揺蕩う船と海の悪魔

 ロウリーの実家へ行くには、まず王都から見て南側にあるズューデン地方に行かなくてはならない。


 エアレザ駅から列車に乗り込み数時間揺られ、ズューデン地方最大の駅に着く。


 列車を乗り換え港があるディーゼー駅へ向かい、そこから中型の船に乗り込んだ。


 船内には様々な人間がいる。


 金持ちそうな紳士淑女。


 大人しそうな男性。


 可愛らしい服に身を包んだ女の子。


 そして、恐らくバルバリッシュのファンであろう黒い集団。


 ロウリーが向かっているのは生まれ故郷であるオーロ島という小さな島。


 オーロ島は夢魔が住む島だ。人間の精気を奪い魔力に変えるアクマの一種。彼らの多くはこの島を拠点として人間達を呼び込んでいる。


 もちろん、その島で生まれたロウリーも夢魔である。……好奇の目を避ける為に

仕事仲間や一部の人間を除く皆には人型アクマだと名乗っているが。


 念の為酔い止めを飲んだロウリーは座り心地の良い座席に腰掛けた。


 車内販売を見かけたので、おやつとして手作り感満載のタマゴサンドとブドウジュースを購入する。


(皆、元気かな……元気だろうな)


 ロウリーはタマゴサンドを頬張った。


(……やけに黒づくめの集団が多いな。今日ライブでもあんのか?)


 反フェリス的思想を掲げるバンドのバルバリッシュの拠点という事で、オーロ島にはバンド目当ての若者も集まるようになった。


(アイツらの曲が普通に聴かれるようになったんだな……世も末だな)



 ……ギギギギギギギ……



「……ん?」


「なんか変な音聞こえない?」


 人々が動揺し辺りをキョロキョロと忙しなく見回し始める。


 席に取り付けられた簡易テーブルの上に乗せられたコップが次々と倒れ、白い床がカラフルに染まってゆく。


 グラスが割れる音に人々の悲鳴。それにけたたましいブザー音が合わさり船内が混沌と化す。


『モンスター、クラーケンが現れました! 船内の皆様は、乗務員の指示に従い小型船へ避難してください! 繰り返します____』


 かつて起きた世界大戦。その激戦区から遠く離れた地には、大昔から存在するモンスターが生息し続けている。


 クラーケンも戦火から逃れたモンスターの一種である。中型の船ならば覆ってしまえる程巨大な8本の足に、身体中を覆う粘液で日光を跳ね返すグロテスクな肌。そして内臓がたっぷり詰まっている丸い頭。


 もう無くなってしまったモンスター討伐屋『黒い仮面』。その一員として、指示通り小型船で避難するという選択肢はあり得なかった。


 常に携帯している剣の柄頭を握り、ロウリーは階段を駆け上がり甲板に出る。


 燃えるようなズューデン地方の夕陽に、ロウリーは思わず目を細めてしまう。


「あっ! お客さん! 危ないですよ!」


 船乗りらしい服装に身を包んだ、木の幹を思わせる程屈強な腕をした乗務員が、三又の槍を抱えながらロウリーに忠告する。


「俺はモンスター討伐屋です! 俺も討伐に加わります!」


 乗務員の目の色が変わった。


 モンスター討伐屋と名乗る者への期待と『こんな青びょうたんに何ができる』という疑いが入り混じった視線。


 だが、彼の紺色の髪と瑠璃の瞳……つまり彼がアクマであるという事実に賭けて、乗務員は「分かりました。でも無理したらダメですからね!」と告げたのだ。


 それと殆ど同時にロウリーは駆け出し抜刀した。


 少年心をくすぐる漆黒の刀身。特定の地域でしか採れない鉱石を特殊な製法で打った剣である。


 船体に纏わり付く1本の足を難無く切断した。その断面はまるで熟練の板前が切った刺身のよう。


 斬り落とされたにも関わらず未だビチビチと音を立て跳ねる肉塊を避け、急所である頭を狙う。


 ……が、ふと視界に入ったのは海を頼りなく進む何艘かの小型船。その内の1艘がクラーケンの足に囚われ悲鳴を上げているのだ。


「ッ!」


 クラーケンの足をキッと睨んだロウリーは方向転換し船のへりを踏み台にして飛翔した。


「あっ!? お客さん!!」


 モンスターが潜む海に飛び込む事がどれほど危険かを知っている船乗りが悲鳴に似た叫びを上げた。


 もちろんロウリーもその事を十分承知しており、空いている手で懐にある魔道具のスイッチを押す。


 これは水を跳ね返す魔道具。本来は傘を持たずとも雨を避けられるようにロウリーが造った物だが、水面を歩けるよう改造したのだった。


 ロウリーはネコのように水面に着地し、地面の上にいるかのように駆ける。


 漆黒の辻風はすぐに小型船に取り憑く悪魔の足を切断。そしてUターンし海から覗く本体へ向かう。


 その途中でロウリーは懐から数本のナイフを取り出し、1本ずつ投擲する。


 ブヨブヨとした肌にナイフが根元まで突き刺さった。持ち手を足場にし、ロウリーはクラーケンの体を階段を駆け上がるかのように登る。


 槍でちまちまと船に絡み付く足を剥がそうとしていた船乗りが感嘆の声を上げた。並大抵の訓練で成せる技ではないと直感で感じ取ったからだ。


 ロウリーはクラーケンの頭に何かを貼り付け早々に船へ飛び降りる。


「船に捕まれ!!」


 ロウリーの指示に従い船乗り達が船のへりや柱にしがみ付いたのと同時に、クラーケンの頭に付いた魔道具が爆発した。


 衝撃波で船が揺れるが、モンスター討伐屋と屈強な海の野郎共が振り落とされる訳がない。


 一瞬だけ身を強張らせたクラーケンが、力無く海へ沈んでゆく。


 光も届かぬ深海へ堕ちてゆく。


 沈没を見届けた船乗り達は安堵の溜息を吐いた後、飛び入りで討伐に参加した少年を讃えるようにロウリーを囲んだ。


 筋肉の塊に囲まれたロウリーは、その圧迫感に苦笑し額に汗を浮かべる。


「お客さんのおかげで船も殆ど壊れずに済みました。ありがとうございました!」


 先程まで期待と不安の入り混じった目でロウリーを見ていた船乗りが笑顔を浮かべ歯を輝かせながら礼を言う。


「ブルース! 奥に行って報酬包んで持って来い!」


「いや、待ってください!」


 嬉々として船内に戻ろうとする船乗りをロウリーは制止した。


「俺はただ、モンスター討伐屋として当然の事をしたまでで、報酬なんてそんな」


 報酬を受け取ろうとしないロウリーに船乗りは微笑みかけた。


「モンスター討伐屋なら報酬を受け取る事も当然の事でしょう? 受け取ってください。そうしねえと俺達の気も収まらないので」


 無骨な口調を必死に丁寧に正そうとしているのが滲み出ている船乗りの言葉に、ロウリーは申し訳なく思いながら頷いた。


   ***


 その後、事故を起こす可能性を限りなく低くする為に用意された別の船に乗り換え、全員が無事に目的地へ辿り着いたのだった。


 様々な欲望が渦巻く孤島『オーロ島』。自身の生まれ故郷でありながら、心安らぐような……安らがないような。


 船から降りたロウリーは、空を見上げる。


 孤島であるにも関わらずネオンの煌めきのせいで星が綺麗に見えず、ただ暗澹たる闇が広がるのみ。


(まずは……挨拶しないとな)


 ロウリーはオーロ島の中央にある、宮殿を思わせる建物の中へ向かう。


 その最上階でとある人物が待っているはずだ。

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