてもエンタメ的エッセイを目指す本随筆の趣旨から離れる気がするので、河岸を変えた話をすることにしよう。この本の作者であるたつみや氏は児童文学を主に執筆する作家ではあるが、実はペンネームをもう一つ持っている。その名前は「秋月こお」というのだが、知っている人は知っているだろう。BL作家のあの秋月こおである。ジャンル的に気兼ねなく推薦できる話というわけでもないのだが、まあ、ガッツリいくタイプのBL、つまりはそういうことである。ちなみに確認してみたところ、2024年5月現在、某ネット小売においてある総集編の電子書籍は、試し読みでガッツリいっている部分まで読めるようだ。


 それが所以かは定かではないのだが、この神さま三部作にもそれとない描写、ブロマンスにもならないような淡い描写は散見される(稲荷山戦記を除く。どちらの意味かはここでは触れない)。ただし、秋月こお作品も同様、さりげない心情描写や周囲の環境に仮託した関係性の展開などの筆致は光っている。この「夜の神話」でも物語の主役級である、とある天津神などは、界隈の言葉で言えば「ツンデレの俺様クール系王子様」風のデザインだ。本当に「そういう」描写があるわけではないし、話の主題はまったく「そういう」ところではないのだが、作者の「癖」も垣間見える。そういう意味では、まあ、「そういう」楽しみ方もできる作品だ。ただし、あくまで脇道であることはお忘れなきよう。


 桃色の脳みそに水をかけて少し灰色に戻してやろう。この本が扱っているテーマは本当に難しい。実際、刊行されてから30年が経った今でも議論が耐えない問題だ。この本のことを思い出したのも、つい先日玄海町の文献調査に関するニュースに関連して議論が活発になったのを見たからだ。この類の話題を見て常にこの本を思い出す訳では無いが、私の自然に対するスタンスに影響を与えた本であることは間違いない。現実を良いとも悪いとも言わず、ただそういう物があるとしてから作者なりの主張を著す姿勢は、宇宙空間でレーザー銃を打ち合うよりもよっぽどSF的だ。そういう意味では、ファンタジーでもあり、SFでもあると言えるかもしれない。


 最後に、夜の神話から一部を引用して終わろう。主人公の少年が災害が起きつつある状況を前に、下界の人々と同様の一触即発にある神々の顔を蹴っ飛ばして言ったセリフだ。本当に理想論で、実現は呆れるほど難しいが、理想と名前がつくのにはだからこそ相応しいだろう。

『けんかしたけりゃどっかよそでやってよ!じゃまっけだよ!(中略)けんかなんかしてるひまはないはずだろっ!』

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