背く者

聖域の個室にて。男が椅子に腰掛けながら人を待っていた。


 オールバックの黒髪に、凛とした黒い瞳が爛々と輝いている。


 真面目でストイックな男なのだろう。


 良く手入れがされているスーツの上からでも体を鍛えているのが分かる。


 けたたましい呼び鈴の音が彼の到着を知らせた。


「来たか」


 男が開けたドアの先にいたのは、1人の中年男。


 どこかやつれた印象を受ける彼は、からっぽな瞳でオールバックの男の顔を見つめる。


(……どうやら彼は頼んだ通りにしてくれたようだ)


 オールバックの男は安堵の表情を浮かべた。


「さぁ入りたまえ。誰にも見られないうちに」


 中年を招き入れたオールバックの男は、ドアを忙しなく閉め鍵を掛ける。


「おいおい、鍵まで閉めんのかよ」


 中年……というより、青年のような瑞々しい声。


「すまないな。誰にも知られる訳にはいかないのだよ」


「だろうねぇ、俺にこんな変装までさせるんだからよ」


 中年の体がロウのように溶け始め、中から別の男が現れた。


 濡羽色ぬればいろの髪に黒く円な瞳。中性的な顔立ちで、オールバックの男と比べると随分小柄だ。


 背を気にしているのかヒールの高いブーツを履き、赤い着物に帯代わりの黒いコルセットを合わせている。


「しかも男だって? 性別まで指定してきやがった」


「女性に変わった君が私の部屋に入って行く所を見られでもしたら……変な噂が立つだろう?」


「男が入っても変な噂が立つと思うぜ?」


 着物の男は整った顔立ちに似合わない下衆な笑みを浮かべる。


「少なくともオレぁ『あぁ、ゲッペルスって、こんなブ男が好みなんだ』って思うね」


 オールバックの男は一考し「そんな風に考えるのは君ぐらいなものだろう」とあっさり答えた。


「あっはははっ! だろうねぇ」


「そんな事よりマキタ君。は持って来れたかね?」


「アレ……って、何だよ? もしかしてヤラしいヤツ? (検閲済み)?」


「あぁもう、私を揶揄うのはやめたまえ! 君と話しているとヒヤヒヤする! 検閲する私の身にもなってみたまえ!」


 ゲッペルスは声を荒らげる。


 先程まで余裕たっぷりだった表情が崩れたのを見て、マキタは吹き出す。


「あっはははは! ごめんごめんゲッペルス! 相変わらず揶揄うとおもしれぇんだよ、おめぇさん」


 手を叩き乾いた笑い声を上げるマキタの前で、ゲッペルスは呆れ顔を浮かべ溜息を吐いた。


「ちゃんと持って来たよ。ゼトワールの部屋からな」


 マキタは懐から透明な液体が入った小瓶を取り出す。


 これはヴェーラがゼトワールに渡した毒の小瓶だ。


 何故、ゼトワールの手に渡ったはずの小瓶をマキタが持っているのか。


「流石だな。随分と苦労したのではないか?」


「いや? 全然? 色恋に狂った女を落とすのなんざ簡単な事よ」


 ゲッペルスは息を呑む。


「……一体、何をしたんだねマキタ君」


 何を言われても良いように身構えながら尋ねた。


「あいつの主に化けてやったんだよ。アンジュとかいう綺麗なお姫さんだ」


 マキタの体が溶け始め、作り変えられる。


 まるでシンデレラが魔法にかけられたかのように、彼の姿が自由自在に変わってゆく。


 やがて形が整い、美しい姫の姿となった。


 透き通った金の髪を複雑に結い、頭に銀のティアラを乗せている。


 黄金の瞳は宝石のような輝きを纏い、天真爛漫な王族の娘という印象だ。


 クリノリンで大きく膨らんだスカートをヒラヒラさせながら、姫は花弁のような口を開く。


「ゼトワール……」


 小鳥のような美しい声だ。


 マキタは姿だけでなく声まで変えられるらしい。


「ゼトワールぅ……最近、貴女に会えなくて寂しいのぉ。貴女の部屋に伺ってもよろしいかしらぁん? 一緒にお茶を飲んで話しましょう?」


 身をよじらせ、大袈裟な猫撫で声を上げる。


 ゲッペルスは彼の小芝居をじっと見ていた。


 彼の表情はまるで……子供とテレビを見ていたら、たまたまセンシティブなシーンが流れ始めた時の親のよう。


 再びマキタの体が溶け再構築される。今度はゼトワールの姿になった。


「あ、アンジュさまぁっ!? ……ぜひぃっ! 私の部屋にいらしてくださヒぃいっ!」


 ゼトワールは声を引き攣らせ、顔を紅潮させながら話す。


 本物のアンジュもゼトワールも、恐らくこのような話し方はしないだろう。


「後は簡単だ」


 ようやくマキタは本来の姿に戻った。


「睡眠剤入りの紅茶を持ち込んでゼトワールに飲ませた。そして、奴が寝てる間に金庫を開けて小瓶を入れ替えて来た」


 ふふふっ。とマキタは失笑する。


「ゼトワールの奴……ありゃあ相当惚れてるぞ。肝心なアンジュは気付かねぇんだもんなぁ……」


 ふむ、そうだな。などと適当に返事をし、ゲッペルスは揺らめく液体を概観した。


「ありがとうマキタ君。これは私が責任を持って処分するよ」


「おう」


 「しかしよぉ」とマキタは続ける。


「おめぇさん、こんな事して良いのか……? 確かおめぇさん、悪魔狩りのお仲間だったよなぁ?」


 「裏切り行為だぜ?」とマキタは指差す。


「……確かに、これは裏切り行為だな」


 ゲッペルスは腕を組み虚空を見つめる。彼の意識は数ヶ月前まで遡った。


「少し前まで、悪魔を全て滅ぼす事こそが正義だと考えていたのだよ。だがね、この前ーー」


「あ、話長くなる? タバコ吸って良い?」


 出鼻を挫かれたゲッペルスは眉間に少々皺を寄せた。


「構わない」


「やった」


 マキタは持っていたキセル箱を開け、慣れた手つきで刻みタバコをキセルに詰め火を点ける。


「ふぅ~……んで? 何だっけ?」


 白い煙を燻らせながらマキタは尋ねた。


 久方ぶりに苛立ちを覚えながらも、ゲッペルスは話し始める。


「あぁ……この前、幼い兄弟の悪魔を見つけたんだ。悪魔を討伐しに来た私を前にして、互いに守り合うように抱き合っていた」


「ふーん」


「悪魔とはいえ、私には子供を傷付ける事なんて……出来なかった」


「あー……おめぇさん、子供好きだもんなぁ」


「それから悩み始めたのだよ。私がしている事は、果たして本当に正義なのだろうかと」


「正義も好きだもんなぁ」


「そして、私は決意したんだ。子供が悲しむような計画が立てられれば阻止しようと」


「ほーん」


「例え自分がどうなろうと子供を守るのが、我々大人の役目なのだからね」


「へぇ……」


「それから私は悪魔狩りのメンバーを見張る事にしたんだ。それで、ランドールという悪魔を退治する計画が立てられている事を知った」


「ランドールねぇ。……モンスターなんちゃらっつー海外のアニメに、そんな名前のトカゲみてぇなヴィランズがいたような」


「ランドールには子供がいるみたいなんだ。ランドールを倒せば、きっとその子は悲しむだろう」


「まぁ、親がいなくなるっつーのは悲しいからなぁ」


「少女を悲しませる訳にはいかないからな……君を誘って毒の入れ替え作戦を実行したのだよ」


「やっぱり女の子が目的か! この(検閲済み)野郎が! (検閲済み)!」


「断 じ て 違 う !!」


 ゲッペルスは顔を青ざめさせながら声を荒らげた。


「つ、疲れる……」


 息切れを起こしながらゲッペルスは近くの椅子に力無く腰掛ける。


「老いだな、老い。この世界じゃ見た目なんてアテにならねぇが、おめぇさん、どう見ても30は超えてるもんな」


「老いじゃない、君のせいだ……」


「へへっ、相性最悪なんだな、俺達」


 マキタは吸い殻をタバコ盆に捨てた。


「まぁ、おめぇさんの年齢なんて知ったこっちゃねぇ。そんな事より報酬くれよ。ほ・う・しゅ・う!」


 ゲッペルスは聖域での通過がたんまりと入った皮袋を無言で押し付けた。


「へへっ、ありがとよ。またこれでタバコと服が買える」


「報酬は渡したから、もう帰ってくれ」


「えー……どうしよっかなぁ? もうちょっと揶揄いたいなぁ」


「いいから! 帰ってくれ!」


 ほとんど追い返すように、ゲッペルスはマキタを玄関まで送る。


「はいはい、帰りますよっと」


 マキタは再び中年に化けた。


「この姿嫌なんだよねー、可愛くなくってさ」


 じゃあねー。とマキタはゲッペルスの部屋から去った。


 ゲッペルスは疲れと安堵が混じった溜息を吐く。


「何なんだ、あの子は……」

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