聖域
ありとあらゆる世界が存在する。
平和な世界。
荒廃した世界。
神が権力を持つ世界。
人々がいがみ合う世界。
それら全てを管理する世界も存在する。
この世界に名前は付いていないが、天使達は皆「聖域」と呼ぶ。
聖域のとある場所に小さなバラ園がある。
常に青々とした低木の群れが
木製のベンチに腰掛け、花の美しさにただ心を囚われる少年が1人。
キャラメル色の真っ直ぐな髪が風で揺らぐ。緑がかった茶色の円らな瞳に赤いバラを映している。
緑色の神父の衣装を身に纏い、首から釣り合った天秤を模したロザリオを提げた15くらいの少年だ。
彼こそがランドールが住む世界の国教神フェリスである。
元人間でありながら、神格化され聖域にて生まれ変わったのだ。
「……あぁ、フェリス様!」
遠くから美しい女がフェリスに駆け寄る。
緩く巻いた桃色の長い髪に、大人びた印象の碧眼。耳が妖精のようにとんがっており、白くきめ細やかな肌の彼女は優雅な雰囲気を纏っている。
彼女はいわゆる天使という存在だ。
天使は元人間であり、死後に天使として生まれ変わった。
「お待たせしてしまいました。お許しください」
女は深く頭を下げる。
「良いのですよヴェーラさん。どうか頭を上げてください」
神格化される程多くの人間に認められた少年は、どこか他の人間とはかけ離れているような印象だ。
そのカリスマ性からか。
その溢れる才能からか。
ゆっくりと頭を上げたヴェーラの顔を見上げ、フェリスは微笑んでみせた。
「悪魔狩りとして活動されていて、お忙しいのでしょう?」
悪魔狩りとは、聖域で管理している世界で人間と悪魔の関係性が崩れている場合に、二者の間に介入し人間を守る為結成された組織である。
関係性が崩れた状態とは、悪魔が人間を遥かに上回る力を持っている状態。
もしくは、両者が友好的な関係を築いている状態。
前者はもちろん、人間を滅ぼす可能性が高く危険だと感じるだろう。
後者は問題ないのではと思う者もいるだろうが、実例が奴らの危険性を物語る。
魔女に仕えていた悪魔が主人を噛み殺した。
淫魔が人間を快楽によって堕落させた。
政治にまで介入できるほど信頼されていた悪魔が、一夜にして世界を滅ぼした。
モルゲンレーテの悪魔も人間に取り入り悪事を働こうとしているに違いない。
ヴェーラは口を開く。
「えぇ……我々は今、ダイモニアでの悪魔退治を早急に進めております」
ダイモニア……フェリスにとって聞き覚えのある世界。
元は美しい世界だったそうだが、悪魔の猛烈な攻撃により文明が崩壊したらしい。
ヴェーラは重々しい口調で話し続ける。
「あの世界を治めてられていたディアカル様が亡くなり、後継者が決まらぬ間、ダイモニアへ行く為の通行手形を手に入れられなかったのです」
天使や神が他の世界に行く為には、国教神が発行する通行手形が必要なのだ。
「そう……ですか」
後継者が決まらず誰も助けに行けなかった間、どれだけの人間が殺され、街が破壊されたのか。
遥か遠くの世界の出会った事すら無い人々の魂に、フェリスは祈りを捧げる。
「ダイモニアと並行し、フェリス様が治める世界……モルゲンレーテの悪魔を滅ぼす為。私共が悪魔狩りとして微力を尽くしますわ」
それを聞いたフェリスは安堵の表情を浮かべた。
なんと頼もしい……! と感嘆の声を上げる。
「私の生まれ故郷モルゲンレーテの悪魔は実に狡猾なのです。私もあなた方と共に戦います。私にできる事があれば、何でも仰ってください」
と決意を示すフェリスの表情は、聖人そのもの。
「では、フェリス様の世界の悪魔について知っている事をお話しいただけませんか? 我々には情報が必要なのです」
分かりましたとフェリスは立ち上がった。
「かつて、モルゲンレーテでは世界全てを巻き込んだ戦争が起こりました。その際、1匹の悪魔が人間にこう持ちかけたのです。『我々悪魔を人間と同様に扱う代わりに、悪魔がモルゲンレーテ軍に入り勝利させる』と……当時の国王は条件を呑みました」
更にフェリスは話し続ける。
「戦争中に活躍し、モルゲンレーテを勝利に導いた2匹の悪魔。奴らは2人の英雄と呼ばれています。ですがその悪魔は英雄と呼ばれる事を嫌い、今では過去を隠し生きているそうです」
ヴェーラは頷く。
「私共の方でも2人の英雄について調べました。1匹はまだ不明ですが……もう1匹については調べ終わりました」
とヴェーラは1枚の写真をフェリスに手渡した。
そこに写っていたのは、モンスター討伐屋『黒い仮面』の前で笑顔を浮かべている3人の男達。
「その真ん中にいる男。白い長髪を1本で束ねている男が、英雄のうちの1匹ですわ。名前はランドール。年齢は人間に換算して27歳。悪魔の妻と娘がいます」
フェリスは写真に視線を落とす。
その瞳の冷たさと言ったら。まるで汚物に向けるような非情な目。
人間や天使に向ける慈愛に満ちたあの目はどこに行ったのか。
フェリスは顔を上げ話を続けた。
「モルゲンレーテには様々な種類の悪魔がいます。ランドールのような人型や淫魔、ゴブリンなどと呼ばれる小型の悪魔など……いずれも一筋縄ではいきません」
真剣な表情で続ける。
「人型の特徴は、人間以上の魔力を有する事です。その影響で髪や瞳の色が、赤や紫など特徴的な色になる者が多い。それに加え、奴らは長い寿命と恐るべき治癒力を持ちます。それと……かつてモルゲンレーテで結成されていた悪魔狩りは、人型を捕らえた後、動脈に管を刺し失血させることで殺していたと聞きます」
なるほどとヴェーラは相槌を打つ。
フェリスは「うーん」と唸った。
「そうですね……悪魔を殺すには……私は毒を使うのが良いと思います。他の世界にある毒ならば、死因の特定も難しくなるでしょう」
高名で皆から愛された神父フェリスも、悪魔相手では容赦がないらしい。
「毒を使用した暗殺……それなら、うちのゼトワールが適任でしょう。すぐに彼女を呼び戻します」
「……一刻も早く悪魔を滅ぼさなくては。モルゲンレーテの皆さんが……僕の家族の安全が、脅かされてしまいます」
真っ先に考えるのは故郷の人々の事。
彼らに危険が及ぶ事だけは、どうしても避けたいのだ。
「どうか、モルゲンレーテを……僕の家族を悪魔から救ってください」
ヴェーラは大きく頷き、微笑んだ。
何もかも任せてしまいたくなるような、安心感のある笑み。
「勿論ですわ。私共にお任せください」
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