第二話 (後編)
かつて、その方はある御宅のお嬢様でした。
屋敷はその集落で最も豪華で、周辺の村の地主を先祖にもつお屋敷でした。
お嬢様は、次女としてお生まれになりました。
私は梨花様のお仕え役として育てられ、成人になる頃、梨花様にお仕えしました。
私が仕えて初めての夏。
お嬢様は高校生として最後の夏をお過ごしになっていました。
夏祭りにお出かけしたお嬢様は終わった時間になっても帰ってこないため、私はお嬢様を探しに参りました。
とすれば、神社の境内に人だかりができており、その中心には意識を失ったお嬢様がいらっしゃいました。
お嬢様は病院で意識を取り戻しました。
神社でお年を召した老人に出会ったのが最後の記憶のようでした。
その老人には脅かされただけだ、気にするなと、私をお責めにはなりませんでした。
実際に、お体には何もお怪我はありませんでした。由河家の誰もが私を責めることはありませんでした。不可抗力だと言うのです。
…やがてその見方は変化しました。
お嬢様が狐に取り憑かれたと騒ぐ者が出始めたのです。
一人が言えば、一人また一人と騒ぐ者が増えました。それは我が佐藤家にも広がり、旦那様にも物申す者が現れました。
私から見れば、お嬢様は確かに前より大人しく少し淋しそうな表情をするようになっていましたが、狐が取り憑いているとは思えませんでした。
しかし、肯定するより否定する方が難しいもの。いつも通りだという旦那様のお言葉にも限界がありました。
お嬢様を近くの神社に見てもらうことになりました。
結果はそうであると。
狐に取り憑かれている、と神主は言ったのでした。
お祓いをお願いしたところその神社では無理で、他所にもっと有能なお祓いをしてくれる人がいるとのことでした。
私とお嬢様は一緒にその神社へと参りました。
他の者は付いて行こうとはしませんでした。
案内された先で、私は祓い師に一筋縄ではいかないと言われました。
お嬢様は巫女となり、神域で生活を行い、徐々に分離していかなければ、とそう告げられました。
お嬢様にも私にも選択肢はありませんでした。
お嬢様は巫女におなりになりました。
私は一度屋敷に戻り、旦那様にこのことを伝えたところ、旦那様は了承しました。
そして月に一度、そこに様子を見に行くように申し渡されたのでした。
私は月に一度お嬢様の様子を見に参りました。
それが半年続き、ある日私がそこに赴いたとき、お嬢様のお姿はなかったのです。
祓い師に尋ねたところ、お嬢様は憑いている狐の故郷へと戻ったのだと。
そこに行けば、狐が離れてやると言う。
お嬢様はそれを聞き、その狐の故郷とやらに戻られたそうです。
* * *
「それで、ここに」
神主は煎餅をバリバリと頬張ってごくんと飲み込んだ。
「思いつく稲荷神社には初めに行きました、有名な神社にも。しかし、何も得られることもなく、途方に暮れたとき、旦那様は私に仰りました。お嬢様のことは仕方のないことで、きっとどこかで巫女として働くであろうと」
「ほう」
「それから私は、お嬢様の又従兄弟に当たる方のもとにお仕えすることになり、十年間。お嬢様からの連絡はありませんでした。私はずっとあのときのことを悔やんでおりました。しかし、連絡どころか消息も掴めない今、私はお嬢様はお嬢様らしく生きているのだと、そう思い込むより他なかったのです」
「で、どうしてこの神社に?」
神主はガラパゴス携帯をパカパカっと開閉しながら、話を促す。
それを佐藤は少し不快に思い一瞥したが、見ないふりをした。
「三ヶ月前です。夜中に帰宅する私の前に宙に浮かぶ炎が現れました。私にはそれが狐火だとどこかで思いました。何かを伝えたいかのようにゆらゆら動いている。私の脳裏にはお嬢様しか思い浮かばなかった。私が紙をかざすと……」
「ここの名前が出たわけですね」
「……ええ」
今や神主は携帯を弄っていた。
佐藤は不満が溢れながらも、短く答えた。
「で、兼太さんはその梨花さんに会いたいと思っていらっしゃってるということで良いですか?」
「……ええ」
「失礼」
一言断って、神主は電話をかけ始めた。
「あ! ゆりかさん? 俺です、けいすけですよ! だから、その名前で呼ぶのやめてくれます⁉︎ きよさんって呼びますよっ⁉︎ ああ。すいません、今大丈夫です?違います!ちゃんとやってますよ、子守をね。ええ。元気です。じゃなくて! 今社務所に
「……」
「ああ。不機嫌な顔しないでくださいね。私よりずっと事情を知ってそうな人呼んだんで。お茶を用意してきます。おそらく走ってくると思うんで」
そう言って神主は奥に歩いていった。
残された佐藤は、今の電話を反復していた。
その意味を汲み取るより早くバタバタと足音。ガラガラッと扉の音。荒い息遣いと、人の気配。
「いなきち‼︎」
その呼び名と共に現れたのは、女性。
少し小柄で、長い髪は茶色に染めており、後ろで一つにまとめている。
柱に手をついて、息を整えながら部屋を見渡す。そして、佐藤に目をとめてじっとみつめていた。
「かっ……」
「あ。ゆりかさん」
向こうがこちらに対して何かを言う前に、奥から落ち着いた声がして、神主さんが現れる。
「いなきち……」
「だからその名で呼ぶなと何回言えばいいんですか。子供が真似します。はい。お茶」
「あ、どうもー」
少し迷った後、ゆりかと呼ばれた女性は佐藤の横に座ってお茶を一気に飲み干した。
「遠いところかお疲れ様ですー」
「先輩の私に対して適当ね」
「そんなことないですよー。ほら、お茶もお茶菓子だってある」
「そうね。あなたにしては、きちんと猫をかぶってるほうだわ」
「そりゃ、お客様がいらっしゃいますから。兼太さん、ゆりかさんです。ゆりかさん、この方が佐藤兼太さん」
「あ、あなたは……」
「……」
佐藤は横に座っている女性を見つめた。
雰囲気は捜し求めていた人とは全く異なる。
しかし、その奥にある面影はよく知っているものな気がする。
「お久しぶりね。かっちゃん」
「お、お嬢様……?」
梨花が佐藤に向き直ると、途端に雰囲気が変わる。
佐藤は固まって、ぎごちなく微笑む梨花を見つめる。
「……!」
と瞬間にボロボロと涙が溢れてくる。
「す、すいませんお嬢様! わたしはわたしは……‼︎」
「ここまで私を探しにきてくれたのね……ありがとう」
「そんな……。わたしはお嬢様に謝らないといけないことがたくさん……」
「あの祭りのこと?あなたは私を探しにきて、病院に運んでくれたわ」
「え……」
「それに私についた狐を追い払おうともしてくれたわね」
「あの……」
「私を狐憑きだとバカにする村人を一喝していたし……」
「お、お嬢様……」
「そのあともずっと私についててくれたし」
「あ、あの……や、やめてくださいませんか……」
「今だってこうやって私を探しにきてくれた」
「あのーお言葉ですが」
蚊帳の外で聞いていた神主が手を挙げる。
「ゆりかさん。雰囲気変わりすぎて気持ち悪いです。居心地悪いです」
「お前……‼︎ お嬢様になんてことを……!」
「ほら、こうやってかっちゃんは怒ってくれるし……」
「うぐっ……」
「やめてあげてくださいよ。兼太さん困ってます」
「何言っているの。これが面白いんじゃない」
「あ、そうですか」
微笑む梨花の瞳は、僅かに潤んでいる。
「かっちゃん。それだけあなたは優秀で私のそばにいてくれたこと感謝しているわ」
佐藤はググッと膝の拳を握り込んだ。
そして、顔を上げて梨花の瞳を見つめた。
「お嬢様‼︎ もう一度、もう一度‼︎ 私を仕えさせていただけませんか⁉︎」
「かっちゃん……」
「わたしはお嬢様のお側にいたいと、そう思います。少しでもお嬢様のお力になりたいのです」
「……」
梨花はじっと佐藤を見ていた。
そして、ぱっと神主を見る。
「いなきち! どうなのっ⁉︎」
「え。ああ」
感動の再会のはずなのに。
同じ空間でばりぼりとせんべいを食べていた神主は微笑んだ。
「別に問題ないみたいですよ。今回はぶっちゃけきよさんの働きみたいですし。報告はしておきます。あとはゆりかさんが決めてください」
「そう……」
梨花はふぅと息をついた。
「私は今、この村で商店を手伝っているのよ。見合いも話されてて。私自身この村を出ることはできないし、私もそのつもりがない。それでもいいなら」
「もちろんです! 今から旦那様に辞令を送ります!そして私もここで住みます‼︎」
「かっちゃん……!」
「あれ、見合いの話って何処まで進んでましたっけ?」
神主の唇が弧を描いている。
どこか神主は楽しそうに梨花を見ていた。
「まだ話がでたばかりよ」
「その必要は、ありません」
佐藤はふつふつと何か熱いものが心の奥底から上がってくるのを自覚していた。
勢いに任せて立ち上がり、そう声を張り上げた。
「私が、私がお嬢様のそばにいます! 私がお嬢様をお守りします‼︎ この先一生、あなたを愛します‼︎‼︎」
「……かっちゃん……」
ゆりかは微笑んで、立ち上がり、佐藤に抱きついた。
佐藤は少し戸惑いながらも、その細い体に手を回す。自分が仕えていたとき、彼女はこんなにも細身だっただろうか、と思い、一層想いを強めた。
「梨花さんは、私が一生、お護りします‼︎」
* * *
「ありがとうね、
「いえいえ。よかったですね」
佐藤は由河家と佐藤家の当主に
残った圭亮と梨花はお茶会を続けていた。
「にしても、由河梨花ねぇ……」
「何か?」
「いやうまい名前だなぁと」
ゆりか。
その名前で彼も面識があったし、この町では大抵そう呼ばれている。
「
「へぇ……そんなものですか」
「そんなものよ」
割ったせんべいの一欠片を口に入れる。
「圭亮君。本当にせんべいすきねぇ。他のもの食べてるの?」
「失礼な! 食べてますよ!」
「あと一つ聞いときたいことがあるのよ」
「はい」
「今回の件はきよさんの働きってどういうこと?」
「ああ。それは」
「かあちゃんが梨花にもいい人を、っていう配慮みたいだぜ?」
もう一つの声。
二人はその空間に目を向けた。
一匹の子狐が、どかっと座ってた。
「あら。これはこれは」
「よぉ。ゆりか!」
ピッと片手を挙げて、挨拶に答える。
そのまま手はせんべいをつかむ。
「で、あの方が配慮を?」
「ええ。自分は落ち着いたから、礼を込めてだそうですよ、俺もいますしね。兼太さんがここにくるように示されたのは
「そう……またきよさんにお礼を言わなきゃね」
「おれが伝えとくよ」
せんべいを食べるのをやめて、子狐が顔をあげる。
「よろしくお願いします」
梨花は微笑んでそう言った。
「本当に感謝しなきゃ」
「じゃぁ結婚は狐の嫁入りみたいな感じで、うちがやりますね。任せてください‼」
「その言葉ほど信じられるものはないわ」
「えー!」
「また、かっちゃんが帰ってきたら、考えることにするわ。あ。そうだ」
梨花は子狐に近寄った。
「聞いていたと思うけれど、かっちゃんがまたこの神社に来るから、くれぐれも祟りなんか降らさないでね!」
「あーい」
「あと羊一君な! シャボン玉ぐらい許してやれ!実質入らなかったんだし」
「はっ! あのクソ
「なんてちっこい……」
「おまえ! あの年代でシャボン玉ふくらまないとかどれだけ惨めか分かるかっ⁉︎ すっげー惨めだぞ‼︎」
「じゃぁ女の子はどうなんだよ」
「かわいいからいいんだ」
「あっそう」
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