弱者よりも弱かった

 自分を、「最強の弱者」だと思っていた。


***


 インターネットによって、「社会的弱者」の情報は簡単に得られるようになった。

 世界は一気に広がった。

 私はそれらの情報にいたく共感し、「LGBT」と「うつ病」と「発達障害」について調べた。日常会話で通じない用語だけが、脳内に増えていった。


 私が特に気に入ったのは、「マイクロアグレッション」という言葉だった。

 例えば、男性の同性愛者の相手に、そうと知ってか知らずか、「彼女いる?」と訊けば、それは「小さな攻撃」になる。

 無意識の偏見から来るマジョリティの些細な言動が、マイノリティを傷つける、というものだった。

 差別を受けたことはないが、「マイクロアグレッション」ならあった。

 いや、日常の中に、探せばいくらでも数え上げることができたのである。

 私は「マイクロアグレッション」を数え上げて自分の弱者性を証明することに没頭した。


 ネットには、無数の診断サイトがある。

 自分で当てはまる選択肢を選んでいくスタイルのものだ。

 何種類やったか、覚えがない。

 私は「Xジェンダー」で「バイセクシャル」で、「ASDの可能性アリ」という人間だった。


 「性別に違和感を覚え」、「実生活に困り」、「同性に恋をした」。「両親にカミングアウトして」、「精神科に通院し」、「双極性の傾向があると言われ」、「睡眠薬を処方された」。「テストでASDの診断が下り」、「学校に合理的配慮を願い出た」。「不登校になった」。「音楽を聴くことと小説を書くことが救いだった」。


 社会的弱者が、強い時代だ。

 社会を変える弱者を何人も見せつけられてきた。

 差別されてきた人々は虹色の旗を振った。うつになって会社を辞め、NPOだかなんだかに入った。IT社長は発達障害の診断を持っている。

 なぜだか当然のように、私は社会を変える立場だと思っていた。


 つい最近知った。

 本当は知っていたはずだった。

 ひと握りの「最強の弱者」の背後に、本当に弱い弱者が限りなくいることに。彼らは大きな声を上げることができなかった。

 理由は単純だ。弱いから。

 ネットの奥地に、彼らは棲んでいた。


 猫背で地面を見ながら、散歩をしていた。

 ネットで有名になる方法を考えていた。

 なめらかに滑るチャリとすれ違った。

「お」

 中学時代の友人のK。

「久しぶりじゃん」

 私は笑った。彼も笑っていた。

「今日、学校じゃねえの?」

 パンパンになった通学リュックを背負いながら、彼は自転車を降りた。浅黒く日焼けした腕は以前より太くなっており、髪型は垢ぬけていた。はつらつとした青年だった。

「行ってないんだよね」

 私はろくにセットしない髪に手を掛けた。

 自分の状況を、一部省略し、一部脚色し、彼に伝えた。

「まあ、マイペースだったからなあ、お前」

 マイペース。軽く頭を殴られた気がした。

「学校行ってないんだったらさ、別のことでもすりゃいいじゃん。ゲームとか」

「ゲーム、持ってない」

「スイッチ、買えば?」

 スイッチって何万するんだっけ。

「フォトナとかなら教えられるし。今から始めてみれば?」

 オンラインゲームか。ばかにしてきたやつ。やっても絶対へたくそだし。

「考えとく」

「いつでもLINEしろよ。じゃあな」

 さっそうとチャリが去った。わずかに色づき始めた遠くの山が、青空に映えていた。

 うっすらと見える月の下で、私は彼に手を振った。


Fin.

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