アクマ編

血まみれの農場にて

 清風が頬を撫でる。


 青々と生い茂る草の群れが順番に頭を垂れ、恵ある大地に敬意を示す。


 細川ささらがわに午後の暖かな日が差し込み、いくつかの魚影が美しい尾を翻した。


 このような美しい世界を創り出した神は、誰よりも偉大で……


 誰よりもクソッタレだ。



 ここはグノーム農場。


 牧歌的とも呼べるこの場所は今、ソルダードの残骸で地獄と化している。


 あちこちに散らばる腐乱した人肉。


 ソルダードから移ったのか、もう既に牛の肉にもウジ虫が集っている。


 惨憺たる光景の中に最後まで立っていたのは、美しい純白の髪をもつアクマ「ランドール」だ。


「これで大体片付いたよ!」


 少し離れた場所にいる仲間に向け、ランドールは声を張り上げる。


 ランドールの言葉を聞いたマティウスは、ほっと溜息を吐き肩の力を抜いた。


「安心しろ御者よ。これで全て終わった」


 マティウスは御者席に腰掛けている男の顔を見上げる。


「あぁ、ありがとうございます!」


 御者は安堵の表情を浮かべた。


 これで全て終わり。


 かつての兵器による脅威が過ぎ去り、グノーム農場に日常が戻ってくる。


 マティウスが馬車に繋がれた馬の首を撫でると、馬はブルルとくすぐったそうに鳴いた。


 ランドールは剣の刀身に付着したオイルを振り落としてから、鞘に収める。


「さて、かえ……ムッ‼︎」


 何かに気付いたマティウスは、鋭く息を吸い「『ヴァント』ッ!」と唱えた。


 半球体のバリアが馬車とマティウスを覆ったのと同時に、爆発音と共に火炎が上がり、バリアを包み込む。


「マティウス! ……頭型か!」


 頭型は名前の通り、本体が頭だけのソルダードだ。


 地面を転がり移動する様はタンブルウィードのよう。


 奴らは生き物に近付き爆発し、敵諸共滅ぶ哀れな機械だ。


 奴らの表情は、ギロチン台にかけられた罪人の如く苦悶に満ちている。


 ごうごうと、草原が燃え……


 燃えて……


   ***


 ここは……あぁ、食堂だ。


「ランドール! 君にトラバーロの弾き方教えよう」


 砂嵐のような黒のノイズが顔にかかった戦友が、椅子に腰掛け足を組む。


「いいよ、弦楽器なんて興味ないし」


「ふふん、知ってるぞランドール……私が皆の前で弦楽器を弾いている時、誰よりも真剣に聴いている事をね!」


「な……!」


「ハハッ! 私のような弾き手から教わる事など滅多にないぞ? さぁさぁ、教えてやるからそこに座れ」


「はぁ……分かったよ」


   ***


「……ッ!」


 世界大戦時の思い出がフラッシュバックし、ランドールは額に冷や汗を浮かべ蹌踉めく。


 あの忌々しい火炎のせいだ。


 戦友との記憶……その一部が、鮮やかな色を纏って蘇った。



 一方、マティウスは冷静な態度で御者を見上げる。


「……御者、無事か?」


「あぁ、あ、あ……!」


 御者は情けない声を上げていた。


 体は無事なようだが、精神的に大きなショックを受けたようだ。


 無理もないだろう。もしマティウスがソルダードに気付いてくれなかったら、御者の命はここで終わっていたのだから。


「大丈夫だ御者よ。先程も言ったであろ? 貴様を死なせはしない。『ヴァッサーファル』」


 マティウスの頭上に黒雲が現れ、そこから滝の如く水が降り注ぎ、一瞬で火事を収めた。


 マティウスと御者の周りが、バリアで守られていた場所を除き焼け野原と化している。


「久しぶりに見たよ、頭型なんて……既に全部爆発したと思っていたからね」


 ランドールは馬車に近付きながら、何度か咳をした。


「……大丈夫かランドール? 随分と顔色が優れないようだが……まさか、毒でも盛られたか?」


 冗談である。とマティウスは後ろで手を組んだ。


「大丈夫だよ……念のため、牛小屋の中を見てくる」


「待てランドール。1人で勝手に行くな」


「何だい? 今日はやけに僕の事心配するじゃない」


「当然であろ。相手はソルダードなのだから……貴様はここにいるのだ。私が牛小屋の中を見てくる」


 「分かったな? ずっとここにいるのだぞ!」とマティウスは子供に言い聞かせるように念押しし、牛小屋の中へと足を踏み入れる。


「う……うぅ。酷い臭いであるな」


 マティウスは仮面の上から口元を押さえた。


 胃の中の物が込み上げる時の嫌な感覚に襲われるが、何とか堪える。


 閉鎖的で薄暗い牛小屋の中で、1列に並ぶ裸電球が照らし出したのは、まさに「惨状」と形容すべき光景。


「ほとんどの牛が噛みちぎられ、引き裂かれている。まさにソルダードの所業であるな。勿体無い。もっと生きられるはずだったのに……」


 独り言が、まるで神父の説教のように淀みなく流れ、空に溶ける。


「ソルダードは我々が造り出した兵器。許してくれ牛達よ。ソルダードを……コアを造り出したのは、決して悪意があったからではないのだ。ソルダードはーー」


 『アクマではなく、人間が造り出した兵器』だと言いかけ、マティウスは口を噤んだ。


「……貴様らには関係の無い事だな。アクマが悪いのか、人間が悪いのかなんてな……」


 マティウスは足を上げ、木製の柵を思い切り蹴った。


 苛立ちから蹴ったのでは無い。


 まだ牛小屋に潜んでいるかもしれないソルダードを、大きな振動を起こす事で誘き寄せる為だ。


「ソルダードよ! いるのか!」


 目を凝らし、牛の死骸が動き出さないか注意する。


 ……だが、どこもピクリとも動かない。


 時が停止しているかのように、静寂が保たれたままだ。


「……いないようだな。今度コアを探す魔法でも作るかな」


 と一言したマティウスは牛小屋を後にした。


 つまらなさそうに待機していたランドールは「何か見つかった?」とだけマティウスに尋ねた。


「何も見つからなかった。貴様らの方は大丈夫か? 変な事は起きなかったか?」


「変な事? ……いや、何も」


「なら良いのだ。さぁ御者よ、手綱を握れ。帰るぞ」


「いや、それが……すみません、マティウスさん」


 何とか平静を取り戻した御者は、実に申し訳なさそうな表情を顔に貼り付けている。


「馬が怯えてしまって、走ろうとしないのです。お忙しい中申し訳ないのですが、これから新しい馬を呼んで来ます。お2人は馬車の中で待機していてください」


「むぅ……仕方あるまい」


 御者は再び謝り、魔法で動く無線機を使って仲間に呼びかけた。

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