実家
オーロ島の中央にある宮殿風の酒場の最上階はとある人物の私室である。
白塗りの内装や金細工があしらわれた家具類が繊細で甘美な雰囲気を演出している。
部屋の一面がガラス張りになっており、ネオン煌めく欲望の島だけでなくミッドナイトブルーの空と海の曖昧な境界線をも見渡せる。
革張りのロッキングチェアにゆったりと腰掛けワイングラスを回していた人物は、来客を知らせる呼び鈴の音にハッとして立ち上がった。
「ロウリー? ロウリーなのね?」
廊下と部屋を隔てる扉の前に立った彼女は艶のある声でそう訊ねた。
「うん……ただいま」
妙に強張った少年の声に、その人物はドアを開けた。
「おかえりなさい、ロウリー……あぁ、見ないうちに随分と背が高くなったのね」
感激した彼女は口元を抑え溜息を吐いた。
「うん……母さん」
「疲れたでしょう? さぁ、部屋へいらっしゃい」
サキュバス……と言えば、誰もが想像するような女性。それがロウリーの母であるエミリーだ。
青紫の緩く巻いた長髪に大きな瑠璃の瞳。顔立ちがロウリーによく似ており、血の繋がりを感じさせる。
いつも露出度が高くボディラインがハッキリと出るようなドレスを着ているのだが、ロウリーが嫌がるので今日はゆったりとしたドレスを身に纏っている。
しかし胸元が大きく開かれたデザインとなっており、誰もが「その谷間に手を差し込んでみたい」という衝動に駆られるだろう。
ロウリーは母に誘われるまま入室する。
「好きな所に座ってちょうだい」
背もたれが波型になっている白いソファに、表情の硬いロウリーは腰掛けた。
「貴方の好きなブドウジュース冷やしてたわよ」
エミリーは高級感あふれる銀のワインクーラーから、ブドウジュースのボトルを取り出した。ガラガラと氷同士がぶつかり合う音が心地良い。
ボトルとグラス2つを盆に乗せた母は、机を隔てた対面のソファに腰掛け慣れた手つきでボトルの封を開けた。
「聞きたい事は沢山あるのよ……ちゃんとご飯は食べているのかしら? ちゃんと眠れているの? ランドールさんとマティウスさんとは上手くやれているの? 学校は楽しい? 友達はできた? 恋人はできたかしら?」
グラスに赤い液体を注ぎながらエミリーは次々と訊ねた。
「ご飯も食べてるし、ちゃんと眠れてる……しっかり生活できてるよ」
母からグラスを受け取ったロウリーはジュースを一口飲んだ。店でも出している上等なブドウジュースは、柔らかでありながら芳醇な……ロウリーにとって懐かしい味だ。
「学校も……うん、楽しいよ。友達もいるしさ」
「へぇ……で? 恋人は?」
「いる訳ないよ。男子校だし」
「あら残念。せっかくなら共学の所に通えば良かったのに」
数ある学校の中から男子校を選んだのには理由がある。
自分が淫魔だからだ。
淫魔である自分は、きっと女子生徒にとって脅威となりうる存在だ。
もし万が一、何かの手違いで彼女を襲ってしまったら? ……責任など取れる訳もない。
「それに人間と恋したってしょうがない」
「あら、お母さんは人間と恋に落ちた事があるわよ……世界大戦の時にね」
世界大戦……ロウリーが10歳くらいの頃だ。多くの男達が集まる場所には自分達のような癒しを提供する者が必要であり、今が精気の稼ぎ時であると判断した淫魔達が、激戦区となったオスト地方の街に集結したのだった。
「素敵だったわ彼……逞しくてね……」
過去に想いを馳せながらも、エミリーはちらとロウリーの顔色を伺う。
息子が『これ以上自分の親の恋愛事情なんて聞きたくない』といった表情を浮かべていた為、エミリーはこの話を早々に切り上げる事にした。
淫魔とは、このような生き物だ。
たとえ伴侶がいようが平気で他の人間やアクマと関係をもつ。
精気を奪い取りそれを魔力へと変換させるという特性上、仕方の無い事なのだが……ロウリーはどうしても夢魔の生き方に馴染めない。
「まぁ、その……人間であろうがアクマであろうが、素敵な関係を築けるってことよ……ねぇ。それで、仕事仲間の事も聞かせてくれないかしら?」
あぁ、知らないんだ。とロウリーは更に気分を落ち込ませた。母はランドールに何があったか知らないんだと。
それも仕方の無い事だった。そもそもここはエアレザがあるオスト地方の反対側ズューデン地方の、更にその大陸から隔離したオーロ島なのだ。
「マティウスは元気だよ。でも、その……」
息子の顔色が青ざめていくのを見た母は、真剣な声色で尋ねる。
「一体、何があったの」
***
「……そう、だったの」
彼女の瞳から大粒のダイアモンドが溢れる。
昔から母はこうだった。よく知りもしない他人の為に涙を流せる人である。
「ごめんなさいね……本当に辛いのは貴方よね」
「いや、いいんだ」
ロウリーは唇を噛み締めた。
「そうね……確かに貴方の言う通り、今のエアレザは危険なようね」
ねぇ。とエミリーは続ける。
「ずっとこのままオーロ島にいてくれても構わないのよ。確かに勉強も必要よ。貴方はとても賢い子だから……だけどね」
エミリーは涙で輝く瞳で、ロウリーの瞳を捉えて離さない。
「お母さんにとって一番大事なのは、貴方がずっと幸せで生きてくれる事。本当は、モンスター討伐なんて危険な事もしてほしくない」
「母さん、それは____」
突然、扉がドンと無作法に開かれる。その向こうから現れたのは……
「……ねーちゃん」
ロウリーは頭を抱えた。
仕事からこっそり抜け出してきたのだろう。視線を奪われてしまうような扇状的なデザインのミニドレスを身に纏った彼女は、ロウリーの姿を見て輝かんばかりの笑顔を見せた。
「ロウリー! ひっさしぶりねぇー!」
ロウリーに駆け寄り、頭を胸で包み込むように抱きしめた。
「うぐっ!? ……ぶッ!」
ロウリーは豊かな胸に顔を潰されて窒息しそうになり、離してくれと姉の腕を何度も軽く叩く。
だが姉は意味を理解していないらしく更にぎゅうぎゅうと弟の頭部を締め付け始めた。
「おねーちゃんアナタがいなくて寂しかったのよ? あぁロウリーこんなに大きくなって帰って来てくれて……うーん♡」
身を捩らせた姉はロウリーの頭に手を置いて、
「よーしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし♡」
まるで犬を愛でるかの如く撫でまわし始めた。
「こらこら落ち着きなさい、メリッサ?」
母の制止の声に「はーい♡」と姉のメリッサは意外と素直にロウリーを解放した。
紫のボブヘアに同色の円な瞳。少女がそのまま大人になったかのような印象を受ける彼女は、父も母も同じ
かつて、彼女が一度『黒い仮面』に遊びに来た事があった。
彼女が帰った後にランドールに『あっはは……嵐のような人だったね』と苦笑されるほどの人物なのだ。
ロウリーは不機嫌そうに髪型をサッと手で直す。
正直言って、ロウリーは姉の事をあまり好ましく思っていない。ランドールの言う通り彼女は嵐だ。落ち着きが無く、やけにスキンシップが激しい。
だが、重い空気を一変させてくれた事にはとりあえず感謝した。
「……で、なに? 何の用?」
ロウリーの大義そうな声で本来の目的を思い出したメリッサはハッとする。
「そうそう! ロウリーのお部屋掃除しといたって事を伝えに来たのよ! だってしばらくここに住むんでしょ? ね?」
「あぁ……ありがとう」
「どういたしまして♡」と甘い声でメリッサは微笑んだ。
「疲れたでしょう? 今日は自分の部屋でゆっくりと休んだ方が良いわ」
家族と話す。ただそれだけの事なのに、ロウリーは酷い疲労感を感じた為、「そうするよ」と素直に答えた。
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