第三話 (後編)


「我が名は圭亮けいすけ。我が主、ケンヨー。なんじの名をたまわりたく」


 圭亮は目を開けた。

すぐ横にはケンヨーがいるのが気配でわかった。


 そしてもう一つ。

寝ている小林こばやしの上に座る狐。

 立派な狐だ。

長い尻尾は銀色でふわふわと毛並みがいい。

目鼻立ちはすっきりしていて、凛々りりしく背を伸ばして、圭亮を見据えていた。


「我が名、タイゾウ。このように話ができて嬉しく思う」


声を聞く限り、ケンヨーよりも大分年は上のようだ。

低く太い声で威厳いげんがある。

ケンヨーが圭亮よりも前に出て、背筋をのばした。


「我が名、ケンヨー。此処の主、ケンクウの子息だ」

嗚呼ああれで。此処ここは一匹で来ようとすると、圧が強いわけだ」

「此処はこいつ、圭亮が全ての役割を担っている。話はこいつがつける」


圭亮は膝行しっこうで前へ出て一礼した。


「小林彰良あきらに代わって話をさせていただきます」

「嗚呼。構わぬ」

「タイゾウ様。貴方の望みは何でしょう」

「我の望みはただ一つ。この世を楽しみたい」


ふっとタイゾウの瞳が宙へ浮く。

まるでこの現世を愛でるような暖かな眼差し。


「この世界は誠に愉快ゆかいだ。面白い」


しかし、その眼差しは一瞬にして曇る。


「だがな。そろそろ飽きてきたのじゃ。我は故郷に戻りたい」

「それで、彰良さんから離れようとしていたのですね」

「だが、長年とりついていた故、 くさびは深くての。抵抗したら、病院行きになってしまった」

「ちなみにご出身は」

山城やましろだ」

「………は」


圭亮は口をぽかんと開けた。

ケンヨーも振っていた尻尾の動きが止まる。


「山城だ」

「山城、というと、まさか、貴方は」

「本家の方でしょうか」


ケンヨーが口早にたずねた。

そうすると、タイゾウはほほほと陽気に笑った。


「我は本家の者ではないよ。ただ、そうじゃな、確かに近しい場所におる」

「では、伏見ふしみに行かれては?」

「とは思ったが、近しい場所にいるとはいっても、顔見知りというわけでもなくてな。しかも、あそこには大神様がよくいらっしゃる場所であるし。我のような下位のものが簡単に行ける場所でもない」

「そうですか……」


ケンヨーがほぅと息を置いた。


「なるほど。では伏見にお願いするのは無理そうですね」


どうしますか?と圭亮は目配せでタイゾウの様子を伺う。

タイゾウは、うむ、と一言唸ってから、口を開いた。


「我は故郷でゆっくりしたいのだ。彰良殿も大変になってきた。自由にしてやりたいのじゃ」

「そう簡単ではありませんよ。あなたの様な方は神と同等に扱われます。それを知ってらっしゃるはずでしょうに」

「わかっておったが」


タイゾウはそう言って、目を伏せた。

どうやら、眠っている小林を見ているようだ。

圭亮は畳みかけるように言った。


「外れる手っ取り早い方法は別の物に乗り移るかまつられるか、ですよ」

「わかっておる」

「ここは満杯だ。知っての通りな」


ケンヨーがそう言った。

それに対してもタイゾウは笑みを絶やさずに答えた。


「そのようだ」

「では、小林にそのように伝えておきます。その先、彼がどのような選択をするかはまた別ですが、おそらくあなたの望みを叶えるでしょう。もし、彼が神職しんしょくの資格をとれれば、あなたと話もできるようになるでしょうが」

「その通りだな。だが、こやつはそのような知識にめっぽう弱い」

「わかっております。ですが、仕方ないでしょう。貴方がとりついてしまったのですから」


圭亮がそう言うと、ほほほ、と面白そうにタイゾウが笑った。


「ま、我は故郷に戻れば其れでよい。この、彰良という人間が必要なわけではない……とてもよい人間だった。面倒になれば、どこか小さなほこらにでも奉ってくださればよいよ」

「彰良さんと話してみます」

「よろしく頼むぞ、若造わかぞう


 これからのことを考えると、圭亮も少し頭痛がするような気もしたが、そうも言ってられない。

 「わかりました」とタイゾウに圭亮が返事をすると、タイゾウはまた小林の中に戻っていく。

 圭亮は姿勢しせいを崩し、立ちあがった。



 * * * 



 夢を見ていた気がする。何度か見たことのある夢だ。

 背の高い狐が座っている。何事か喋っていたが、聞こえない。

笑ったようだが、何で笑っているのかわからない。


 その姿がもやになるように消えるのと並行して、徐々に自分の意識が浮上していく。


「起きましたか」


 目を開けると、見慣れない天井がそこにはあった。

そして覗き込む、二十代の若者。


 少し考えて、小林は、彼が神主をしている神社に来ていたことを思い出した。


「っ……!」

「おはようございます、小林さん」


 微笑む神主。

飛び起きた小林は周りを見渡した。


 寝かされた部屋はそのままのようだ。

しかし、薄暗かった部屋は今は明るく、蛍光灯がまぶしい。


「さて、お話ししなければならないことがたくさんありますが、よろしいですか?」


 布団の横に神主が座り直して小林に向き直った。

 小林はその姿に自分の姿勢を直し、布団の上に正座した。


「ああ。別に足は崩してもらって構いませんから」


 笑顔でそう前振りをした後、神主はいつの間にやら持っていたA4の封筒を横に置く。


「あなたの中のものとお話させていただきました。彼は狐です、名前をタイゾウ様と申されます」

「タイゾウ……」


 初めて聞く名前のはずなのに、妙にしっくりくる。

夢で見た狐がそうだろうか。


「今回のあなたの発作は、タイゾウ様があなたから離れようとしていた結果なのです」

「私から、離れようと?」

「ええ」


小林は首をひねった。

いまいちよくわからない。


「そもそも。何故私にそんなものが?それに、最初はいていたのに、何故今になって離れようと?」

「そのこともお話しします。が、その前に一つ」

「はい」

「ご出身はどちらですか?」


出身?

小林はさらにわけがわからなかった。

この人は何を言おうとしているのだろうか。


「あの、出身が何か関係が?」

「理由は後で」


ぴしゃり、と神主が言い放つ。

渋々しぶしぶ、小林は口を開いた。


「出身はないですね。昔から転勤族てんきんぞくでしたので。一番長いこといるのは、東京ですかね。大学から今まで」

「なるほど。それでは、関西にいたことも?」

「え、ええ。中学生の時は関西で過ごしましたね。京都の中学校に通いました」

「そこか………」


神主はそう言って唸った。


「今回あなたの中にいるタイゾウ様は、山城、つまり今の京都周辺の出身なのですよ。おそらく、あなたが中学生のときに取り憑いたのですね」

「それでは、狐は私が中学生の頃から……?」

「ええ」


 小林は言葉が出なかった。

その存在を認識したのは、ついこの間だというのに。


 絶句する小林を置いて、神主は言葉を続けた。


「狐との相性がいい人であったり、元々その狐と所縁しょえんのある人に狐はとりつきます。たまたま狐の領域りょういきに入ることで、狐が取り憑く場合というのもあります。小林さんの場合後者でしょう」

「…はぁ」

「狐が取り憑いたところで、その人にどのような影響を起こすかは、その狐により様々です。今、小林さんの中にいるタイゾウ様は大変好奇心のある方のようでしてね。今まであなたの中でこの人間界をたのしんでいたのです」

「…………はぁ」


ふむ、よくわからない。

理性はそう呟くが、心の奥底では納得している自分がいて、気持ちが悪い。

 それには気付いているのか、気付いていないのか。

神主は説明を続けた。


「この頃、故郷に帰りたくなり、あなたに取り憑くのをやめようとしたんですよ。しかしながら、あなたとタイゾウ様には楔ができています。その楔を無理矢理に外そうとすれば、あなたの心もひっぱられる。そのときにこのような発作が起きたんでしょう」

「は、はぁ……」


小林は今言われたことを頭の中で反芻はんすうする。

中学生の時に取り憑いた。

タイゾウという名の狐。


――我が名はタイゾウ。しばし、お主の体を借りるぞ。


あの頃、見た狐の夢。

河原で空を見上げ、寝てしまったときの夢。

ふっと思い出したそれは、今になるとただの夢ではない。

心の中にすとんと落ちるような気がする。


「……そのタイゾウ、という狐と話はできないのですか」


話をしてみたい、という気持ち。

何か解決策があるのでは、という願い。

小林は咳き込むように尋ねた。


 すると、神主は足下に置いていた封筒を手に取った。


「あなたがタイゾウ様と話をするのであれば、『訓練』が必要です。これが資料です」


神主が差し出してきた黄色の封筒。

その下の方に名前が書いてある。


「……通信教育?」

「ええ」

「しかも……神職」

「そうです」

「……」


小林はその封筒と目の前の若者を見比べた。

まさか、という思いが伝わったのか、若者はにやりと笑みを浮かべた。


「俺は通信教育じゃないですよ。ですが、先々代はこの通信教育でしたね。なかなか良いそうですよ」

「そ、そうですか……」


小林はそれをじっと見つめた。

神職、ということは、この若者と同じ職業ということか。


「あとは、通信教育ですと、今の職業を続けながらでも勉強できて、資格も取れます」

「……ですが、本当にこれで?タイゾウに会えるんですか?」


だとすれば、近所の神主でもタイゾウとしゃべったりできるのではなかろうか。

そして、そのまま奉ってくれればいい。

そう、彼にだって。


「この通信教育で、神道の基礎が学べます。貴方にはそれが足りなさすぎる。まずそれを補います」

「あ、ああ」


そういえば、この神社に来たときも、手水舎や拝殿での作法は知らなかった。


「そして、神職としての言葉、これが神に通じます。挨拶などに必要な言語を学びます。それと同時に精神的な安寧と心と向き合う時間が増えるでしょう。そうすればタイゾウ様と話す機会が訪れるかもしれません」

「は、はぁ」

「そして、重要なことがもう一つ」

「はい」


神主はまっすぐ小林の目を見た。


「今回の小林さんに憑いているような狐は、神の眷属けんぞくに値する場合も多く、本来奉られるべきものです。なので、故郷に近い場所で奉ることで、タイゾウ様と小林さんは離れやすくなるでしょう。ただ奉ることができるのは、取り憑かれたものが行うのが一番良いのです。だから、私はこう考えています」


神主は、ちらりと目を横に動かして、何かを確認するような仕草をした。

しかし、それは一瞬で、すぐに小林に目を戻す。


「小林さんがタイゾウ様の故郷まで行き、神社の一角いかっくに稲荷の祠を置いて、そこにタイゾウ様をお奉りすれば、あとはその神社の神主さんが面倒をみてくれるでしょう」


神主は小林に渡した封筒をひっくり返した。

そこにはここの神社の名前と連絡先が書いてあった。


「どこの神社にお願いするか、今後どうするのか、お決めになった際には力になります。もし適当な神社が見つかれば、私から担当の神主に手紙を書くこともできます」


そう言って、神主は微笑んだ。


小林は説明されたことを飲み込むように、つばを飲み込み、ゆっくりと頷いた。


「ちなみに、発作はどうなりますか?」

「ああ。タイゾウ様も自分の意志が伝わったとわかり、しばらくはおとなしくしていることでしょう。元々、あなたを困らせたりいじめたりしたい目的で暴れていたわけではありませんから」

「そうですか」

「よく考えてみてください」


小林は手にした封筒をぎゅっと握って、立ち上がった。


 最初の鳥居まで若い神主は見送ってくれた。

帰りの駅に向かいながら、胸元にそっと手を当てて、うん、とうなずいた。


「待ってろ、タイゾウ。勉強して、故郷に戻ろう」


心のどこかが、うねり、と動いて落ち着いた様な気がした。

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