第二話 (前編)
「ねぇちゃん」
ある昼下がり、一組の姉弟が神社境内の仕切りである石に座っていた。
少年の手には、シャボン玉の小さなボトルが握られている。横でプカプカとシャボン玉を膨らましていた少女が、顔を上げて少年を見る。
少年のキラキラ光る瞳は、朱い鳥居に向いていた。
「あれ……にいちゃんだよね」
「にいちゃん?」
妹弟には兄がいない。
少女は意味を捉えかねて、首をかしげる。
確かに視線の先には若い男が立っていて、鳥居を見つめていた。
「
「わかってるよ。でも、じいちゃん言ってたもん。おいなりさんは若いにーちゃんを嫌うんだって」
「しっ! 羊一‼︎」
少女もそのことは知っていた。
昔から伝わる話で男に関する明るい話はない。
あの若い神主さんでさえおいなりさんの祟りにあって、今もあそこから抜け出せないという噂がある。
そうだとしてもこの男の前で言うことはない。
流石に聞こえてしまったのか、気になったのか、男が振り向いてこちらに寄ってきた。
「にいちゃん。入んのやめた方がいいよ」
羊一が眉を下げる。男はそれに表情を変えずに羊一に目線を合わせるようにしゃがんだ。
「入るだけでもだめなのかい?」
「入るなら参れ。祟りを嫌う者は去れ」
少女が目を伏せながら男にそう言い放った。
「この周りでは有名な言葉なの。男の子はね、大きくなってからは無駄に入らないほうがいいんだって。お祭りの日以外は、祟りが起きるかもしれないから」
「そうか……」
男は少し考え込んだ。
「ここの神社に用があるんだ。神主さんとか、そういう人に用があってもダメなのかな」
「じゃぁね、にいちゃん。ぼく、呼んでくるよ!」
「その必要はありませんよ」
四人目の声。
三人が鳥居の向こうを見れば、目の前の男よりも更に若い男が歩いてきた。
「神主さん……」
少女が驚いたように若い男を呼んだ。
「この人が神主……?」
神主と呼ばれた男は鳥居の一歩手前で止まって、訪問者と姉弟を見る。
神主の男はどう見ても二十代だ。それに比べれば、訪問の男は三十代ぐらい。
「羊一君。小さいとはいえ、この神社に入るときはちゃんと作法を学んでからね。さてと。あなた、私に話があるんですよね。どうぞお上がりください」
「あ、ええ」
戸惑いながらも訪問者は境内に一歩足を踏み入れた。
神主の男は「気をつけて帰ってね」と姉弟に声をかけてから本殿に続く坂を上がっていく。
訪問者は神主の後に続いた。
「助かりました」
「ああ。気にしないでください。私も面倒なことは嫌いで。あとで祟りやらなんやら困りますから」
微笑むその姿は、神主の顔がある程度整っていることを示していた。
「あの、その祟りというのは本当で……?」
「ははっ。昔話というのは嘘でも本当でも修飾されて、俗世間に出回るものですよね」
「そうですよね……」
訪問者は、嘆かわしいというかのように息をはく。
「そういえば、お名前を聞いてませんでしたね」
本殿と思われる屋根が見えてきた。
その横にある現代風の屋根は
「
「兼太さんですね」
「え、あ。はぁ……」
佐藤は足を止めて驚いたように神主を見た。
神主はというと、大きな石の鳥居をくぐり、手水舎で手を洗い始めた。
「さぁ、兼太さんも手を洗ってください。一応聖域ですから」
「あ、ああ」
佐藤は戸惑いながらも左手を洗い、右手を洗う。口を濯ぎ、その柄を洗う。
「ああ。よかった」
顔を挙げると、神主が笑っていた。
「これで間違った手の洗い方をしたら、頭から水をかけるところでしたよ」
「ええっ!」
笑いながら、年上になんてことを言うんだ、と佐藤は思う。
まだ会って数分だというのに。
「いやまぁ。こっちにもこっちの事情があるんですよ」
肩を竦めてから、神主さんは階段を登り始める。
佐藤はそのあとを追いながら神主に尋ねた。
「あんた。まるで俺のこと知っているかのようだ……。名前を呼ぶのもそうだし、そもそも普通の現代人なら手の洗い方をきちんと知っている人は多くない……」
「……」
神主は黙ったまま。
佐藤がその横顔を盗み見ると、神主はニヤリと笑う口元を噛んで誤魔化していた。
「神主さん……!」
「いやぁ、こういうのを誤魔化すのは苦手で……」
笑いながら神主は言った。
更に佐藤が畳み掛けようとしたとき、神主が社務所の扉を開けた。
「まぁどうぞ。あまり外にいるのはよろしくない。こんな暑さですからね。続きは中でお話しましょう」
佐藤は口を噤んで、一礼をしてから玄関に足を踏み入れた。
社務所の中は、蚊取り線香の香りがした。
神主に倣って靴を脱ぎ、札所の裏を通って奥の座敷に案内された。
少しお待ちを、と奥に消えた神主はやがて麦茶を持って現れた。
「今他に人はいませんので、くつろいでください」
「ありがとうございます」
出されたお茶のグラスと煎餅菓子。
この若者の趣味なのだろうかと神主を見れば、神主は胡座をかいて、お茶を飲み干したところだった。
「さて。話を聞きましょう」
二杯目を飲み干し、三杯目を注ぎながら漸く佐藤の方を見た。
「ああ」
佐藤は頬張っていた煎餅を噛みくだし、話を始めた。
「実は人を探しにきたんです」
「ほぅ。人を。それで?」
「巫女です。ここに来てはいませんでしょうか」
「巫女……お名前はなんと?」
「
「ふむ……『よしかわ りか』ねぇ……」
「もちろん十年も前の話です。あなたが知っていなくても、仕方が無い。もっとご高齢の方はいらっしゃらないのですか?」
「残念ながら、今日は私一人ですね。ですが、詳しく話してくだされば、思い出すかもしれません。私はこの神社の書物には全て目を通しており、過去のことでしたら、先代から言付かっておりますので」
「……」
佐藤は少し悩むように目を地面に這わせた。
お茶を手にとって一口飲み、いいでしょう、と続けた。
「少し、昔話になります」
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