第三話 (前編)

 電車に乗り込んだ僕は、大きな荷物を足下においてふぅと一息ついた。


 実家までの長い道のり。

 この片道三十分のワンマン列車が最後の電車だ。

 今は都会の大学に進学し、年に数回しか故郷には帰らない。そのせいか、この一両列車にはどこかしら実家のような暖かみを感じる。

「おかえり」とでも言っているような気がするのだ。そんな布団のような暖かみに心を横たえるように椅子に座る。

 

鴉ヶ岡からすがおか~、鴉ヶ岡~』


 車掌のアナウンスで開くドア。

 ホームから車内に入ってきた男になんとなく目がいった。その人は、ドアに寄りかかるとしきりに頭を振っている。

 ドアが閉まる。

 電車が発車する。


「大丈夫だ……暴れるな……」


 声が聞こえて、顔を何気なしに左右に振る。

 どうやら先ほどの男の人の声のようだ。


「おとなしくしていてくれ……」


 僕が外を見るふりをしてその人を盗み見れば、また頭を振るところだった。

 世の中にはいろいろな人がいるものだ。それが本人の性格であったり、本人の努力などとは関係なく、病気のせいだったりする。

 大学に進学し、必要だと感じた能力の一つは、自分と違うからといって他人を拒絶するのではなく他人を他人として認識し割り切る能力だった。

 自分も、周りからすれば、他人として認識されていて、それによって受け入れられているのだから。


『次は~狐土山こづちやま~狐土山~』


 そういえば、次の駅にある村は狐憑きが多いと聞く。

 近くにある稲荷神社は長い歴史のある神社らしいと祖母から聞いたことを思い出した。


「ここ、か…」


 小さく男が呟くのが聞こえた。

 扉が自動的に開く。男はぶつぶつと何かを唱えながら、電車を降りていった。

 僕はその後ろ姿をしばらく見つめたあと、やがて目を閉じた。


 世の中にはいろいろな人がいるのだ。

 否定してはいけない。



 * * *



「おい、いなきち。だれか来たぞ」


 ケンヨーに言われた圭亮けいすけが拝殿の前に出ると、確かに男がいた。

 うつろな瞳で、本殿へ向かう参道を歩く男。年は三十歳前後と言ったところだろうか。

 おぼつかない足取りで、でも倒れることなく足を運んできた男は、最後の鳥居の手前で足を止めた。顔を上げた男の瞳が圭亮をとらえ、その奥に光が戻る。


「あれ……俺は……」

「こんにちは」


 何事も笑顔。

 からそう教えられたことを思い出して、圭亮は笑みを作った。


「こ、こんにちは……」


 戸惑いながら返事をした男は周りを見て状況、自分が今神社にいる、ということを把握したようだった。


「あの、その……」

「お参りでたら、ぜひそちらで手を洗って、境内にお入りください」


 圭亮が示した手水舎に男は気づいたようで「はい」と、足をそちらに向ける。

 手水舎に近寄った男はじっとそれを見つめて、意を決したように柄杓に手を伸ばす。

 なんとなくおぼつかない。まずいと感じた圭亮はすぐに男の背後に移動した。


「ストップ」


 これは、だめなパターンだ。


「まず、手水舎の前で一礼してください」

「え……」

「手水舎での正しい作法です。ほら」


 圭亮がせかすと、男は恐る恐る手水舎に一礼する。


「右手で柄杓を持って、左手をすすいでください」

「はい……」

「で、右も濯ぐ」

「……」

「次に、左手で水を受けて、口を濯ぎます」

「……こうですか?」


 小さく作った左手に少量の水を受けて、男が不安そうにそう尋ねる。

 そうです、と圭亮が答え、男は指示に従って口に水を含み、捨てた。


「もう一度、右を濯いで、その後、柄杓の柄を清めます」

「こう……?」


 柄杓の水受けを上にして、零れる水が柄を伝う。

 圭亮は笑顔で頷いた。


「そうです。それで大丈夫です。みそぎは終わりです」

「ありがとうございます……」


 ポケットから取り出したタオルで手を拭きながら、本殿の方に戻る圭亮の後ろに男が付いてくる。


「あの!」


 圭亮が社務所に戻ろうと、向きを変えたとき、男が焦ったように声をかけてきた。


「何か」


 振り返って見れば、男は胸元をごそごそと探っていた。

 出てきたのは青い封筒。

 それを圭亮に差し出す。


「これを……」

「ああそういうことですか」


 圭亮はにやっとわずかに笑って、それを受け取った。


「では、社務所でお待ちしています。拝殿で参拝してから、社務所に声をかけてください」

「は、はい……」

「あ」


 一度背を向けたのにひとつ引っかかって、圭亮は再度男をみた。


「二拝二拍手一拝でお願いしますね」

「……はい?」


 ああこの人は全く神社に関係のない生活を送ってきたのか。

 圭亮はそれを察して、今後を心配しながらも、笑顔を保った。


「二回礼をして、二回拍手をして、一回礼をするんです」

「……二回礼、二回拍手、一回礼…………はい」


 その後も『二回礼、二回拍手、一回礼』と小声で繰り返す男を背中に、圭亮は頭を押さえた。



 * * *



 教えてもらった参拝を終え、男が社務所に行くと、こちらからどうぞ、と先ほどの神主が扉を開けてくれた。

 中にお邪魔し、いくつか部屋を通って、最終的に通されたのは広いたたみの部屋。

 そこにはお茶と菓子が用意されていた。


「さぁどうぞ」


 神主は先ほどから変わらぬ笑顔でそう座布団を男に勧めた。

 決して厚くはない座布団に男は正座し、神主と向き合った。


「えーと……小林こばやし彰良あきらさんですね」


 神主は男が渡した封筒の中身を見ながら、確認のためか、名前を読み上げる。

 小林は、ええ、と答えた。


「だいたいこのお手紙から状況はわかりました。こちらで対処するつもりですが、その前にいくつか聞いておくことが」

「何でしょうか」

「まず、ご家族は?ここにいることは知っていらっしゃるんですか?」


 小林は、家族、といっても、結婚はしていないため、実家においてきた心配性の母親と姉を思った。


「家族は……実家に母と姉が」

「あなたについてはどう思われてるんです?」


 小林の脳裏に二人の驚愕きょうがくする表情が浮かんだ。


「私のことを変人と思ってます。こんな感じですから。時々意識をなくすんです」

「ふらふらと夜中を歩いていってしまうみたいですね」


 A4の紙を広げながら、神主が続ける。


「ええ。それに私が時々独り言を言うものですから」

「ちなみにお仕事は」

「プログラマーです」

「今も?」

「ええ。今日は休みをもらっていて。軽く在宅勤務を」

「なるほど」


 ふむふむと頷きながら神主はもう一度手紙に目を奔らせる。

 そして終わったのか、折り畳みながら小林を見据えた。


「ご自身はどう思ってますか?」

「といいますと」

「この現象というか、なんでこんなことになっているか」

「……」

「まぁここに来ているということは、そうなんでしょうけど」

「……取り憑かれてるんです、私は」


 小林はぎゅっと膝の上の拳を握りしめた。


「その、母も姉も、そんなことを信じる人間じゃなくて……私もそうなんですが、でも、やっぱり何か私の中にいるような気がするんです」

「そうですね」

「ここなら……祓っていただけるときいて……」


 小林は率直な感想を答えたが、内心に焦りを感じていた。

 神主の受け答えは奇妙なまでに落ち着いていて、自分は何かにだまされているのではないかと思えてきていたからだ。

 この神社に行くように言った男も、目の前の二十代の若者も、一緒になって自分をだましているのではないかと。


「わかりました」


 まるで最初からこうなることが分かっていたかのように、神主は無駄な造作なく立ち上がる。


「それでは、用意しますので、ここでしばらく待っていてください」


 そう言って、神主は奥の部屋へと消えていく。

 小林は一人部屋に残され、目の前のお茶を飲むことにした。


 胸の奥がざわつく。

 それはこの境内に入ってからだ。

 自分の中にいる何かが暴れそうな、外にでたそうにうずうずしている。


 何だろう、この違和感。


 それを押し込めるように小林はゴクリとお茶を飲み干した。

 だまされているだろう、と焦る自分の中の理性と、どうしてだかこの感覚が騙されていないと思う確信がせめぎ合っていた。


「お待たせしました」


 物音がして現れた神主を見上げた。

 神主は水色の装束に着替えて、頭に黒い乗せ物をしていた。

 このようなものに疎い小林はそれが何というか忘れてしまったが、よくテレビなどでみるお祓いをするような格好をしていた。


「どうぞ、こちらに」


 神主は少し頭を屈めながら、奥へと小林を案内した。

 通された奥の部屋は少し暗くて、真ん中には布団が一枚引いてある。窓はなくて、部屋全体は暗い。布団の各角にある蝋燭がちらちらと炎を揺らしている。

 神主は小林を通した後扉を閉め、布団を小林に示した。


「今から貴方の中にいる者と話をします。ですが、貴方の自我があるとなかなか出てこないので、浅い睡眠でいいので、寝ていただきます。布団は用意しました」


 神主はそう言って微笑んだ。

 小林は頷いて、布団に座りながらちらりと見る。


「その、私が『それ』と話をすることはできないのでしょうか」

「訓練すれば、話をすることはできるようになると思いますよ。でも、今のままでは駄目です。それに、向こう方もどう考えていらっしゃるかわかりませんしね」

「そうですか……」


 少し残念だ。

 だが、神主がそういうのならば仕方がない。

 自分でも、そんな物がこの世に存在するのかなど確信しているわけじゃない。

 それに目の前の男が自分を騙していないと、論理的に説明できない。

 証明できるわけでもない。

 だからこそ、この目で見てみたかった。

 この男に自分の身を任していいのか。

 それに実際にいると分かれば、家族にも胸を張って話すことができるというのに。


「では、まずお祓いをしておきますね」


 座って少し頭を垂れてください、と神主が言いながら向かって右手にある棚に近づく。

 なんと言ったか、そこには白い紙でできた物があって、それをもってやってくる。


 その様子を見ながら、小林は感覚的に神主を信用している自分に戸惑っていた。

 神主が小林の目の前に来た時、小林の胸の奥で何かが蠢いた。

 彼しか、いないのだ。

 小林は背筋を伸ばして目を閉じ、俯いた。


 頭上で鳴る乾いた音。

 それは何往復か頭上を旋回してから正面に戻った。

 顔を上げると、丁度それを元に戻した神主が小林の目の前に戻ってくるところだった。


「それでは、どうぞ」


 神主が布団の頭側に少し離れて座り、布団を指す。

 小林の心は決まっていた。

 布団に寝転がり、目を閉じる。


「そのまま、ゆっくり深呼吸を繰り返してください」


 神主の柔らかな声が頭の上から聞こえた。

 言われたとおり、深く呼吸を繰り返す。

 部屋の暗さが相まって、だんだん眠くなるのが自分でも分かった。


「そうです。そのまま身を任せて」


 神主がそう言う。

 小林は眠気の波にのまれて心が深く落ちていくのを感じた。薄れゆく意識の中で神主が何事か唱えているのがわかった。


 挨拶だ。

 言葉も聞き取れないはずなのに、そう思った。

 挨拶と、説明。

 日本語ではあるけれど、日本語ではない。

 古代から伝わる言葉だ。

 続いて自己紹介。しかし、その内容を把握する間もなく、意識が落ちていく。

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