第四話(前編)

『ピンポーン』


 睡眠中の頭をたたき起こす高音。

 圭亮はその音に焦燥感しょうそうかんを植え付けられていたように、ばっと起き上がった。


「誰だよ」


 枕元の時計をつかんで見れば、朝六時。社務しゃむ所の受付は九時からだというのに。


『ピンポーンピンポーン』


それでも、音は鳴り止まない。扉を叩く音もする。

圭亮は目を半分開けただけで、インターホンまで向かった。


「はい」

「子供が大変なの‼見て頂戴ちょうだい‼」

「……」


一瞬ここは病院なのでは、と思う。

だが、圭亮は医師でも看護師でもなんでもない。ただの神職。


「えーと。どうされました?」

「狐に取り憑かれたのよ‼」


甲高い声がスピーカーから聞こえてくる。

かなり動転どうてんした母親のようだ。


 背後に気配を感じる。

小柄な狐が目をこすりながらそこに立っているのだろう。


「……社務所は九時からです。それまでお待ちください」

「そんな!狐が憑いているとわかっていて放っておくというの⁈あなたそれでも神主なの⁈」

「狐が憑いているのなら、数時間で死ぬことはありません。今すぐ対応が必要なら、神社ではなく、救急の病院に……」

「ここなら取り憑いた狐をはがしてくれると聞いて来たのよ!」

「……」


背後からの視線が痛い。

圭亮はスピーカーの向こうにわからないように息を吐いた。


「……わかりました。対応しましょう。ですが、円滑えんかつなお祓いのため、きちんと挨拶なさってください。手を洗ってから拝殿にお参りください。それから、一度お子さんを見せていただきます」

「…………わかったわ」


向こうの話し声が遠ざかるのを確認してから、圭亮は受話器を置いた。

そして、背伸びする。


「仕事だ」

「のようだな」

「準備するぞ」


圭亮は社務所の受付の部屋に向かった。



 * * *



 圭亮の目の前には、十歳頃の少年が母親に抱かれるようにして座っていた。

不安げに圭亮を上目遣いで見ている。


 圭亮はあくびをかみ殺しながら、そわそわと落ち着かない母親に声をかけた。


「まずお名前と年齢を教えてください」

阿部あべ博喜ひろき。十歳です」

「ふむ」


圭亮はちらり、と博喜を見て、手元の紙に名前と年齢を記入した。


「それで、いつからですか?」

「三日前ぐらいから。突然、右の方をじっとみてるんです」

「右を……」


『右をずっと見ている』


「何かあるの?と尋ねても、答えるどころか、私の方も向いてくれなくて。でも、何もないんです」

「何もない空を見つめているんですか?」

「ええ」


虚空こくうを見つめる。応答がない』


「でも本人には何かが見えているようで、それを追うようにして首も右に」


『右を見ていて、首も右に動いていく』


圭亮は大きく空いたらんにそれを記入した。

そして、なるほど、と呟き、母親に向き直った。


「それで、狐に取り憑かれていると」

「ええ」

「何か、本人が喋っているのは聞きましたか?」

「私の前ではありません。でも、何も食べていないのに、口が動くことはあります」

「口が動く……」


昔かすかに聞いた記憶を掘り返すように圭亮はそう呟き、メモ程度に紙に残す。


「わかりました。では、一度見てみます。お母様は外に」

「私もこの子の傍にいてやらないと‼」


ぎゅっと博喜の肩を寄せた母親の顔は必死。

当の本人は戸惑いながらも、表情は変えず、母親を見上げた。


 それをみて、圭亮はどうしたものかと眉を寄せた。


「ですが、狐に取り憑かれているのなら、部外者がいると余計に顔を出してくれません。狐をはらう場合は、向こうに現れてもらわねばなかなか祓えぬものなのですよ。仮にも、神の使者なのですから」

「…っ」

「お母さんがいらっしゃっては私も何もできません」

「…」


母親は一瞬博喜を見て、それから、圭亮の顔を見る。


「…博喜君」


眠そうな目の博喜に少し近づいて圭亮は微笑んだ。


「少しお母さんが外に出ても、大丈夫だよな?」

「…うん」

「博喜」

「大丈夫だぞー。お兄ちゃんが一緒にいるからな」

「うん」

「では」


母に目配せをすると、観念したように立ち上がった。


境内けいだいにベンチがありますので、そこにでも座って待っていてください。場合によっては少し時間がかかってしまうかもしれません」

「わかりました」


念のため、祓うときのことを考えて、そう言っておく。

母親は頷いて、玄関から出て行った。

がらがらと玄関のドアが閉められる音を確認してから圭亮は、もう一度博喜に向き直った。


「さてと」


目の前の博喜は眠そうにはしているが、目は開いていた。

母親がいなくなって少し目が覚めたのか。


「ジュース飲むか?」

「……」


反応なし。

ふむ、と少し考えてから、圭亮は隣の部屋に行き、冷蔵庫からジュースを持ってくる。


「悪いな、これしかないんだ」


オレンジジュースをコップに注ぎ、博喜の前におく。博喜は少しそれを見たあと、恐る恐る口をつける。


「博喜君。お母さんからいろいろ話を聞いたけど、博喜君はどう思ってるのかな?」

「……」


ジュースを一口飲んで、机に置いた博喜は上目うわめづかいに圭亮を見上げた。


「僕にもわからない」

「きつね、とか、そういうわけのわからないものが、自分の中にいると思う?」

「……わからない」

「そっか」


圭亮はそう言って、手元の資料にチェックをつけた。


「最近変なところに行ったりした?遠足とか」

「遠足は今度、ある」

「そっか」


またチェック。


「ずーと同じ方を見てるって言ってたけど、博喜君はそのときのこと、覚えてるのかな?」


静かに首を振る。


「うーん。じゃぁ変なものが見えたりする?」


また首を振る。

圭亮はチェックをつけて、書類を下に置いた。


「うん。ありがとうな。じゃぁ、ちょっとお兄さん、博喜君の中に狐さんがいるかどうか、調べてみるからね」

「うん」


圭亮は冷蔵庫とは違う、別の部屋に行き、また戻ってくる。

手に、一本の蝋燭ろうそくと、御幣ごへいを持ってきた。


「よし」


ジュースの手前に蝋燭を置き、御幣を持って博喜の前に立つ。


「ちょっとお祓いするな」


じーっと見てる博喜の目を少し気にしながら、ふぅと息を落ち着かせる。

そしてそれを左右に振って、念のため、祓っておく。

祓ったあと、蝋燭に火をつけ、部屋を暗くした。


「蝋燭をじっと見ててな」


蝋燭の火がちらちらと揺れているのを指さす。

朝早いのと暗がり、そして蝋燭のゆっくりとした動き。

だんだん博喜のまぶたが落ちてくるのが見えた。


「……」


圭亮は待った。

こてんっと博喜の頭が落ちようとしてるとき、背後から声がした。


「……おい、圭亮。こいつの中には何もいないぞ」

「だろうなぁ」


圭亮はそう言って笑った。


ふっと蝋燭の火を消して、部屋の電気をつける。

我に返ったように博喜が頭を上げた。


「……」

「博喜君。ちょーっと待ってろよな」


微笑んでそう言い、書類を持って圭亮は部屋を出た。



 * * *



「祓えたのですか」


三十分とかからず、母親を再び招きいれることになり、圭亮は内心安心していた。

時計を見る。七時前。


「一応こちらから、博喜君の中にいるかもしれないものに声をかけてみました」

「それで」

「率直に言うと、私には対処しにくいものでした」

「……」


母親は頭を何かで殴られたかのように表情が抜けた。

次の瞬間、その瞳は取り憑かれたかのようにつり上がるのを圭亮は確認した。


「ですので」


一呼吸置いてから、圭亮はそう続け、母親に一通の封筒を差し出した。


「私よりもそのようなものに長けているところにお手紙を書きました」


無言で緑色の封筒を受け取り、母親はひっくり返す。

裏には、この神社の印が押してある。

圭亮は続けて、B5の紙を差し出した。


「行き先はこの紙に書いてあります。ここから電車で一駅。駅から歩いて十分かかりません。受付にこの封筒を渡せば、すぐに会わせてくれるでしょう」

「ここは、病院じゃないですか!」


受け取った地図を見て、母親はついにえた。

目的地の矢印の先、『馬場神経・心療しんりょうクリニック』を指さしていた。


「私は医者にお願いしているわけじゃないんですよ‼」

「それがですね、そこの先生は狐憑きにも対応してくださるんですよ。しかも、その技は超一流。私でも対応できないものは、ここにお願いし‼」

「ちなみに、この先生にお願いした方はどの方もお礼参りにきてくださっています」

「………」


母親はそれでも引き下がらない。

圭亮は引きつりそうになりながらも笑顔を保った。


「まぁ一度行ってみてください。損はしませんよ」

「……わかりました」


話は終わった。

圭亮は立ち上がって、玄関まで案内した。


「お気をつけて」


ばいばい、と博喜に手を振り、二人が参道を降りていくのを確認してから、扉を閉めた。


「……寝直すか」


七時過ぎ。

本来なら、境内の掃除をするために起きている時間だ。

しかし、体は全身で眠気をアピールしていた。

圭亮は大きくのびをして、寝室へと向かった。

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