検閲
ここはゼトワールの私室だ。
革張りのソファに深い色合いの机。
部屋全体が柔らかなオレンジの光で照らされている。
将校がひと時の安らぎを求め戻る部屋のような雰囲気だ。
「う……うーん……」
ゼトワールは目を覚ます。
「私は……何を……」
ソファから身を起こし、頭に手をやる。
「うぅ……頭がガンガンする……こんなの人間だった時に、酒を飲み過ぎた時以来だ……」
そもそも、何故私はソファで寝ていたんだ?
「確か(検閲済み)様と一緒に(検閲済み)を……」
あれ……?
頭から大切な情報が盗まれたような感覚に襲われ、ゼトワールは額に汗を浮かべる。
「私は、何をしていたんだ……?」
ゼトワールは眠る前の記憶を思い出そうと記憶の糸を辿る。
まるで、彼女が救ったダイモニアの少女が、神の名を思い出すように……
「(検閲済み)……うッ!?」
吐き気を覚えたゼトワールは、口元を押さえ手洗いに駆け込んだ。
便器の前で座り込み、何度か嗚咽を漏らす。
抜け落ちた思い出そうとする度に、気分が悪くなる。
彼女は確信した。
「私は何らかの攻撃を受けている……! このような攻撃、天使が与えられた能力に違いない! ……だが、これは誰の能力だ? 私が知る中に、こんな気持ちの悪い能力が扱える者はいなかったはずだ……」
***
「……流石だな、ゼトワール君」
一方、ここはゲッペルスの部屋。
今までゼトワールを苦しめていたのは彼の能力だ。
マキタとの会話の中でも出てきたが、彼は言葉や物などに検閲を掛け情報の流出を防ぐ事ができる。
検閲された部分は、他者の耳や目には自主規制音やノイズとして現れるのだ。
「無理やりノイズを取り除こうとするならば、女性とはいえ容赦しない」
椅子に腰掛けたゲッペルスはブラックコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーに映ったのは、冷酷な表情の男。
「無理に思い出そうとすると精神汚染を来たす。私に与えられた能力『|Librorum Prohibitorum《禁書》』にこれ以上逆うな」
***
「うぅ、う……」
目眩がする。
視界に砂嵐のようなノイズがチラつく。
「だが、負ける訳には……」
ゼトワールは徐に立ち上がり、洗面台の鏡に映る自分の顔をまじまじと見る。
酷い顔色だ。
「(検閲済み)を見つけなくてはーーううっ‼︎」
胃の中のモノを吐き出す。
咄嗟に蛇口を捻り吐瀉物を流した。
「ゲホッ、ゲホッ……」
ゼトワールは両目に薄らと涙を浮かべ、その場に座り込んだ。
「はぁ……はぁ……ッ、何だ一体……」
***
一方で、ゲッペルスは机に両肘をつき祈るように手を組んでいた。
「頼む……良い加減にしてくれゼトワール君」
ゲッペルスにとって能力を使うのは容易い事だ。
だが、能力を使い彼女を苦しめる事に罪悪感を覚える。
軍人とはいえ、相手は自分よりも若い女性だ。
「女性や子供を傷付けるのは、自分の主義に合わない」
ゲッペルスは良くも悪くも、ひたすら真面目な男だった。
「彼女は恐らく、無理にでも思い出そうとするだろう……ならば……一瞬で終わらせるしかないな」
意を決したゲッペルスは、意識を彼女に集中させる。
***
「まずい、何かを……何かをしなければならないのに……」
何かが全く思い出せない。
思い出そうとすると強い吐き気を覚える。
「う……うぁ、あ……あぁ……っ!」
呻いて洗面所からイモムシのように這いながら抜け出し、私室を見回す。
テーブル、本棚、ペンとインク、食器棚、金庫、ライト……
何を……私は何をどうするべきなんだ……?
突然、目の前がチカチカと光り、視界が真っ赤に染まる。
(検閲済み)(検閲済み)(検閲済み)
(検閲済み)(検閲済み)(検閲済み)
(検閲済み)(検閲済み)(検閲済み)
(検閲済み)(検閲済み)(検閲済み)
(検閲済み)(検閲済み)(検閲済み)
(検閲済み)(検閲済み)(検閲済み)
「うわぁぁぁぁぁぁっ⁉︎」
虹が……虹色が! 頭の中へ流れ込んでくる!
ノイズが津波のように荒れ狂い、頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回す。
極彩色の光。
モノクロの点滅。
甲高い自主規制音。
ついに耐えきれなくなったゼトワールの体が、ブラックアウトを選択した。
***
「……気絶したか」
ゲッペルスは席から立ち上がった。
「すまなかったゼトワール君……償いになるかは分からないが、困った時は私を呼びたまえ。すぐに駆けつけよう」
壁掛け時計を確認する。
「そろそろ戻らなくては。ダイモニアの人々が助けを待っている」
ジャケットを羽織り、ゲッペルスは部屋を後にした。
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